2005年1月

<<前<<   >>次>>

05/01/31(Mon)

いつものように週末喫茶。席に着き、ブレンドを頼むと、カウンターの奥からマスターが“これ食べない?”と言って出てきました。生チョコ。“2週間前とは随分気が早い。でもスマン、マスターの愛は受け入れられない。”と謝ると、奥さんもバイトのスタッフも笑ってます。急に思い立って仕事の合間に作ってみたら、案外うまくいったので、来る常連みんなに配って自慢しているらしい。もう60近い、いかにも喫茶店のマスター然とした風貌の人なんですが、その妙に子供っぽいところが人気。

本当に美味しかったので、その旨伝えたらすごく嬉しそうで、ああいう風でありたいものですな。

05/01/30(Sun)

職場に送られてきた虎屋の羊羹。元来餡子系の甘さは苦手なのですが、さすがというかなんというか、虎屋。私でもそこそこ美味しく食べられました。季節限定羊羹で、名前は“春の歩み”。濃緑色の抹茶練羊羹と、何かツブツブの入った薄黄色の羊羹が、切った面で階段状に現れるように組み合わされています。菜の花をイメージしているらしい。

で、そのツブツブが一体何かという話になりまして、ひとりが“これは味といい形といい、粟に違いない”と言い、その場にいた三人全員が、“そうだ、そうだ”とそれに同意したんです。でも私は、その味と形から米を砕いたものじゃないかと思いました。そのように主張するも、多数決の論理で無残敗退。

それでも、全く納得できなくて、お品書きを精査することしばし。“練羊羹と道明寺羹を組み合わせ…”という記述を発見して立場逆転。道明寺粉=水に浸したもち米を蒸して乾かしたあと、砕いたものです。三人にはしつこいとかなんとかブチブチ言われましたが、要は道明寺粉なのですよ、フフフ。ただ名前だけは知ってたものの、日頃使うことが全く無いために、その名前をすぐに挙げられなかったのが私の敗因でした。でも、議論で逆転したことはともかくとして、舌の感覚と頭の記憶がパズルのピースの様に組み合わさったのは一種爽快でした。そうか、これが道明寺粉なんですね。

05/01/29(Sat)

知り合いがちょっとしたパーティーを催すというので、のこのこと行ってきました。30人ほどのメンバーで、ケータリングを頼んでというもの。料理を生業にしている人の手際を間近で見ることが出来るから、こういうのって、大好きです。手伝えることがあればやるからと言っておき、出切る限り早めに現地に行きます。その日のメニュー構成を頭に叩き込み、何を下ごしらえして持って来ているのか、どういう順番で作るのか、狭い一般の台所をどのように使うのか、洗いものと調理の手順をどのように組み合わせているのか、調理器具はどのようなものを使っているのかなどなど、興味のタネは尽きません。

全部が全部すごいという人はあまりいませんが、さすがにそれを生業としているだけあって、かなり参考になることが多い。パーティーの場で、不特定多数の人としゃべるのが苦手な質だけに、さりげなく会場からフェードアウトして、手伝うことにしてます。まっ、手伝うとはいっても、皿を洗ったり、料理を運んだり、その程度のことですが。

そうそう、皿洗い。これがまた楽しい。日常では考えられない数の山と積み上げられた使用済み食器。これを、汚れの程度やそのあと片付けるときの手順を考えて、一番いいと思われる順番で片っ端から洗っていく。きれいに洗って拭いた食器がビシッーっと並んだ姿を見るのは、好きですね。毎日やろうとは、とても思いませんけれど。

05/01/28(Fri)

今日の買い物は、大根98円。結構大きくて、アラ嬉し。私の好きな葉も5cmほど付いていて、二重の喜び。本当は、切らずにごっそり付いていてくれるのが良いんだけど、売り場にコンパクトに納めなきゃいけないだろうし、なにより、捨てる人が多いので、予め切ってるんでしょう。

実際、レジの隣いに置かれたゴミ箱の中に、首のところから切って捨てられた大根の葉が沢山あることがあります。葱の青いところや、キャベツ・ハクサイの最外葉も同様。さすがに私もまだくれと言うことは出来ず、いつも勿体ないなあという思いで見ています(そのうち言えるようになる日は来るのか?)。葱の青いところは汁の浮き身にすればいいし、冷凍しておいて肉を煮る時の香り野菜にも使えます。キャベツ・ハクサイの固いところも、塩でよく揉んでアクを出せば、とても美味しいのに…。

うちも農業やってますから、出荷のためにどれだけ手間がかかるかは分かっているつもりです。それを考えると、ちょっと捨てられません。まっ、単純に勿体ないというのもありますけどね。

05/01/27(Thu)

昨日、ヤマトイモの話を書いて思い出したのが、小さい頃祖母に作ってもらった自然薯の吸い物。子供ながらに、大好きだった料理です。実家はド田舎にありますので、歩いていけるところに自然薯が自生しています。シーズンになると、父親がそれを掘り出してくるわけです。以前は競争が激しく、なかなか手に入らなかったみたいですが、その頃はもう自分で自然薯を掘るなんて酔狂な人はそんなにいなくて、結構簡単に手に入ったみたいです。

スーパーで買ってきた青魚、鰯・鯵といった安い魚を三枚におろし、皮をひいて身だけにし、包丁で微塵切りにします。それをすり鉢に入れて、ねっとりとするまですりまくります。そこに、おろし金ですりおろした自然薯を少しづつ足しながら、ひたすらすっていく。出来たものを、沸かした吸い物仕立ての汁に少しづつ落とすと、表面に広がって固まり、完成。あとは葱をちょっとのせるだけ。

簡単な割に手間のかかるこの料理が大好きで、頼み込んでよく作ってもらったのを覚えています。ただすりおろしただけの自然薯も美味しいんですが、この吸い物は、美味しかったなあ。ヤマトイモだと粘度が低すぎて出来ません。こればっかりは自然薯じゃないと。誰かくれれば作るんですが、あいにく私の周りにはそんな奇特な人がいないのが残念です。

05/01/26(Wed)

今日のスーパーで見つけた掘り出し商品は、折れたヤマトイモ一袋50円。通常品の1/4くらいの価格になってます。折れたところが少し変色しているものもありますが、全般的に鮮度には問題なさそう。折れるだけで価格がこんなに下がるんなら、もっと折れてほしいと思うのは、いけないことですね。まあとにかく、買う。一週間以上トロロが楽しめそうな量で、ラッキー。

というわけで、今日は何をおいてもトロロご飯。男の料理だとすり鉢でゆっくりすりおろすんですが、そんな悠長なことはやってられません。なにせ、空腹なんです。そして相変わらず皮も剥きません。ざっと水洗いした後、変色したところの中で、特に目立つところだけをこそげとり、ヒゲ根の主だったやつをちぎるだけ。炊きたてのご飯を軽く丼に盛り、おろし金でガシガシすりおろしたトロロをその上に。削りたての鰹節をパラリとのせ、醤油をかけるだけ。こんなに適当で、こんなに美味くていいのかしらというくらい、美味いです。しばらくは、トロロ三昧だ、フフフ。

05/01/25(Tue)

通常私の食事は、一食あたりご飯2杯=1合が基本。結構大食い(典型的な痩せの大食い)。でも、ちょっとした手違いから、夕食に残ったのはご飯1杯=0.5合のみ。2.5合とか炊いて足せばいいんでしょうけど、一食の中に違うロットのご飯があるのは嫌という、A型的ムダなこだわり。というわけで、今日はスイトン。

スイトンって、硬さによって全く別の料理になってしまうんですが、うちのは基本的に水を小麦粉重量の6割〜7割程度。鰹節でダシをとり、味噌はやや多目、野菜はその時あるものを適当に。モチモチとした感覚が、なんともいえず美味い。でも、毎日食うと嫌になるんでしょうね。戦争を経験した人で、芋とスイトンは二度と食いたくないという人がいるくらいだから。でも、たまに食べるといいもので。

要は、ご飯であろうが小麦粉であろうが、一食分の炭水化物の帳尻が合っていればそれでいいというのは、かなり適当な体のつくりをしているのではなかろうかと思う今日この頃。でも、ちゃんと作れば、どんな料理でも結構美味しいものですね。

05/01/24(Mon)

昨日は、みそぎのカレーだったわけですが、使ったのは直径約30cmの木の大皿。5年ほど前に福岡へ行った折、とある器のギャラリーで一目惚れして買ったものです。福岡に住む木工家具職人の方が作ったもので、楓材を手で彫って仕上げたもの。全体にうっすらとノミの跡が残っています。仕上げにはオリーブオイルを塗りこんだだけの無骨でシンプルなつくり。どんな料理をのせても決して邪魔することなく、それでいてのせた料理を美味しそうに見せるのがヨイ。特に手入れはしていないのですが、うちでは食器を洗うときに洗剤を使わないので、微量の油がうまくコーティングの様にはたらいて、艶を維持しているようです。5年経って愛着も加わり、ますます良くなってきました。最近表参道の器ギャラリーでも取り扱っていることを知り、もう少し小さいのも欲しいなあと思う今日この頃。でも、安くないんですよね〜。

私は食器道楽なので、うちの食器は万事がこんな風に、全て個人の製作者による一点ものです。何度も店に通い、考えて・考えて買ったものや、ギャラリーのオーナーに頼み込んで本来5枚セットのものをバラで売ってもらったものもあります。説得に半年かかりましたが…。大ぶりの汁椀は、輪島の塗師のもの。(私にとっては)とても値段が高く、いいな・いいなと思いつつ、買うまで一年以上かかりました。

案外軽視されがちなのですが、食器ってとても大事だと思います。確かに、何にのせても舌に感じる料理の味は変わりませんが、“ニンゲンの食べる食事”ってそれだけじゃないと思います。高価な皿を使う必要は全く無いと思いますが、自分が一生懸命考えて選んだ食器で毎日ご飯を食べること、多少イイ気分になれますね。

05/01/23(Sun)

仕事でイロイロあったので、朝から考えていたメニューを破棄して、今日は激辛鶏カレー。我を忘れるほど辛くしてやる!

米は出かける前に研いで水を切り、鍋に入れてあるので、定量の水を入れてすぐ点火。沸騰まで強火で3分→ごく弱火で5分→ダンボールに入れて蒸らし12分。最初の8分間コンロの一方を使用。米の鍋に点火した直後、もう一方のコンロに片手鍋をかけ、中火。薄く油をひいて、スライスした玉葱半個を投入。竹ベラで混ぜながら、焼鳥にしようと計画していた一口大の鳥モモ肉を一回り小さく切りなおし、投入。これまた混ぜながら、味噌汁に入れようと思っていたサツマイモを1センチ程度の角切りにして投入。

1.5カップ程度の水を入れ、塩で味を決定。鷹の爪多め、ローリエ半枚、干し葡萄を投入して蓋をし、弱火に落とします。この辺で8分になるので、米の鍋を蒸らし用のダンボールに移し、そのコンロに今度は中火でフライパン。油大匙2杯程度(目分量)をひき、小麦粉をそれと同量程度放り込み、狐色をやや通り越すくらいまで、焦がさないように注意しながら炒めます。色が決まったら、火を止めて、カレー粉小匙1程度投入。素早く混ぜたら、片手鍋にあけ、再び蓋。ここまでで14分程度。6分間煮込む間に、フライパンなどの使い終わったを調理器具を洗い、常備菜を出し、冷たいお茶をグラスに注いで氷を入れ、大皿にご飯を盛り、最後にルゥをよそって完成。所要時間20分。

煮込んだカレーのようなコクはないですが、こういう若いカレーも美味しいのです。日本だとカレー=煮込むものというイメージがあるので多少抵抗があるかもしれませんが、大丈夫。具を小さく切ってあるので、火も十分通るし、味もしっかりと出ています。時間をかけてない割には、きちんと作っているので、かなり美味しい。そして、我を忘れて今日の出来事をリセット。フゥ。

05/01/22(Sat)

週末の夜は、よっぽどのことがない限り行きつけの喫茶店に行って珈琲を飲むことにしてます。ワタクシの生きる楽しみってヤツですね。それも、閉店間際の人があまりいなくなったときを狙って。かなり繁盛している店なので、昼間はうるさくて近寄れないのです。どうせ行くんなら、静かでボーっとできる時間の方がいいわけで。でも、昨夜は10時を過ぎているというのに、すごい人。いつもはマッタリ・ヘラヘラと仕事をしているウェイトレスのねーちゃんも、ちょっとテンパリ気味。

隙をみて訊いてみると、ああそうか、某有名情報誌にとりあげられてしまったんですね。今までも何度かあったんですが、そういう取材のあとは一週間ほど、嵐が来たようになってしまいます。そして程なく終息、いつもの客足に戻るというのが通常のパターン。一応常連の端くれとしては、人気が出るのは嬉しいんだけど、マッタリとした週末タイムを返してくれという気持ちもあり、複雑。来週には戻ると思うんだけど、サテ、今日は行こうか行くまいか。

これって、知名度の無いアイドルを見つけて応援していたら、急に人気が出てしまった。うれしい反面、なんだか悔しいという、そんなオタクゴコロ通じる所が有るような、無いような。まっ、私は喫茶店オタクですから。

05/01/21(Fri)

実家からの荷物の中に、メヒカリの生干しが入ってました。メヒカリって、目がやたらでかい、カタクチイワシみたいな白身の小魚です。でも、よく考えると実家でメヒカリって食べたことがないんですよね。お礼の電話ついでに母親に、実家の方ではあまりメヒカリを食べないのかと聞いてみると、“食べるけど、目が光って不気味だから買ったことがない。今回は他人から貰ったけど、不気味だからそっちに転送した。”とのこと。

離れていても、母親というのはいいものですね。

05/01/20(Thu)

10日ほど前に買ってきた大根を全て食べ切り、小市民的な達成感に浸っています。本体は皮付きのまま、半分は千六本に切って酢の物、半分はオーソドックスな煮物。葉は刻んで塩もみをして大根葉飯にし、茎はこれまた刻んで味噌汁の具に。茎って、葉と本体の接合部分です。あそこ、本当はなんて呼ぶんでしょうね?

というわけで、廃棄したのは数本のヒゲ根のみ。こういう小さな・小さな達成感がケチを助長させ、気が付いたら…ってな具合になっている気がしてなりません。もう、引き返せませんが。

05/01/19(Wed)

行きつけの喫茶店でダラダラしていたら、マカナイの生牡蠣をごちそうになってしまった。生牡蠣うま〜。そしてその場で牡蠣のクリーム煮の作り方を教わり、早速作ってみたらやっぱりうま〜。冬は牡蠣ですね。

本当は生食用の牡蠣がいいんだけど、高いので鮮度の良さそうな加熱用の牡蠣を準備。大根おろしをまぶしてしばらく置き、流水で洗って汚れをよくとります。大根おろしは味付けではなくて、洗剤の役目。理屈はよく分かりませんが、こうすると牡蠣のヒダヒダに入った汚れがよく取れるんです。洗ったら水気を切り、ここからは手早く。

フライパンにオリーブオイルをひき、牡蠣の両面を焼きます。ここで少量の酒を入れて香り付け。両面が焼けて中はまだ生の時に、生クリームを投入。うちは使い切れないので、スキムミルクを水で溶いたものを使います。塩・胡椒で味を決めて完成。牡蠣に火を通しすぎないことだけがポイントの簡単料理ですが、意外にもご飯にすごくあいます。寒い間に、また何度か食べてみよう。

05/01/18(Tue)

潰した豆は、握り飯状に丸めて琺瑯の容器の中に端から詰め、一段埋まったら上から指で押して空間を潰します。味噌が無くなるまでその繰り返し。要するに、空気を中に入れないということです。最後にカビよけの意味で表面にうっすらと塩。出来上がったら、完全に冷めるのを待ってからラップで密閉で密閉して冷暗所へ。琺瑯は高価なので、容器としてはプラスチックや壷でもかまいません。光の当たらないところにおくのなら、透明でもOK。ただ、化学反応しそうなので、アルミや鉄はやめておいた方がいいと思います。

そしてこのまま放置すること約半年、夏前には白味噌のような状態で食べられるようになります。なんといっても、手前味噌は激ウマ。人によっては、一ヶ月ほど経ったときに“天地返し”といって、全体を大きくかき混ぜる流儀もありますが、うちではやってません。また、昆布を突っ込んで旨味をプラスというテクニックもありますが、これもまあ、お好みで。うちではカビさえ発生しなければ、完全放置が基本です。

結局味噌作りにかかった時間は、豆を水に浸して一晩、煮るのに3時間、潰す→混ぜる→道具の後片付けに1時間半。前二つは、実質手がかかっていないも同様なので、作業時間は長く見積もっても2時間弱。プラス材料費5,250円で10kgの味噌が出来てしまうのですから、私は安いものだと思っています。

05/01/17(Mon)

大豆を茹でる時間は3〜4時間。“もったいないのココロ”という本によると、豆を秤にのせて指で押した時に、400gで潰れるのがちょうどいいらしいので、一応の目安にしてます。でも、多少なら前後しても多分大丈夫。鍋を火にかけたまま外出してしまうのはダメですが、弱火でコトコトなので、ずっと見張っている必要はありません。この間は他の仕事をしていればいいと思います。盛大に泡が出るので、フキコボレだけは注意して。

煮あがったら潰します。ここからは様々な器具を使うので、消毒を確実に。雑菌が混入してカビたら、泣けません。消毒用アルコールが一番いいんですが、うちでは友達が不味いといって飲まなかったウォッカを貰ってきて、霧吹きに入れて使ってます。器具・容器・手はよく洗って乾かしておき、その上からこれをスプレーして万全を期します。

うちではミンサーを使うので簡単ですが、無い場合は、袋に入れて足か、あればマッシャーで荒く潰しておいて、すり鉢&スリコギになると思います。茹で豆はかなり粘りますし、量が量なので、フードプロセッサーでは追いつかないかも…。冷えてくるととたんに潰しにくくなりますので、とにかく手早く。潰しづらさが限界に達したら、とっておいた茹で汁を少し加えると多少潰しやすさが改善しますが、味のことを考えると、最小限にとどめておいた方がいいと思います。でも、本音を言えば、味噌を作るのならミンサーの購入を強く・強く推奨。プラスチックボディの安いやつなら3,000円くらいで買えます。ミンサーが無い場合、とにかくこの作業が一番大変。味噌作りに費やす労力の7割はこの潰す作業といっていいと思います。

次に、潰した豆と塩麹を均等に混ぜます。(豆を茹でている間に、塩と麹を均一に混ぜて塩麹を作っておく。)うちではこの作業に、いつもは乾物収納に使っているでかいポリケースを転用して使いますが、本当はタライがあると一番いいです。素手で、二つが均一に混ざるようにとにかくガンガン混ぜます。均一でないと醗酵がマダラになりますので、注意。ここも大変ではありますが、ミンサー無しの豆潰しに比べたら全然大した事ありません。気合で乗り越えます。

05/01/16(Sun)

この週末は一年分の味噌10kgを仕込みます。知り合いにあげる分も多少はありますが、基本的には自宅消費。手前味噌は最高です。味噌作りには、大豆・麹・塩の三種類が必要。以前は大豆と麹を別々のところからネット注文していましたが、ここ数年は鹿児島のはつゆき屋という店でセット注文してます。味もいいし、何より送料が一回で済むのがありがたい。e-bankの利用で、振込手数料もなくなったので、しばらくここで注文しようと思います。味噌10kgが出来るセットで、送料・税込み5,250円。良心的な価格だと思います。

セットに入ってくるのは、乾燥大豆1.2kgと塩麹5.6kg。塩麹というのは、文字通り塩と麹のミックス品で、これだと通常は別々に手に入る二つの品を均等に混ぜ合わせるという作業をスキップすることが出来ますので、便利。ただ、ここの味噌は出来上がり塩分濃度が9%に設定されていて、私にはちょっと物足りません。200gの塩をここに加え11%に上げて作業します。

乾燥大豆は、一晩水に漬けてふやかしてから、軟らかくなるまで煮ます。約三倍の水に漬けるということになってます。乾燥大豆1.2kgは約2リットルですので、水は少し多めに約7リットル使用。煮汁はあとで捨てますので、多くても味には影響ありません。ただ、大豆を煮ると盛大に泡が出ますので、あまりに鍋ギリギリまで水を張ると、ふきこぼれて大変なことになります。マックスの6割から7割の水で抑えた方が賢明。となると、かなり大きな鍋が必要になります。うちは巨大寸胴を使いますが、無い場合は分けて煮るしかないでしょう。でも、面倒だし、鍋によって煮え上がりが違ってくるのであまり推奨しません。

05/01/15(Sat)

先日の日経新聞夕刊で小泉武夫氏が、人生最後の食事として何を食べるか、というテーマに対し、“猫飯(ねこまんま)”と答えていたのが頭を離れていなかったらしく、昨日の夜は猫飯。自分、単純。ミソジ流だと、ご飯に鰹節をまぶしたあと、醤油をかけるだけの品なのですが、小泉流では、刻んだ葱と鰹節・醤油を混ぜ、それをご飯にのせます。ちょうど先日30円で買ってきた葱があるので、今夜は小泉流。

葱・鰹節・醤油の組み合わせで“不味い料理”になるはずがありません。ガチガチの安全牌。うちは結構いい醤油を使ってますし、鰹節もその場で削りますから、なおさらのこと。葱は中国産の安いヤツのそのまた見切り品ですが、一箇所くらい隙がないと、可愛げがないでしょう?

彼曰く、コレを食べると再び生きる力がわいてきて、最後の食事にならなくなってしまうそうですが、なかなか上手いオチの付け方です。私の場合は、ネギマも一緒に作ったので、猫として生まれ変わってしまいそうです。

05/01/14(Fri)

今日の帰りに寄ったスーパーは、妙に私のニーズにマッチした安い品が多く、ホクホク顔で買い物をしてかえってきました。まず、ミニ白菜。初めて見かけたのですが、普通の白菜の1/2ほどのサイズで30円。別に小さいことはどうでもいいんですけど、安さに惹かれて3玉購入。1玉はお浸しに加工し、残りはストックです。白菜は結構保存がきくので、おそらく大丈夫。

折れたサツマイモ1袋60円。特大サツマイモ2本分程度の量があり、非常にリーズナブル。これは、オーソドックスにクチナシで甘く煮ます。折れたセロリ2本入り50円。これは小口切りにして塩でもみ、オリーブオイルと酢でマリネ風。折れた葱2本入り30円。青い部分は先日の鮪の粗のヅケといっしょに、ネギマ汁にします。ヅケの味醂醤油も当然調味料として活用。白い部分はストックしておき、適宜味噌汁等に活用します。

買い物袋一杯になるくらい買い込んだのですが、これでお値段230円。来週アタマくらいまでの常備菜がストックできて、今日は大漁。

05/01/13(Thu)

前回作った里芋の煮っころがしをやっと完食してホッとしたと思ったら、また買ってしまいました、里芋。中くらいのが10個ほど入って98円と格安だったんですよね。あぁ、また煮物だ。とはいえ、実は私は同じ食材が続くことがそんなに苦ではありません。

実家が兼業農家で、自宅で食べる野菜のほとんどを家で作っていました。そういうと聞こえがいいのですが、これにはひとつ問題があって、“あるときは嫌がらせのようにある”ということです。商売じゃないんで、当然露地栽培。そうすると、収穫時期が短期間に集中するんです。大根や白菜といった冬季の保存のきく野菜はまだしも、夏野菜、特にピーマン・ナス・キュウリ・トマトなんかは、問答無用で毎日出来てきますから、食べていかないと追いつきません。

食べ方もいろいろ工夫するんですけど、それにも限界があって。結局そういう食事に慣れるしかないんですね。おかげで現在、何食同じものを食べても基本的には平気。その耐性が現在の格安食生活を支えているのだから、分からないものです。

05/01/12(Wed)

今日の買い物は鮪の粗、1パック100円。量は少なめですが、なかなかきれいだったので買ってしまいました。サテ、どうするか。安売りの中国産葱を買って、ネギマにしようかと思ったのですが、自宅に先日買った大根が大量に残っているのを思い出し、却下。船場汁モドキを作ることにします。

船場汁は本来鯖の粗で作るものなんですが、別に鮪の粗で作ったからといって法に触れるわけでもないので、やってしまいます。作るといったってごく簡単。粗と大根を薄く切ったものと生姜を吸い物仕立てにするのです。酒を多めにすると、冬場は温まる感じがしていいですね。マグロの粗も、ゴロゴロしたままだと何となく船場汁っぽくないので、鯖の中落ちのイメージで薄くスライスして投入。生姜は入れ過ぎると、すぐに生姜汁になってしまうので、少なめに。鮪に火が通るか通らないかのところで火を止めて食します。寒い日は、こういう料理が、いいですね〜。

05/01/11(Tue)

年末に職場からかっぱらってきたリンゴがまだまだ残ってます。あと15個ぐらい。年明けからこちら、来る日も来る日もリンゴ・リンゴ・リンゴ。年末年始の帰省時には部屋に放置しておいたので、もう一ヶ月にもなろうとしてますが、気温が低いこともあって、全く傷みません。それどころか、かえって甘くなっているような気がします。思わぬ怪我の功名でした。

それにひきかえ、年末に買って使いきれず、シンクの下の野菜入れに放り込んでおいたサツマイモ。帰って来てみたら、すっかり黴だらけになってました。本来は長期保存が可能なのかもしれませんが、搬送中に傷ついたところから傷みが広がって、ダメに。時価100円分のサツマイモが、泣く泣くゴミに。あ〜あ。

05/01/10(Mon)

やはり冬はモツの味噌煮込みということで、100g58円の白モツを1kgばかり買ってきました。一人暮らしで1kgはやや多いと思われるかもしれませんが、平気です。白モツは下茹でに一時間ほどかかるので、いっぺんに作らないとなんだか不経済な気がするのです。下茹でしてよく洗ったモツは、煮込む分以外は、食べやすい大きさに切り、年末に貰った焼肉セットの残りのタレと醤油・味醂・唐辛子などで適当にでっちあげたタレに漬け込んでおきます。これは、適宜焼いて食う。

しかし、今夜はなんといってもモツの味噌煮込み。小さく刻んだモツ、先日残しておいた里芋・ストックしてある玉葱。程よく火が通ったら、味噌を溶き、刻んだ葱をこれでもかというくらい入れ、胡麻油をほんの少々垂らして出来上がり。あぁ、やっぱり冬はコレだねえ、と温まるわけでございます。

05/01/09(Sun)

今日は白菜を茹でてお浸しにしたのと、里芋を貰い物の黒砂糖で少し甘く煮たのを作成。昨日、キャベツを浅漬けにし、切干大根と高野豆腐を煮ておいたので、全部で四品。これに、ご飯と味噌汁、浅利の佃煮が加え、食後にリンゴを出せば、そんなに悪くない夕食になります。

同僚に、よく自炊が続くねといわれますが、タネを明かせばこんなもの。今日はまだUターンしてきたばかりで少なめですが、通常は惣菜が6〜7品。淡々と食べていき、1品切れる頃にまた1品追加で作ると、その繰り返しです。逆に言えば、よく料理レシピにあるようなその食事で食べ切るタイプのいわゆるメインディッシュは、ほとんど作りません。例えば、グラタンなんかは基本的にムリです。

こういうシステムはいわば自転車操業で、一食でも外食をしてしまうと、傷んでしまうものが出てしまうので、ローテーションが上手く回らなくなります。ですのでこれは、基本的に全ての食事を家でとることを前提とした献立の立て方です。また、同じ品を数日間食べ続けることとなるので、メニューの中心は必然的に体に一番馴染んだ和食となります。いろいろ小技はありますが、うちでの自炊の骨格はこんな感じです。

05/01/08(Sat)

Uターン初日。家に着いたのがもう夕方だったので、大したものは作れませんでした。帰りに寄った近所のスーパーでちょっとした野菜を買い、ご飯・味噌汁とお浸し、それに年末残った牛肉を冷凍してあったので、それを焼いたの。うちにしては以上に質素ですが、最初なんてこんなもんです。食事後に浅漬けと切干大根を煮たのを仕込んだので、次からはほぼ平常に戻る予定。

それにしても、しみじみ思うのは、東京の方が飯が美味い。両方同じ米を使っているのですが、田舎は電気炊飯器、うちは鍋を使って炊いています。水加減もあるのでしょうが、田舎のはベチャッとしてボケた味になってしまっている気がします。やはり米は鍋で炊くべしですね。そして、こんな質素な食事ですが、ホッとするのです。やはり、根が貧乏性に出来ているのでしょう。今年もリッチになるのは無理かな…。

05/01/07(Fri)

午後の飛行機で東京に戻るんですが、相変わらず何の準備もしていません。ラスト30分が勝負です。思えば、今回の帰省も居間のコタツが定位置の楽しい毎日でした。そして、コタツといえばなんといってもミカン。貰い物の多様なミカンを楽しみつつ、日々惰眠をむさぼった田舎暮らしももう最後。痛恨の念に耐えません。

ミカンといえば、放射状に皮を剥いていくのが一般的かと思われますが、私の場合は、りんごの皮を剥くように皮を一本につなげて剥きます。皮を干して陳皮にする場合、この方が干した後で刻みやすいとの理由から、いつの間にかこうなり、そのまま捨ててしまう場合も相変わらずのりんご剥き。甘皮が豪勢についていても、気にせず食べてしまいます。ビタミンC・ビタミンC。

自分が何個食べたかがしっかり分かるので、あとで責められる事もあるのが難点といえば難点です。そして生活の場は東京へ。コタツが無いだけで、相変わらずのダラダラライフでしょうけど。

05/01/06(Thu)

今週は実家でダラダラダラとしているつもりだったのですが、あまりだらけていると、現実社会への復帰が困難になりすぎるので、今日は家の畑から大根を引き抜いてきて、切干大根を作ってました。自称、東京の渋い三十男がすっかり板に付いたワタクシですが、こういう仕事も嫌いじゃありません。10本ばかり引き抜いて、一輪車に載せて帰ってくるという、農家のおっちゃんそのまんま。

キレイに泥を洗って、葉を落として、切って並べる。たったこれだけのことなんですが、10本も処理すると結構時間がかかってしまいました。でも、それなりに充実。やっぱり肉体労働はいいですなあと言いつつ、既にコタツの中でダラケモードです。

05/01/05(Wed)

人付き合いが悪いことで有名な私としては珍しく、またも友人と食事。前回は会話の無い四人家族にすっかり気をとられてしまいましたが、今回隣に座ったのは、20代前半と思われる若いカップル。私の側からよく見える位置に座ったのは女性の方で、かなり美人。ラッキーです。友達なんか、前回以上にどうでもいいかもしれません。まっ、相手がいるのが難点ですが、恋は障害が多い方が燃えるのです。

で、この女性がパスタを頼んだんですね。別にテーブルマナーも悪くなく、左手でスプーンを持ち、右手で持ったフォークをその上で回してパスタを絡めて食べる。余談ですが、私、パスタはフォーク一本で食べるのがカッコイイと思ってます。適量づつ絡めるのは、多少の慣れが必要ですが。

それはともかく、アレッと思ったのは、フォークに巻き取られたパスタの量が妙に多い。まるでマラカスです。失敗したかなと思っていると、その美しいお口をガバァァァーっとあけて…。もう、恋はイイです。

05/01/04(Tue)

鯛も最終日。中骨を残すのみとなりましたので、吸い物で〆です。吸い物は下処理が肝腎だと思われるので、ここはガッチリ手を抜きません。まず、身はなるべくスプーンで掻きとっておきます。なるべく骨だけにした方が、良いダシになると思われます。掻きとった身は鯛茶漬けに加工します。ヒレも予めキッチンバサミで切除。

鍋に湯を沸かし、グラグラ沸いたところで処理した骨を投入。すぐに笊にあけ、水で冷やしたら、中骨の中に入り込んだ血の塊やその他の汚れを竹串などを使って徹底的に取り除きます。コレを丁寧にすると、キレイな吸い物になるので、ガッチリやります。

ここまできたらあとは簡単で、鍋に水を張り、昆布を少しと骨を入れ、吸い物に仕立てて完成。具は葱ぐらいしか入れません。これで年末にいただいた鯛も完全に成仏してくれるでしょう。よく言われることですが、丸ごとの魚を目の前にすると、残さず食べないと釣られたその魚に悪いという気になるものです。決してケチだからではありません。いや、ちょっとありますけど。

05/01/03(Mon)

正月の鯛をさばいた時に出た腹の剥身と中骨、こいつに一晩塩をし、それを味醂味噌に漬け込んだものが今日まさに食べ頃。母親がブームにのせられて買ってきたミニ七輪をテーブルの上にのせ、そこで焼いて食べます。天然鯛を自宅で処理したものをこうやって料理するのだから、不味いわけはないんです。ただ、いかんせんミニ七輪、火力が弱い。フルサイズの七輪だって、ガスコンロの強火に比べれば、パワーはずっと劣ります。でもほら、じっくり炙られるのを眺めつつ、ゆっくり食事をするというのが粋じゃないですか。

全然火が通らないから、ガスコンロに移して自分の分をとっとと焼いてこようとする父親、分かってないなあ。水を張ったグリルで焼いたりしたら、それこそ台無しだと思うんだけどなあ。自分の方がずっと鬼平ね、フッ。しばらく待っていたらちゃんと焼けましたよ。故意に少しだけ残した味噌も程よく焦げ、やっぱり炭焼きは格段に美味しいですね。あぁ、ますます買いたくなってきた、七輪。

05/01/02(Sun)

うちでは正月料理に必ず刺身を出すのですが、それは年末に市場で買ってきた魚を家でさばいて作ります。そしてさばくのは私と父親。以前は祖父がさばいていましたが、最近手元が危なくなってきましたので、引退。血は争えないものです。まな板を並べ、片方が鯛の鱗をとっている間に、もう片方がサクのマグロをひいているといった、そんな感じ。

微笑ましい年末の風景と思われるかもしれませんが、全然違います。血は争えないもので、双方自分の方がずっと上手と思っていますから、相手の仕事にケチをつけまくり。片方が、ここの鱗がとれてないだの中骨に身が残り過ぎだのとケチをつければ、もう片方が、刺身の角が立っていないのは包丁の研ぎが足りないか腕が足りないんじゃないの、とヤジる。最初は冗談半分なんですが、段々マジになって行き、作業が終わる頃にはすっかり険悪なムードになっているという、ここ数年はそんな年の瀬。異様に負けず嫌いなところまでバッチリ似てしまった模様です。いい加減オトナになろうよと自分にも言い聞かせるんですが、やっぱり負けられません。来年も勝負です。

05/01/01(Sat)

2005年が始まりました。今年も、張り切って適当にいってみたいと思います。去年も適当でしたが、今年はそれに輪をかけて。

新春、うちでは鯖の姿寿司を必ず準備するんですが、私の好物はその頭と尻尾。そのままだと食えないのですが、焼くと最高。アルミフォイルで包んでグリルに突っ込み、周囲が多少焦げるくらいまでじっくり焼きます。もちろん、酢飯は中に入れたまま。知らない人に言うと、酢で〆た鯖を焼くなんてと言われるのがオチなのですが、これが美味い。確かに酢の味もしっかりしますし、変な味といわれればそうかもしれませんが、イケルんですよ。無論、そのまま食べる胴体の輪切りになった部分でやっても美味しいですが、頭の様々な肉や、尻尾の筋肉質な部分がことさらイイ。

姿寿司なら何でも出来ます。グジ(甘鯛)なんて素晴らしく最高なんですが、あまり手に入らないのが難点です。姿寿司があり、頭と尻尾を捨てていたなんて方は是非試してみられるといいと思いますよ。正月料理の中で、私が一番楽しみにしているのがこれ。ちょっと邪道ですけどね。

<<前<<   >>次>>

copyright by ミソジ since 2004/04/28
本サイトの無断利用は禁止デス。