2005年5月

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05/05/31(Tue)

ここのところ、フライパンがもう絶好調です。うちでは当然の流れとして、鉄のフライパンを使っているんですが、ピカピカに黒光りして、何を炒めても全くくっつきません。黒光りするフライパンを見つめてニヤニヤする三十男って、傍から見ると気持ち悪いよなと思いつつ、やめられません。

ここ数ヶ月で特にコツを会得したような気がするんですが、鉄のフライパンを綺麗に使うのは、使い初めと使い終わりに大きなポイントがあります。まず使い初め。入れた油から薄っすらと煙が立ち始めた瞬間が、ベストタイミングです。それより早いとくっついてしまいますし、それより遅くて煙がモウモウと立ってしまうと、入れた瞬間にその食材が焦げてしまいます。

しかし何といっても重要なのは後片付け。炒め終わって食材を皿に移した、その動きの延長ですぐに洗ってしまいます。蛇口から水を注ぐとジュッと煙が立つくらいがベスト。決して洗剤を使わずに、ササラで物理的に汚れをこそげとったら、布巾でさっと拭いてから、再び火にかけます。そしてほんの十数秒。全体に残った水分が飛んだら完成。この時、火にかけすぎて残った油分が飛んでしまうと、次に使う時にくっつく確率が跳ね上がります。

とまあ、こんなこと本やサイトを探せばどこにでも書いてるんですけど、それを自分の感覚で会得できるようになったことが嬉しい。読んで理解できるのと、それを実際に実行できるのとでは、結構な隔たりがあることがままありますんで。そして今日も、フライパンを見つめてうっとりする自分。人がやってたら張り倒しますけど、自分なら許す。

05/05/30(Mon)

このあたりは家が密集しているので、窓を開けると隣の家のベランダが一部見えてしまいます。日曜日のお昼時、布団を干そうと窓を開け、何気なくそのベランダを見た私の目に飛び込んできたのは、湯たんぽ。オヤ珍しい、この家も使ってるんだ。

しかし、湯たんぽ暦4年の私の観察はそれだけでは終わりません。金属製なんですが、色が微妙に黄色い。あれはそう、チタン製。軽くて錆びず、熱伝導もいいとされるチタン製。お値段は8,000円前後で、うちで使っている2,000円程度のブリキ製のものとは格が違います。ブリキ製だと、何年も使っているうちに内側が錆び、中に入っている支柱からダメになってしまうんですよね。昨年の秋口、買おうかどうか散々迷った末にやめた、輝くようなチタンの湯たんぽが、目の前ほんの5m先にアル。

湯たんぽを使うと、翌朝中に入っているお湯を洗顔などにつかえるなんて話をよく聞きますが、ブリキ製に限っては、ウソです。メッキをしていない内部は赤錆だらけになるので、毎日水を入れ替えたとしても、とてもじゃないが再利用は出来ません。中のお湯が再利用できるのは、安いプラスチック製と、高級品のチタン製やステンレス製。今使っているブリキ湯たんぽには散々働いてもらったし、今年はチタンでいいかな、なんて物思いにふける5月も末の晴天のお昼時。平和だな〜。

05/05/29(Sun)

今月は本当に貰い物の多い月でした。リタイアしてヒマなのか、実家から妙に荷物が送られてくることが多くなったり。そのせいで今月の食費は、違う意味で大変なことになってます。さすがに自分でも、もうちょっと出費しないとマズイような気になってきました。ありえないような数字が出てます。

それはともかく、どこをどう通ってきたのか、大家さんから、北陸地方の農村で農家の人が作った沢庵というのを貰いました。沢庵とは言っても、むしろ粕漬けに近いものですが、粕をとってしまえば沢庵に見えないことも無い、そんな微妙な代物です。粕漬けでも沢庵って呼ぶんですかね?商用ではなく、あくまで個人的に作ったものなので、当然添加物・保存料は積極的には使われていないはずです。(無論、酒粕が市販のもので、そこに最初から含まれていたという可能性はあります。)

一口食べてみて、その不味さに愕然。大根の旨味が無くスカスカで、塩と粕のバランスも悪い。“手作りだから美味いわけではない”という当たり前の事実をあらためて実感しました。スーパーに行けば“手作り(風)”を売り文句にした商品が溢れており、それを毎日目にしていると、手作りというだけでなんだか高級で美味しいものという気になってくるから恐ろしい。考えてみれば、料理が超下手な人のが作った料理だって“手作り”なわけで、“手作りだから美味いわけではない”というのは当たり前。頭では分かっていたつもりなんですが、この沢庵には結構期待していたので、自分もやはりどこかで騙されてるんですね。

料理は結局のところ、口に入れた時に美味いかどうかが一番大事であって、製造過程・生産場所なんかの薀蓄は、単純な私には似合いません。あぁ、中国産の大根を使った大量生産品でもオッケーなので、美味い沢庵が食べたい。

05/05/28(Sat)

一人でアパート暮らしをしていると、実に多くの宅配ピザ・弁当のチラシが入ってきます。弁当だって、和食・洋食・中華と一通り網羅。でも、高いんですよね。例えばピザだと、Sサイズのピザと飲み物・サイドメニューを一品頼んで大体2,000円。私も食べるの大好きですから、食事にお金をかけることに吝かではないのですが、宅配系にお金を投下する気には、ちょっとなれません。

今時外食をしても、マトモな場所で夕ご飯なら、一人2,000円くらいは当たり前のようにかかります。でもそれは、その店の雰囲気・サービスにお金を払っているから納得(出来る場合もある)わけです。珈琲に500円払うのも一緒。家で挽いて飲めば、せいぜい20円です。じゃあ、宅配ピザになぜ2,000円払うかって言うと、電話一本で届けてくれて、家で食べられて、後片付けもいらないというその手軽さでしょう。忙しい時にはとても便利でしょうけど、これって私にとってはゴッツイ寂しい食事です。私だったらそんなに忙しい時は、近所の安い中華料理屋や定食屋で1,000円で済ませ、1,000円は気分と時間に余裕が出来た時の食事のためにとっておきます。どんなに忙しくたって、考えればそれくらい出来まっせ。

何でこんなことを書いたのかって言うと、下の階に住む大学生の部屋の前においてあったゴミ袋が、ピザの空箱でパンパンになってまして、“もうちょっと頑張って暮らせ〜”とオッサンとしては思ってしまったからなんです。そうか、今気がつきました。だからうちのポストにはこれだけチラシが入っているのかも…。

05/05/27(Fri)

昆布・わかめ・蜂蜜・食塩・小麦粉・胡椒・砂糖・澱粉・調味料(アミノ酸等)・酸味料(醸造酢)。昨日のニンニクにもれなくついてきた昆布の佃煮の裏書きです。そんなに大した味がするわけじゃないんですけどねえ。この裏書きを見てしまうと、ますます自分じゃ買いません。妙に甘ったるく、舌に突き刺さる調味料(アミノ酸等)も強烈。そのまま食べるわけにもいかないので、今日からしばらく〆はお茶漬けです。

刻んだ昆布・ワサビ・葱を少な目のご飯にのせ、アツアツのお茶を回しかける、超シンプルお茶漬け。ここまですると、このような昆布もそれなりに食べることが出来ます。お酒の〆なんかにもいいんじゃないかな。

しかし、こういう商品って本当に上げ底ですね。2重の和紙(当然かさばる)と真空パックに包まれた本体のお姿はほんのちょっぴり。もはや、買う人全員がこんなもんだと、理解しているから良いんでしょうけど、でもやっぱりちょっとまずくないですか?まあ、80gでこの味でも、値段は分からないけどどうせ400〜500円くらいはするだろうから、量がくっきり見えてしまっていたら(以下自粛)。確かに、お土産には便利ですけどね。

05/05/26(Thu)

ニンニク貰いました。“ミソジさんなら大丈夫よね”とか何とか言って体よく押し付けられた格好です。10玉も…。ものには限度があると思うんですが、どんなもんでしょう。まあ、貰ったものは残さず食べるのが主義なので、全部食べますけどね。玉になっている状態だとかさばるので、中央の茎みたいなところを外して、欠片を全部バラバラにします。皮はあまりにビラビラと出ているものはとりますが、基本的にはそのまま。皮を全部剥こうとすると、一時間でも足りませんからね。

食べる時は、もっぱら最近マイブームの素焼き。食べる分だけ皮をむき、フライパンか網で焼きます。ここのところ、野菜全般を素焼きして食うというのがブームになってまして、人参・ジャガイモ・サツマイモなどの根菜類を中心に、5mmほどのやや厚めにスライスし、焼いて食う。特に今月は野菜の甘味を味わおう月間なので、味はつけません。でも、肉や魚を焼いた後のフライパンで焼いた場合は、それだけで旨味のエキスを吸って十分美味い、それに甘い。作るの楽ですしね。

ただ問題は、大量に出たニンニクの茎・皮。生ゴミ回収は数日先なのに、暖かくて部屋の温度上がりっぱなしの最近の陽気。かなりキッチリ封はしたんですが、帰って来ると部屋がモワッとニンニク臭い。頑張れ、あと数日の辛抱だ。

05/05/25(Wed)

宮澤賢治の“雨ニモマケズ”の詩は有名ですが、“一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ”という一文があることは案外知られていないかもしれません。私も何度もこの詩は読んでいるはずなのに、数日前に始めて気がついたのは、最近とみに食欲が増加しているからでしょう。

それにしても、一日玄米四合と言うのは尋常じゃありません。四合って言うと大体茶碗8杯分ですんで、朝2杯・昼3杯・夜3杯?農作業というきつい肉体労働をしているからこの数字なんでしょうが、それにしても昔の人はよく米を食べていたんですね。ちなみに、2001年の日本人一人当たりの米消費量は、世界29位で一日一合弱。もはや全然米の国とは言えないかもしれません。ちなみに、一位はミャンマーで一日約五合(茶碗10杯!)。やっぱり、肉体労働のきつい国は米を食べるんですね。ちなみにこの辺の数字は全て、“もったいないのココロ”という本からとってます。

最近何となく、もう少し食生活を質素にしてもいいかなと思ってるんですよね。ご飯・味噌汁・お漬物・煮物orお浸し・焼き物くらいでいいんじゃないかと。そのうえでご飯を食べる量をあと少し増やす。あんまり贅沢に何でもかんでも食べていると、罰が当たるような気がしてきました。まっ、しばらくはこのままでしょうけど、そのうちにね。

05/05/24(Tue)

うちで鰹節を使う時は、本節を鰹節削り器で削って使っています。大した手間じゃないし、この方が香りがいいので。ただ、手で持って削らないといけない都合上、最後の最後まで削ることは出来ません。持ち手になる部分はどうしても残る。この残った部分は、醤油を満たした容器の中に放り込んでいき、ある程度たまったら取り出して刻んで、フリカケにします。

さて、最後に刻んでからもう2年ほど経ち、いい加減たまってきたので、刻もうと取り出してビックリ。まだこんなに大きな状態で放り込んである…。現在の技術力ならまだまだ削っていける段階のものを、当時は拙かったのでしょう、諦めて放り込んであります。自分の技術力の進歩を目の当たりにするとともに、2年前の自分にアホかと言いたい。まだまだ削れるやないか、と。まあ、一歩間違えば指を削ってしまうので、その辺の見極めは大事なのですが、それにしても諦めが早すぎる。その分大量のフリカケが出来るのでいいんですけどね。

ちなみにこのフリカケ、醤油に漬けこんだ本節の切れ端を、包丁で細かく切っただけの代物なんですが、当然不味いわけが無い。一週間ほどで無くなってしまい、次に出来るのはまた二年後。理不尽と言えなくもない様な気がします。

05/05/23(Mon)

というわけで、相変わらず休みの日はウドンを打つことが多いのですが、ここ一月ほどで急に暖かくなったので、気温の変化による水の分量の変化に感覚が追いつかず大変。ウドンを打っていなかった頃は、雑誌などで手打ちウドン・蕎麦の職人が、“その日の気温・湿度によって水の量を変えるんです”なんていうのを見て、モッタイブルンジャナイヨなどと不遜なことを考えていましたが、いや、本当に変わります。

基本は小麦粉の重量に対して水40%なんですが、寒かったり乾燥していたりすると、少し水を増やさないと生地が固くて延ばせなくなるし、逆に暑かったり湿っていたりすると、少し水を減らさないと生地が柔らかすぎてくっついてしまいます。そして、水が3%違うと結果が全然違う。

家庭で作るのはプロよりも条件が厳しいという面はあります。プロは一回に数キロ打つのに対し、うちで一回に打つ量ははたかだか150g。水数%の誤差を重量に直すと、うちでは数グラムなのに対し、プロは数十グラムの誤差が許されることになります。これは、大きい。シチューやカレーなども大量に作ったほうが味の調整が簡単という、アレと同じことです。

とはいえ、つくづくプロはすごいなと思う今日この頃。気温湿度は毎日違い、入ってくる粉もシーズンによって変わってくるでしょう。その異なる条件の中で、比較的均一な結果を出せるのはやはりすごいです。数年にわたり週数回ウドンを打ってきて、結構レベルも上がってきたのですが、だからこそ見えるプロの凄さ。手打ちのプロはこれの何百倍もの数をこなしてますから、当然といえば当然。過去の自分は何と不遜なことを考えていたのでしょうか。

05/05/22(Sun)

プラスチック容器の台頭ですっかり数が少なくなってしまった瓶容器、私はその使用済みの瓶容器のラベルを剥がす瞬間が大好きという、変な趣味を持ってます。中をすっかり食べ終わった瓶をキレイに洗い、ボウルor鍋に張った水に一晩漬けると、糊がすっかり水を吸って接着力が無くなります。そこのところを端からゆっくり剥がす瞬間がタマラナイ。中には非水溶性の接着剤を使っていて、水に漬けても剥がれないものがありますが、そういうヤツは再度乾かしてから、シール剥がしスプレーまで吹きかけてしまう始末。あの、跡形もなくキレイにピピピーッと剥ける感じがいいんですよ。

そうやってたまった瓶が小・中それぞれ5個づつ。でも、実はツイストボトルやタッパーの方が取り出しやすいので、案外出番なし。粉ワサビ・辛子や香辛料といったものを入れておくのには便利ですが、それにしたって限りがあり、これ以上は捨ててます。無論、シールは剥がしてからね。捨てるのにわざわざシールなんて剥がすことは無いと頭のどこかで思っているんですが、それでもやっぱり剥がします。楽しいんだもの。

05/05/21(Sat)

胡麻が切れたので、一年ぶりくらいに行きつけの業務用スーパーに買いに行きました。私は、1kgの大袋で洗い胡麻を買い、それを適宜炒ってすってからストックして使ってます。こうすると、とても香りがいいんです。密封して冷蔵庫に入れておけば、数週間は香りが持ちますので、毎日の弁当に大活躍。

が、今回売り場に行くとついに洗い胡麻取り扱い停止。全部炒り胡麻・すり胡麻に切り替わっています。それじゃダメなんだよ〜と叫びたくなりましたね。思うにあの、炒ってする行為が胡麻の醍醐味なわけで、それを抜いた胡麻はサビ抜きの寿司にも等しい空しさが漂っているといっても言い過ぎでは無いでしょう。炒り胡麻の裏書に、香りをより楽しみたい場合は、炒り直してお使いくださいなんて書いてあるんですが、それじゃダメなんだよ〜。一度炒ってしまっているので、保存性も落ちるでしょうしね。

近所のスーパーなら洗い胡麻を扱っているのですが、1袋50g入り。ロットが小さく割高過ぎて話しになりません。1kg入りの洗い胡麻なんてそうそう売ってるもんじゃなし、ネットで頼んでしまうか、炒り胡麻で妥協するか。小袋の選択はハナから無し。残っている胡麻が無くなるまで約2週間。うーん、どうしよう。

それにしても、業務用スーパーなんだから、洗い胡麻くらい置いてよと言いたいんですが、今時プロは面倒な洗い胡麻なんて使わないってことなんでしょうね。自分で炒ると全然味が違うんだけどなあ。

05/05/20(Fri)

泥つき牛蒡が二本100円だったので、迷わず買う。そういえば、牛蒡を買うのは久しぶりです。水を流しながら、亀の子ダワシで表面の泥をキレイに洗ったら、5cmくらいの長さに切り、太さによって適宜割って大きさを揃え、歯ごたえがなくなら無いように気をつけながら、茹でます。他人様に出すもんじゃないですし、最近の牛蒡は別に皮が固くて食べられないということは無いので、皮は剥きません。モッタイナイし、面倒くさいので。

茹であがったら茹で汁を切ってタッパーにいれ、熱いうちに酢を振りかけて、塩・鷹の爪・昆布で味付け。私の大好物の、いわゆる酢牛蒡です。でも、ホント久しぶり。そして今、その牛蒡の力を体で実感しています。腸壁をえぐる牛蒡の食物繊維。体内にどんどん(違う)気が充満していきます。べつに、便秘ではないんですけどね。やっぱりすごい、牛蒡の力。定期的に食べたいとは思うんですけど、忘れるんですよね、これが。変な整腸剤を飲むくらいなら、牛蒡をガンガン食べた方がいいと思います。

05/05/19(Thu)

メロンの粕漬け貰いました。メロンの粕漬けというとギョッとするかもしれませんが、間引かれた未成熟な果実を粕漬けにしたもので、ノリとしては瓜やキュウリと同じ。気をつけて食べると、何となくあのメロンっぽいかな?という程度。ただ、その甘味が絶妙な隠し味になって、美味いです。同じシリーズに、スイカの粕漬けというのもあって、こちらも美味い。こちらも未成熟な果実を使ったものなので、中が真っ赤だったりということはありません。これらは、元々は間引いた果実を捨てるのがもったいないということで始まった、食品の有効利用だと思うのですが、リサイクルとは思えない味わいがあります。

スイカといえば、普通のスイカの皮の漬物もなかなか美味しいです。いつもの様にスイカを食べると、皮が残ります。歯型が残っているとさすがに興醒めなので、内側の部分をナイフでこそげとり、外側の緑・黒の部分も剥ぎ取ります。残ったやつを食べやすい大きさに切って、昆布・鷹の爪などと一緒に浅漬けにするんです。言われなきゃスイカの皮とは分からずに、瓜か何かだと思ってしまうかもしれません。どうせ捨てるくらいならと、うちでは貰ったスイカの皮は全部浅漬けになってしまいます。だから下さいと周りに触れ回っているのですが、現実はなかなか厳しいものがありますね。

05/05/18(Wed)

通常私は、一回に三合の米を炊き、それを三回に分けて食べます。つまり、一食一合。うーん、美しい(数的に)。ところが先日、不慮の出来事が起き、一回に一合半食べてしまいました(単に食べ過ぎただけ)。その結果、半端な半合が残ってしまいます。サテ、どうするか。

最も簡単なのは、次に炊く量を二合半にし、半合づつ混ぜて一食分とすること。しかし、一食の中に違うロットのご飯が混ざるのはどうも嫌なのです。炊いた時間が違うと、どうしても食感が違ってきます。一杯目と二杯目で食感が違うのは、なんだか嫌。これも性格でしょうか。

仕方がないので(?)今日はご飯入りお好み焼き。足りない一杯分を水で溶いた小麦粉に置き換え、そこに例の冷や飯とその辺にある具を刻んで両面焼きます。まあ、普通のお好み焼きなんですけど、気持ち両面をパリッと強めに焦がすのがコツかな。ご飯が入っているので、こうすることでパリパリのお焦げのような感じになって、美味しいんです。タレも、ソースよりも醤油の方があう気がします。うちはいつものように醤油と胡麻油を半々くらいに混ぜて。何せ入っているのがご飯ですから、やっぱり醤油でしょ。

別に二合半炊くのは苦でもないのですが、どうしてもこういう展開になってしまう。変なところで几帳面なんですね、私。

05/05/17(Tue)

帰りに寄ったスーパーで白瓜を見かけ、もうそういう季節になったんだとしばし感慨に浸ってみたりしました。東京はなんだか妙に寒く、全然実感が無いのですが、実はもう5月も半ば過ぎ。沖縄はもう梅雨入りしており、東京のそれも多分そう遠くありません。最近特に時間の経つのが早いです。

白瓜は二本入りで78円。安いんですが、出初めとあって品質はイマイチ。やや生育不十分の感があります。が、感慨に任せて思わず買う。あまり一般的で無いのか、食べ方がよく分からないのか、白瓜は案外安く手に入ることが多くて、うちの定番食材です。

買ってきた白売りは、ピーラーで皮をむき、ヘタのところを切り落としたら二つ割。端からスライスしたものを塩でもみ、鷹の爪・蜜柑の皮・昆布を加えて浅漬けとします。漬けたばかりでまだ浅すぎる浅漬けを食べながら、、イヤ、どう考えても最近時間の流れが早すぎるなどと感慨。

05/05/16(Mon)

部屋で着ているTシャツは、どれもかなりの古株ばかり。その中でも多分最古、高校時代から現存していたと記憶しているヤツの背中が破れてしまいました。割と名のあるアウトドアメーカーのものなので、縫製・生地はいまだ問題ないのですが、背中に大きなプリントが施してあり、そのプリント部分が劣化して縦に裂けるようになってしまいました。縫い合わせようと思って周囲に針を入れると、そこからまた裂ける。一見お手上げですが、直すの大好き人間の私は、それでも直す。

プリントは20cm×30cm程度の大きさ。要らない紙を使って型紙を取り、縫いしろ+折り返しを拡張。布巾を作った時に中途半端な大きさで残ってしまったサラシがあったので、ピンキングバサミを使ってほつれないように布を切り出して、裏地作成。プリント部分を縫わずに裏地に固定するため、間に接着芯を挟み、裏地と接着芯を縫い付け、裏地周囲を折り返したら、本体にアイロン接着。周囲を目立たない色の糸で返し縫いを使って丈夫に縫い合わせてやれば、ホレ、完成。ピンキングバサミとかうち普通にあるから…。

ありがちなテとしては、雑巾に転用というのがあるのですが、うちでは雑巾の寿命すらかなり長いので、殆ど出番が回ってきません。よって、Tシャツは最後までTシャツとして使い倒します。うちの部屋着はどれも“野良着”と呼ばれるにふさわしい逸品。いえ、外に着ていくヤツはどれもマトモなヤツですよ、一応念のため。

05/05/15(Sun)

今更のようで恥ずかしいんですが、最近玄関の靴をきちんと揃えることを習慣付けようと悪戦苦闘中。先日ある方のお宅をほとんどアポ無しのような形で訪問することになってしまったのですが、この方が非常にサッパリキレイに暮らしている方なのでした。その中でも一番心に残ったのが、玄関。造り自体は普通の文化住宅のどうってことない玄関なんですが、その周辺が非常にキレイに掃除してある。そして、お子さんを含め家族の靴がきちっと揃えて並べられてたんですね。これには小さく感動。小さなことですが、案外出来ないもんですよ、これ。

ひるがえって我が家の場合。一人暮らしで靴の数も片手で数えられるほどしかないんですが、まさに脱ぎっぱなし状態。ごく稀に気が向いて揃えることがあったり、掃除の時についでに揃えたり、そういうことはしてたんですが、日常的・習慣的に靴を揃えるということはありませんでした。これではいかんと猛反省。その日から自宅でも日々きちんと靴を揃えていこうと決めました。

決めたのはいいんですが、これが激ムズ。玄関で靴を脱ぐなんてあまりに当たり前の行為過ぎて、7割方忘れるんですね。しばらく経ってから玄関を見て、また忘れたよと激しく落胆、そんな繰り返し。長年染みこんだ靴脱ぎっぱなしの行動パターンはかなり根強いものがあるようです。でも、これから先こういうだらしない行動パターンをひとつづつ潰していかなくてはいけない、とも思っています。靴を揃えるごときでこの苦戦っぷり。先が思いやられるなあ。

05/05/14(Sat)

実家からの荷物の中に、畑から収穫したばかりで皮も茎も付いている状態のニンニクが3玉も入ってました。3玉というと結構あります。炒め物に一欠けをスライスして…なんて風に使っていても埒が明かず、最後にはしなびさせるか腐らせるのがオチ。こういう時は、そのまま食べてしまうに限ります。

ここしばらくは、醤油に漬けたマグロのアラを毎晩焼き網orフライパンで焼いて食べているので、その横でニンニクも焼いてしまいます。あまりに大きい場合は縦に二つに割って、そうでも無いやつは、食べる時に皮を剥きやすいように尻の所を少しカットして投入。そうそう、皮は後でスルッと剥けるので、剥きません。ニンニクの皮剥きってちょっと面倒だったりするので、この時点でポイント高し。じっくりと火を通し、皮が黒く焦げるくらいになったら完成。食べる時は、その皮を手で剥いて食べます。マグロの漬け汁の塩分があるので、特に味付けは無くてもOK。焼き網を使う時は、ほんの少しだけ塩を振ります。

一食に大体大ぶりのやつを二欠けほど食べるペース。生では強烈な香りを放つニンニクも、丸ごと火を通すとそんなに強烈な香りはしなくなり、その上ホクホクとなかなかの歯ごたえを見せてくれるようになります。美味い。次の日の口臭も大したこと無い…はず。まあ、そんな事気にしてたら好きなもの食べられませんしね。私の価値観では、好きなものを好きなように食う>>>他人の眼、ですから。

05/05/13(Fri)

実家から蕗を送ってきた際、お礼の電話のついでに、以前から気になっていることを母親に訊いてみました。それはズバリ、妹(既婚)にはどういう形態で蕗を送っているのか?“えっ、下茹でして・アク抜いて・皮剥いて送るわよ”という当然のようなお返事。

“だってあんた、アクの抜き方がどーのこーの、茹で加減がどーのこーのとうるさいじゃない”とまで言われてしまいました。そんなにうるさく言ったつもりは無いんだけどね。先日全然違うところから下処理の全部済んだ蕗を貰いまして、こんなに楽なものかと感動。一瞬全部やって送ってもらえないかと言おうと思いましたが、やっぱり自分でやります。物好きですから。

05/05/12(Thu)

実家から送ってきた荷物の中に、チシャ菜が入ってました。赤い色をした、白菜のような形のレタスと言えばいいでしょうか。家ではサラダは作らないので、基本的には買うことの無い野菜です。が、来てしまったものは仕方が無い。それにこの野菜、どう考えてもサラダが主目的です。よって、うちとしては珍しくサラダ。まあ、中華スープに入れたり炒飯に使ったりも出来るんですけどね、実は。

当然ドレッシングなどうちには無いので、作ります。一度に一玉など食べきれるわけも無いので、毎回作るのが面倒なドレッシングはまとめて作るしか無いでしょう。買い置きの玉葱をスライスし、塩をしてヌメリをお湯で洗い流したら、塩・胡椒・オリーブ油・酢で強めに合え、プレーンなドレッシング+スライス玉葱という状態にします。これなら冷蔵庫の中でしばらくはもってくれる筈。あとは適量のチシャ菜をバリバリと指でちぎり、このドレッシングの素と合えればOK。

しかしやってみると、サラダってチシャ菜たった2〜3枚でボウル一杯になってしまうんですね。見た目カサはありますけど、その実フワフワで、ほとんど実体が伴ってません。コンビニで数百円で売っている小さなパックに入った野菜サラダ。あれを食べて野菜生活なんて言っている人がいますが、あんなの絶対ノーカウントですよ。量にしてレタス一枚分も入っていないと思います。野菜を摂るなら温野菜、これに限るとの思いをまた強くしました。

05/05/11(Wed)

先日実家から送ってきた大量のエンドウマメ。莢付だとかさばってどうしようもないので、一心不乱に剥いた結果、かなりカサを減らすことが出来ました。惣菜のストックの関係で、明日くらいに煮ようと思ってます。そこで出るのが大量の莢。こればっかりは使いようが無いので捨てるんですが、うちの半月分くらいのゴミの量があります。とはいえ、コンビニのお弁当袋一杯分くらいですが。

今朝やっとそれを捨ててくることが出来て、ホット一息。今日出せるゴミは今日出す、というのがうちの基本ルールです。これは生ゴミに限らず全てにおいてそう。スーパーで野菜を買ってきたら、袋から取り出し、その時に調理しない場合は濡れ新聞紙に来るんでから一回り大きいスーパー袋に入れて冷蔵庫へ。元から入ってきたビニールに入れっぱなしにはしません。卵を買ってきたら、すぐに冷蔵庫の卵ストックへ移し、ケースはかさばらないように小さく切ってゴミ箱へ。

ゴミの量を減らそうなんてサッパリ思っちゃいませんが、早く捨てることだけは心がけてます。捨て損ねたゴミが部屋の隅に積み重なってるなんて、美しくないですから。これを更に推し進めていくと、近所のコンビニのゴミ箱を利用ってなことになるんですが、私はやってません。店の人はダメとは言えないでしょうが、どう考えても苦々しく思っているに違いないですから。あれは、いけません。

05/05/10(Tue)

冷蔵庫の片隅に取り残されたメヒカリの一夜干し(ラスト一食分)。決して忘れていたわけではないのですが、最近優先的に食べなきゃいけないものが多く、すっかり後手に回ってしまってました。昨日、封印されたそのタッパーを開封。明らかに香りが違ってる…。

しばし沈思黙考。こういう場合に重要なのは、“腐っている”のか“醗酵している”のかの判断です。が、うちの場合はモッタイナイの感情が先に立ち、“醗酵している”と判断しがちなのは事実。また、よく噛んで食えば大概のものでお腹をこわす事はないというミソジテーゼもあります。今回ももちろんGO!

小ぶりなメヒカリのはずなのに、焼くほどに部屋中に漂う熟れ寿司の様な香り。違った食品になってしまったのは、決定的なようです。そして、ドキドキの諸食ターイム。さすがにちょっと怖いので、恐る恐るかじってみたのですが、これは、美味い。味わいはまさに焼いた熟れ寿司。鼻へ突き抜ける醗酵臭。今回も私の勝ちのようです。が、再現は難しいでしょうね。気温・湿度の条件が合わないと、多分ダメな菌が繁殖するでしょうから。しかしまあ、一食分くらいならまたダメモトでやってみてもいいかも。

05/05/09(Mon)

ワンタン食べてかない?といわれて残る閉店後の喫茶店。もちろん喜んで残るイヤシイ客一人。期待に胸ふくらませて待つことしばし…が、出てきたのはどう見ても水餃子。“いやね、最初はワンタンにしようと思ったんだけど、ちょこっとだけ具を入れるのがどうも性にあわなくて計画変更。ガッツリ食べられる水餃子にしてみたよ。”

その気持ち、痛いほどよく分かる。ワンタンって元来ラビオリのように、パスタのカテゴリーであって、皮を食べる料理。それはそれで美味しいんだけど、自分で作るとなると、具を詰め込んでボリュームを出したいのはまさに人情。私でもきっとそうします。

ちなみに件の水餃子ですが、島ニンニクを刻んでラー油と醤油であえたものをつけていただきました。テーブルの上には絶対無理・絶対食えねーという量の水餃子がのっていたのですが、食べられるものですね。ツルッとした食感と食欲をそそるラー油・島ニンニクのタレが諸悪の根源だと思われます。今日は食べすぎ。

05/05/08(Sun)

今日の買い物は、水菜ひと束50円×2。かなりお買い得。買った時点では、いつもの様に茹でて醤油・鰹節であえるべと思ってたんですが、急遽気まぐれ発生。キュウリでよく作る中華あえ、これを水菜でやってみようということになりました。とはいえ、別に特別なことも何もなく、ゆでた水菜をよく絞り、先日貰った四川の辛み調味料・胡麻油・醤油・塩でよくあえるだけ。単なる思い付きだったんですが、結構いける。水菜のシャキシャキした歯ごたえ・かすかな苦味と辛味がよくマッチしてます。

こうした思いつきの料理、実は結構よく試すのですが、定番として生き残るのは十にひとつもありません。結局定番で、という風になってしまうことも多い。でも、時に思いつきで料理をするのは、やはり楽しいからですね。どんな味になるのか、前もってイメージはしますが、結果はやはり蓋を開けてみないと分からない、そのスリル感。他に一緒に住んでいる家族がいれば、大変申し訳ない結果になるかと思うのですが、幸い気ままな一人暮らし。何でもアリです。

その意味で、今回は割と成功。後数回作ってみて、香辛料の選択等微調整をしようと思います。その結果、定番になるかならないか、う〜ん、今回は少し見込みがあるかも。でも実は、次にいつ水菜が安く買えるか、それが最大の問題だったりします。今回の量の水菜は通常なら100円〜150円。でも、それじゃ買いません。

05/05/07(Sat)

実家から大量のスナックエンドウが送られてきました。最近農産物の仕送りが増えた気がするんですが、リタイアしてから暇を持て余しているみたいです・母。それはともかく、スナックエンドウというのは莢まで一緒に食べられるタイプのエンドウマメ。前回は全部一緒に火を通して調理してしまい、最後の方は味が落ちてしまったので、今回は趣向を変えて毎回調理する方針で。とはいえ、面倒な筋とりだけは一気にやってしまいます。これなら、冷蔵庫からとり出すだけですぐ使えますから。

最近またマグロのアラの大きなパックを200円で仕入れ、連日焼いて楽しんでますんで、今日は網で焼くそのマグロの横でスナックエンドウも焼いてみました。何も味をつけないやつを、くれぐれも火を通し過ぎないように、歯ごたえとフレッシュさを残すように激注意しながら、焼きます。当然、焼き上がりはマグロよりずっと早い。洒落た感じの醤油皿に塩を入れ、アツアツのスナックエンドウにほんの少しづつつけながら食ったらば、ほんのり火を通すことで引き出されたエンドウの持つ野菜系の甘味が塩で引き立てられ、なかなかいい感じ。

マグロはフライパンで焼いてしまうこともあるんですが、この時はきっと油に負けてしまうので、その場合は味噌汁を作る途中の鍋で軽く茹でてみようかと思ってます。新しく湯を沸かす必要も無いので、無精者の私にはピッタリ。素焼きとはまた違った甘味が出そうで、今から楽しみです。

05/05/06(Fri)

引き出物で貰ったワインがちっとも減りません。どれくらい減らないかというと、使いかけでコルクをはめ、冷蔵庫に放り込んでおいたら、コルクが乾燥して折れてしまい、にっちもさっちも行かなくなったくらい、使ってません。ワイン・オープナーだって、勤務先の台所になぜかあったのを借りてきてるくらいです。というわけで、今週はワインを減らそう週間。いい加減場所をあけてもらわないと、困るんです。

とりあえずワインは勤務先に落ちていた500mlのペットボトルに詰め替え。このへんで、以下に私がワインに愛着が無いかが分かります。そして、作るのは要するに蜂蜜レモンのワイン版。カップに蜂蜜とワインをスプーン一杯くらいづつ注ぎ、少量のお湯で溶かしてから氷を詰め込んで水、それだけ。風呂前にセットして風呂あがりに飲む。まあ、お子様ドリンクなわけで、ぶどうジュースに毛が生えたもの程度なんですが、最近結構暑くなってきていることもあり、なかなかイケル。そして、さすがの下戸の私でも、この程度なら全然平気。これを飲みながら、Tシャツ姿で夕刊を読むわけですよ。気分はすっかりオヤジ。でも、このペースだとあとひと月は無くならないな。ワインの酸化?そんなの知ったことじゃありません。

05/05/05(Thu)

今日は子供の日。オトナの事情で“子供の”となってはいますが、実際は“男の子の”ひです。都内では土地が無いので、見かける鯉のぼりも小ぶりなものばかり。マンションのベランダから、申し訳程度にヒラヒラと舞っているものが多く、たまに大きいのを見かけたと思ったら、幼稚園・保育園のものだったりします。それに反して実家のあたりでは、土地だけはバカみたいにあるので、どこの家でも豪快に巨大な鯉のぼりを飾っていました。私の世代は人数が多いこともあり、あちらでもこちらでもそれが見かけられた記憶があります。

しかし、子供のころの私は鯉のぼりなんてどうでも良くて、とにかく柏餅命。柏の葉の微妙な香りの付いたあの柏餅が大好きで、子供の日になるとバクバク食ってました。おまけに、お茶も飲まずに単体で。今考えるとなぜあれだけ好きだったのかよく分からないのですが、とにかく好きだったんですよ。私が食べた後の皿には山と積まれた柏の葉が…。最近はすっかり甘いものとはご無沙汰なのですが、一個くらい買って食べてみてもいいかなと思ってます。

05/05/04(Wed)

気温が上がってくると、冷蔵庫の中に冷たいお茶を切らさないようにしています。例年は麦茶なんですが、今年はつい勢いで買ってしまったプーアル茶。烏龍茶では普通すぎて面白く無いなという、極めて不純な動機から購入。相変わらずの大人買いで、500g800円ほど。ただ、日本のお茶と違って何度も淹れることを前提とした中国茶はとても効率がいいです。普通の濃さで淹れるとガブガブ飲めないこともあって、淹れるのは薄め。特にプーアル茶は、独特の醗酵臭があるので、濃いと厳しいんです。それなので、2リットルのヤカンに対し小匙半分で十分。全然減りません…。

こうやって自分で淹れてみると、ペットボトルのお茶というのは、すごくいい商売だなと思います。2リットルのお茶が約300円。茶殻出ない・冷えててすぐ飲めるというサービスに対する支払いと考えた方がいいような気がします。うちの実家でも、最近は不精になって常備のお茶はペットボトルになっているくらいですから、かなり浸透してるんでしょうね。でも、うちでは買いません、高いから。

05/05/03(Tue)

実家からの荷物の中に入っていた新玉葱。私は、玉葱は炒めて甘味が出たものが好き。でもまあ、“新”玉葱だしたまには生でもいいか?と思い、今回はオヒタシ風に。皮を剥き、二つに割って芯を取ったら、縦方向にスライス。塩を振って少しシンナリしたらよく洗ってヌメリを取り、下ごしらえ終了。ここから油・塩・胡椒・酢という洋風ドレッシング系の味にしようかと一瞬悩むも、やはり初心貫徹。酢・醤油・鰹節です。どちらかと言うとマイナーな選択ですが、ご飯にはこちらの方があうように思います。ピリッとした酢と鰹節の旨味が、意外にマッチ

しかし、実は炒める料理も捨てがたいですよ。炒め物では、玉葱はどうしても肉や魚の引き立て役になりがち。でも、肉はほんの少しダシ代わりに使った、玉葱ばっかりの炒め物は、炒めた玉葱の甘味がすこぶる美味。後二つほど残っているので、一回は炒め物も作る予定。楽しみ。

05/05/02(Mon)

閉店後の喫茶店、いつものようにダラダラ長居していると、マスターが“ちょっとこれ飲んでみてよ”と、中国茶器セットを持ってきてお茶を淹れてくれました。こんな顔をする時は大体何か企んでいるんですが、とりあえず一口。普通に美味い。すごくフレッシュな、香りのよく立った烏龍茶と言う感じ。正直にその感想を言うと、フフフ、というような表情を浮かべます。その日の朝彼が庭で摘んで、自分で作ったお茶でした…。

茶葉を摘み、半時間ほど日に当ててシンナリとしたら手で揉み、数時間日陰で醗酵させます。それをフライパンで乾煎りし、熱いうちにもう一度手でよく揉めば完成…らしい。いわゆる半醗酵茶のカテゴリーに入るお茶なのですが、半日ほどの時間で出来るとは思いもよりませんでした。また、自分で半醗酵茶を作ろうと考える発想がすごい。そして、何よりも美味い。自分で楽しむ分には十分すぎるほどの味です。そのままお茶のあれこれについて話をして小一時間。その夜も楽しい時間を過ごしました。身近にお茶の木が無いのが残念。あったら絶対試してみてましたね。

05/05/01(Sun)

いつも寄るスーパーのレジに、異常に無愛想な兄ちゃんがいます。無精髭ボサボサ、“いらっしゃいませ・ありがとうございます”の声も超おざなり。礼も体を一度程度しか傾けず、営業スマイル零。スーパーのレジスタッフにあるまじき、愛想の悪さです。が、とにかく作業が早い。

カゴから商品を取り出してバーコードにかざすのは、慣れない人だと読み取れなくて何度も通すことがしばしばなのですが、この人はほぼ一発。特売品などで直にレジ打ちをする場合は、指先が見えないくらい打ち込みが早い。レジに人がつかえると、前の客が財布からお金を取り出す数秒の間も、素早くレジを切り替えて次の人のレジ処理を始める。極めつけはお釣を渡す時で、無造作にレジに手を突っ込んでいるとしか思えないのに、次の瞬間には魔法のようにピッタリの金額が手に握られています。すげー。

これほど愛想が悪いと、通常はそのレーンを避けるのですが、この人は例外。優先的に並んでしまいます。とにかく見ていて気持ちがいい。愛想が絶無なのがかえって味になってすらいます。彼にはこのまま独自路線を爆走していただきたい。

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