2006年10月

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06/10/31(Tue)

ずいぶんと涼しくなってきたうえに、天気もよかったので、安い鶏ムネ肉(2kgで498円)を買ってきて、一夜干しを作りました。買ってきたムネ肉にやや強めの塩胡椒をして一晩味を馴染ませ、日陰で風通しの良い軒下で1〜2日間干したもの。ムネ肉は切らずにそのまま使うので、それぞれの厚さの違いによって、微妙に干し時間を変えます。全部同じ大きさだったら楽なんですけど、袋で大量買いをすると、そうもいかないんですよね。

ムネ肉は水分が多いので、中まで火を通すのは結構時間がかかりますが、干すとその水分が抜けるせいか、火の通りがずいぶんとよくなります。それに、ほかの干物の例に漏れず、旨味がギュッと凝縮されて美味くなり、更に保存性もアップ。冷蔵庫が小さくて、冷凍スペースが小さいうちの事情にも優しいです。ちなみに、今回はやりませんでしたが、この鳥ムネ肉一夜干しに軽くスモークをかけると、絶品の酒の肴になります。以前あるホームパーティーに持っていったところ、狼の群れの中に子羊を投げ込んだかと見まがうばかり、一瞬で無くなってしまいました。加工食品って、ホント手間賃だよなと思います。私がこのスモークを売れと言われても、100g200円〜つけますもん。いや、面倒だからやりませんけどね。

06/10/30(Mon)

毎年この季節になると、ある取引先から職場に丹波の黒豆が送られてきます。この黒豆、枝・泥・虫付なもんですから、“面倒臭い”といって権利を放棄する同僚が何人かいて、非常にラッキー。“そうですよね、面倒ですよね”とか適当に調子を合わせながら、ごっそり貰ってきます。別に難しい事は何もしません。キッチンバサミで枝を払い、塩を振って小一時間。万能蒸し器を入れた鍋で固めに蒸しあげ、新聞紙に広げて扇風機で強風をあてるのがうち流。蒸すのは魚柄仁ノ輔の本からの情報で、こうすると茹でるよりも旨味の流出が少ないんです。茹でるも蒸すも、手間はたいして変わりませんから、だったら美味い方がいいじゃないかという単純思考。蒸した後の枝豆は、速やかに冷やさないと色が悪くなります。水に放り込むのが一番手っ取り早いのですが、これもやっぱり旨味が逃げるという理由で、うちでは扇風機を使います。鮨飯を団扇であおいで冷ますのと一緒。

貰う枝豆、外見は全然よくありません。あちこちに虫食いはあって、泥がついてて、莢自体も所々茶色い点々が入っていて、よくスーパーで売られているような、鮮やかな緑色とは程遠いです。でも、とにかく豆が大きい。普通の枝豆の3倍からの大きさがあって、莢から出すとプリプリ美味い。買ったらさぞや高いだろうなぁ、と思いながら、毎年いただいてます。ちなみに職場では後日、“いやぁ、今年も莢の中に何匹かイモムシが入ってましたよ〜”とある部分を恣意的かつさりげなく強調して報告するのが吉。そうすると、翌年も私の取り分が増えるのです。いいんです、ウソはついてないから。

06/10/29(Sun)

野菜の中で何が一番好きかといわれると、色々ありすぎてちょっと困るのですが、迷いながらも茄子ということになります。小さい頃、今は亡き祖母が、時々野菜の天麩羅を作ってくれました。自家製のカボチャ・茄子・人参・さつまいもなどに衣をつけて揚げたもので、田舎のおばあさんが作る天麩羅ですから、今考えると何度か使いまわした油で揚げる、ちっともカラッとなんてしてない代物なのですが、それでも美味かった。私がその中でも特に好きだったのが、茄子。出現頻度としては、焼き茄子や煮びたしの方がずっと高かったのですが、茄子の天麩羅が出ると、とても嬉しかったのをよく覚えています。茄子と油の相性が良いというセオリーを知ったのは、かなり後になってからです。

というわけで、秋茄子は嫁に食わすなの名言の通り、茄子の季節です。先日買った、5本88円の茄子で作ったのは、小泉武夫流茄子丼。この人の紹介する料理は、時に人の度肝を抜くくらいシンプルで、かつ美味かったりします。この茄子丼も、作り方は簡単そのもの。茄子を5mm厚にスライスし、油を多目にひいたフライパンで両面焼き、それをご飯にのせ、醤油をかける…以上。茄子・油・醤油しか使わないという漢料理ですが、そのシンプルさ故に、茄子そのものの味わいが嫌というほど表に出てきて、茄子好きにはたまりません。ついつい肉系を入れたくなるのですが、不要です。ちなみに、小泉流だと、茄子丼のお供は焙じ茶一本。これもまた、漢らしい。

ところでこの茄子、私の持っている小学館の食材図典によると“茄子の用途はきわめて広範であるが、とりたてて栄養があるわけではない。糖質が主で、ビタミン類は少なく、ミネラル類もほかの野菜と比べて特に多くはない。”と書かれています。切ない。

06/10/28(Sat)

大根が一本78円と格安だったので、迷わずゲット。一人暮らしだからと躊躇したりはしません。知恵と勇気で(?)乗り越えればいいのです。葉の部分は刻んでご飯に炊き込み、大根飯。本体はどうしようかと数秒考え、肌寒くなってきたことだし風呂吹き大根でも作るかと安易に決定。私は基本的に野菜の皮は剥かないのですが、風呂吹きの時はさすがに剥きます。剥いた皮は味噌汁の具へコンバート。皮の方が歯応えがあって美味かったりします。風呂吹きの切り方として専門店では、箸で割って食べるようにかなり大ぶりに切りますが、それだと火を通すのに時間がかかるので、うちではやりません。とはいえ、一口で食べられる大きさだと気分が出ないので、一口+αくらいの微妙な大きさ。ロスが出るし面倒なので、面取りはパス。それほど大きくないので、隠し包丁もやりません。要するに、皮剥いて切るだけ。

これを茹でて火を通すのですが、アクを抜くためと称して米粒入れたりはしません。あんまり効果が実感できないので、そういう事はザックリとパス。昆布などのダシも入れません。只の水煮。中まで火が通ったら、皿にあげて味噌つけて食べます。味噌は味醂や砂糖などで練って甘くするレシピが多いのですが、私は自家製味噌をそのままストレートでつけます。あわせ味噌を作るのはひと手間かかりますし、なにより味噌ストレートで十分美味いですから。

というわけで、実に久しぶりの風呂吹き、美味かったです。中まで熱々の大根に、味噌の旨味と塩気。寒くなったらやっぱりこれじゃなきゃね、という感じ。ちなみにうちでは、風呂吹きの作り置きはしません。温めなおすとどうしてもきちんと中まで熱々にならないので、食べたい時に食べたい分だけ大根を煮ます。切って煮るだけだし、一切れも大きくないから、可能なのです。自分的には十分合理的。

06/10/27(Fri)

先日魚焼き網の話を書きましたが、魚焼き網はその性質上、常に焦げ付きが出来ます。それを取り除くために、私は亀の子ダワシを使っているのですが、これはタワシにとって重労働のようで、あっという間に毛がとれて丸裸になってしまいます。これではタワシがもったいないということで、以来あまりガシガシこすらなくなったのですが、捨てようと思った丸裸のタワシ、意外な用途を見つけていまだに生き残っています。それは、里芋の皮剥き。以前、里芋の皮は包丁を使わず、タワシを使ってこすりとると書きましたが、毛の無くなったタワシがこれに最適。毛の根元の凸凹が、いい感じで里芋の皮をこすりとってくれるのです。

某料理漫画には、同じ理由から里芋の皮をきつく絞った手拭でこすりとるウンチクが紹介されていましたが、この漫画内でも言われていた通り、これは本当に大変。私も一度やってみたことがあるのですが、誇張ではなく本当に指がつりそうになります。それに比べて元タワシは、グリップがしっかりしているので、比較的軽い力で同じ作業ができるのです。おかげでうちの台所には、常にタワシが二つ…ボロいのとキレイなの。何せ、里芋の煮つけが大好きなものですから。

06/10/26(Thu)

魚焼きの網に穴が開きました。うちの魚焼き網は、テフロンコーティングされた四角くて平らな鉄板の皿に網がセットされた形状。火にかける→火からおろすを繰り返すうちに、熱膨張・収縮でテフロンにひび割れが生じ、そこに調理中汚れが残って酸化、というパターンのようです。穴が開いたのは、火力が強くてよく使う、中心部分のそのまた一部のみですが、こういうのって、一旦始まるとあとは坂道を転がり落ちるように広がるのが通例ですから、大穴に成長するのもそう遠い話ではないでしょう。

この網を買ったのは、あんまり正確には覚えていませんが、3〜4年前。100円ショップではなく、デパートの調理器具売り場で買ったので、そんなに品質の悪いものではないと思います。要は消耗品だったってことでしょう。でも、プロが毎日ハードに使うのと違い、うちの網なんて数日に一回使う程度。それが3〜4年でダメになってしまっては、話にならんなという気持ちもあります。調理器具の中でも、かなりハードな使い方をされる部類の品である事は否めないんですけどね。実は、煎餅の空き缶の底を抜き串を使って直火、というのがちょっと憧れなんですが、ガスコンロが激しく汚れるのが難点なんですよね。

06/10/25(Wed)

日頃は結構マメに料理をする私ですが、半年に一度程、今日は何にもする気になれないって日があり、そういう時は素直に外でご飯を食べます。私はこの界隈に通算で10年以上住んでおり、行くのは大体、以前よく通っていた中華料理屋かトンカツ屋。今回は久しぶりにそのトンカツ屋に行ってきました。有名でも何でもない、普通のトンカツ屋。安くて、量が多くて、油っこい、どっちかというと学生向けの店。こういう店に行くと、下手にヘルシーになんて考えず、堂々とロースカツを注文します。一切れ・二切れ目辺りまでは、日頃全く食べない油っこさということもあり、正直美味い。が、その辺を過ぎたあたりからだんだん喉元が苦しくなり、半分を過ぎるともう残そうかなと思い始めます。しかし生来の貧乏性、残すことなどできる筈もなく完食。代金を払い、家路につくと胃の辺りがずっしりと重く、やっぱり家で何か作ればよかったと心底後悔するのです。そして明日からはまた自炊の日々。完全に、Mです。

中華料理屋に行った場合も、大体同じような経過を辿ります。蕎麦屋・寿司屋などのもっとアッサリした選択肢もあることはあるのですが、これらはちょっと胃にたまらなすぎ。20代前半の頃は、週に何度もこれらの店に行き、全く飽きることがなかったのですが、味覚は変われば変わるものです。それは、日頃の食習慣のせいなのか、それとも歳のせいなのか。どっちかというと、後者のせいな気がして、あんまり良い気がしません。

06/10/24(Tue)

秋の味覚の一角である芋。私は里芋を買うことが多いのですが、今回はサツマイモを買ってきました。この時期、サツマイモも美味い。おやつにされる場合も多いですが、私は普通にご飯のおかずとして調理します。とりあえずは、定番炊き込みご飯。サイコロに切ったサツマイモとご飯を一緒に炊くだけ。切って水で晒してアク抜きを…というのはやりません。最近のサツマイモは、そんなにアクが出ません。まぁこれは、野菜全般に言えますけどね。炊きあがったサツマイモご飯は、ご飯とサツマイモの甘味がマッチして、超美味い。秋の炊き込みご飯といえば、一番手はどうしても栗ご飯でしょうが、私はこのサツマイモご飯が負けず劣らず好き。栗は皮剥きガ結構面倒なので、加工が簡単な点も、大きなプラスです。

そして、煮物。私は煮物には砂糖をほとんど使いませんが、サツマイモを煮る時だけは、かなり甘めに調整します(売ってるもの程ではないですが)。そして、クチナシは必須。木綿袋で包んで…というのが定石ですが、別に誰に出すわけでもなし、口の中で気になれば出すだけなので、そのまま放り込みます。ちなみに、同じ理由から面取りもパス。煮崩れるほど煮ませんし。最後に、結構な頻度で干しブドウを投入。サツマイモと相性いいです。急にめっきり秋めいてきました。ご飯が美味しくて美味しくて。いやこれは、いつもの事ですね。

06/10/23(Mon)

先日と同じ喫茶店での話。私は毎週、大体同じ時間にその店に行くのですが、そこでよく会う常連男性がいました。彼は私より10〜15歳ほど年上で、もう20年来その店に通っています。ところがここしばらく彼の姿を見ないので、気になってはいました。先日ふとその事をマスターに訊くと、彼は一瞬顔を曇らせた後、“彼、実家の両親の具合が悪くなって、数ヶ月前に田舎に引っ越したんだよ。僕がそれを聞いたのも、引越しが済んだ後でね…。”と言います。私の偏見かもしれませんが、私を含め、喫茶店に一人で来る様な人種は、人間関係にドライな面があるように思われます。いやぁ、実家の両親の具合が悪くてねと相談→引越そうかなと思ってるんだと打ち明け→実行、というルートよりは、彼のようなルートをたどる人が多いです、多分。かくいう私も、彼の立場に立ったら、同じ事をしてしまいそうな気がします。

でもコレ、傍から見るととっても寂しいですね。いや、喫茶店のカウンター越しに、自分のプライベートに踏み込んだウェットな会話を連発するのは相当嫌ですが、20年来の常連で、店主と客というよりは友人同士という感じになっていたので、マスターにとって彼の行動は、かなり寂しかったのだと思います。いつもは見せないような表情をしてましたから。私自身、この店には10年ほど通っていますが、積極的に自分の事をしゃべったりはしませんし、他の常連とすぐ打ち解けて仲良くなるといったこともありません。アルコールの入らない喫茶店は、そのドライな感覚がウリの一つではあるのですが、しかし、せっかく長年かけて築いた関係なのだから、最後くらいははウェットになってもいいのかな、なんて思いました。

06/10/22(Sun)

先日、お気に入りの喫茶店でお茶していると、隣に座った上品げな身なりをした中年女性と、マスターとの会話が耳に入ってきました。その女性が家で使っている掃除機のコンセントが壊れたので、近所の電気屋さんに持っていったところ、普通のコンセントでは掃除中に引っぱって断線してしまうことが多いからと、わざわざ頑丈なタイプを取り寄せ、取り付けてくれたそうです。コンセントの部品代がが900円で、作業賃が1,600円、プラス消費税。さすがにリッチ層は違うと感心しきり。私なら、東急ハンズに行って数百円の部品を買って終わりにしてしまいます。

というか、地元に昔からある個人経営の電気屋さんって、こうやって採算を取っているんでしょうね。私の住むアパートの大家さんは、高齢のせいもあって、共有部分の蛍光灯の交換を電気屋さんに頼んでいるのですが、蛍光灯本体代(当然定価)+作業賃1,000円程度。量販店で安く本体を買ってきて自分で付け替えるのと比べると、3倍くらいのお金を払うことになります。この差額で、地場の電気屋さんは暮らしているのでしょう。店舗には一応電化製品も並んではいますが、今の時代、特に都心では、こういう店で商品を買う人はあまりいないでしょ。電車に乗って数駅行けば、いくつも大きな家電量販店がありますし、ネットを使える人はそっちで買ってしまいます。駅前商店街は、みんな多かれ少なかれ青息吐息ですが、その中でも、電気屋さんは厳しい部類に入ってそうです。でもね、昔からある店には頑張って欲しいとは思いますが、100W電球を200円+消費税で売られたら、そりゃ近寄りませんよ。

06/10/21(Sat)

私はデイリーポータルZというサイトが好きで、毎日必ずチェックしているのですが、先日そこで、“料理のさしすせそ”は本当に有効かという企画がとりあげられていました。“料理のさしすせそ”というのはくどいかもしれませんが、一応説明すると、料理において調味料を入れる際は、砂糖→塩→酢→醤油→味噌の順番で入れましょうって事です。醤油=“せ”、味噌=“そ”というあたり、かなり苦しいかな…。まぁそれはともかく、ここには一応理由もついていて、砂糖が塩より先なのは、砂糖のほうが塩より分子が大きいから、塩の分子が先に食べ物に入り込んでしまうと砂糖が中まで浸透しないとか何とか。醤油・味噌が後なのは熱で香りが飛ばないようにするためだとか何とか。

で、この企画は“さしすせそ”の順番を変えて同じ料理を作り、それをブラインドで食べ比べるというもの。結果、私の予想通りほとんど味に違いはありませんでした。砂糖が塩より先という理由よりも、まだ説得力があると思われる醤油・味噌が後という理由ですが、10分も20分も煮立てるのならともかく、数分煮立てても、あんまり影響は無い気がします。そりゃまぁ、煮立てないほうがベターには決まっているので、わざとやったりはしませんが、調理手順の都合上、そうなっても別に気にしないかな…と。

料理の小ネタ系って、読んでる分には面白いんですが、果たしてそれが本当に実効性を持っているか疑問なものが多々あります。結果か数値化され、○○をしない場合は味の浸透度○○%、○○をした場合は味の浸透度××%みたいに出るのであれば、クッキリ分かるのですが、料理の特性上、うまくいった気がする…というきわめて主観的な結果しか出ない場合がほとんどです。おまけに人間には先入観というやつがありまして、うまく行くかもと期待してやると、たいして結果が変わらなくてもうまくいったような気がするものなのです。要するに、料理なんて丼勘定でオッケー、適当でGo!ということです。あっ、一応断っておきますが、菓子類は別。あと、お金を貰って提供するプロの料理も、ここには当てはまらないかもしれません。

06/10/20(Fri)

大家さんの家の庭に実った柿を、おすそ分けしてもらいました。やや過熟気味で、私好みです。ただ、こういう非販売用の柿は、あちこちに傷や割れがあります。よくあるのは、先端部分の割れ。ヘタとちょうど反対側の先端部分が熟すにしたがって割れ、そこが真っ黒く変色するのです。食べる時に切りとってしまえばどうという事はないのですが、実が空気に直接触れている状態なので、熟し方も早いですし、腐りやすい。貰った柿の中にも、そういう状態のがかなりあるのが頭痛の種。状態の進んだものは、冷蔵庫に入れて熟すのを遅らせ、その間にガンガン食べていくのですが、私の緻密な計算によると、一日最低2個半は食べないと間にあわなそう…。実家から送ってきた梨も転がっているしで、しばらくはビタミンC不足とは無縁の日々になりそうです。

ビタミンCといえば、今朝の新聞で、タバコの先端に振りかけるとニコチンの8割がビタミンに変わるという商品が摘発されたという記事がありました。これが本当ならば、まさに錬金術ですが、世の中そんなうまい話はないでしょう。でも、この商品は昨年度2億6千万円もの売り上げをあげていたそうなので、世の中にはうまい話に引っかかる人も大勢いるということですね。ニコチンとビタミン、四文字のカタカナであることくらいしか、共通点はないように見えるのですが…。

06/10/19(Thu)

今週はラジオのレーティングが行われており、各番組は色々な豪華プレゼントを用意して、少しでも聴取率を上げようと涙ぐましい努力をしています。その中で、某日本料理店へペアでご招待というのがありました。ここのウリは炊き込みご飯。注文を受けてから、土鍋で旬のものを使った炊き込みご飯を炊き上げるのだそうです。今なら栗やサツマイモ、初夏なら鮎といった感じ。

まぁ、そこには素人にはとても及びのつかない技があるのでしょうし、神経の行き届いた空間でいただくという贅沢感もあるのでしょう。しかし、私はどうも炊き込みご飯を外で食べるという感覚にはならないのです。ご飯は味噌汁と並んで、いわば家庭の味。炊き込みご飯というのは、そのご飯の延長線上にあるもので、いつもは米だけで炊いてるんだけど、旬の栗がたくさん手に入ったからそこに入れてみようか…、そういうノリのものだと思います。殿様が、目黒で食べた秋刀魚が超美味しかったから、城に帰って同じ秋刀魚をオーダーすると、ハラワタは抜かれ小骨は取られ、上品に作られ過ぎてかえってガッカリしたという、あの笑い話にも通じるものがあるような、ないような。あんまり何でもかんでも外でお金払って食べることに慣れてしまうと、食生活つまらなくないですか、とふと思ったラジオのレーティングプレゼントでした。

06/10/18(Wed)

毎週最低一回はウドンを打って食べてるんですが、食べ方はほとんど醤油と鰹節を使ったぶっかけウドン。でも先日、ふと気が向いて久しぶりに“手打ちウドンペペロンチーネ”を作ったら、結構美味かったです。字面的には全然美味そうじゃないですが…。

普通にウドンを打って、寸胴で沸騰させた湯の中に麺を放り込みます。ここまではいつもと一緒。二口あるコンロの内、大きい火の方を寸胴に使い、小さい火の方にフライパンをのせ、オリーブ油と玉葱の微塵切りを放り込み、麺が茹だる間、弱火でジリジリと玉葱に火を通します。そろそろ麺が茹で上がるかなってなタイミングで、刻んだ干し肉・塩胡椒・鷹の爪を入れ、かなり濃い目に味付け。麺と合わさった時にちょうどいい塩加減になるように、勘と経験で調整します。麺をザルにあげてよく水気を切ったら、火を止めたフライパンに麺を放り込み、ざっとひと混ぜして皿に盛り、乾燥パセリを振って完成。この料理の場合、玉葱・干し肉などのエキスが出た油と麺を混ぜ合わせるだけであって、焼きウドンを作るわけではないので、麺を入れる時にはフライパンの火は止めておきます。キノコ類があれば、入れるとパッチリ合うはずですが、今回は手元に無かったので省略しました。

料理の特性上、かなりオイリーでしつこいので、ぶっかけウドンの王座を脅かすようなメニューにはなりえないのですが、たまにコッテリしたものが食べたいなという時にはいいかなというメニュー。これからも10回に1回くらいは作ろうかなと思ってます。

06/10/17(Tue)

小松菜が一束78円と格安だったので、太っ腹にも2束買ってきました。ネットでレシピを検索すると、小松菜のレシピなんて星の数ほどあるんですが、私にとって小松菜料理といえば、オヒタシしかありません。奇をてらう必要はナシ。小松菜買ったらオヒタシにしとけ、ってなもんです。

調理はいつものように手順重視。家に着いたら、着替えなどをする前に、ボウルを火にかけます。両手鍋を使うのが王道なのですが、小松菜のようなかさばる葉物は、ボウルのように口が大きく広がったものを使ったほうが、茹でやすいと思います。着替え終わった頃にちょうど湯が沸くので、小松菜を放り込んで30秒。すぐに火を止め、余熱でもう少し火を通したら、ザルにあげて水に放し、絞って味付けすれば終了。そして、小松菜のオヒタシの味付けといえば、塩・醤油・鰹節と相場が決まっています。

世の中には星の数ほどのレシピ本やレシピサイトがあって、昨日とは違う料理、食べたことのない変わった料理のレシピを求め、東奔西走する人がいます。まぁ、それはそれで好奇心旺盛よろしいなとも思うのですが、一方では、自分だけのド定番を固め、その精度を高めながらマンネリに安住して暮らすのも一つの道なのではないかと。小松菜→普通のオヒタシで良いではないですか。あっ、あと鍋に入れても美味いですよ。それくらいかな。

06/10/16(Mon)

小麦粉のストックがずいぶんと減ったので、買ってきました。某100円ショップで1kg100円のものを2袋。これを3〜4週間かけて使うので、一般家庭としての小麦粉消費度合いは、かなり高めな方だと思います。私の周囲には料理好きの人が結構いますが、何故か小麦粉料理に手を伸ばしている人は私くらいのもの。作ったとしてもせいぜいお好み焼きまでで、これでは小麦粉登山のせいぜい三合目といったところです。小麦粉料理は実に裾野が広く、パン・ウドン・お好み焼き・すいとん・餃子などなど、洋食から和食・中華まで、分野を問わず多彩です。全部に手を広げる事はとても出来ませんが、この分野を上手く自分のレシピに取り入れると、レパートリーの幅がぐっと広がると思います。おまけに安い。ムニエルなど脇役としてではなく、ウドンなど小麦粉を主役に据える料理だと、一食100gもあれば成人女性には十分。男性でも150gくらいなので、1kg100円の小麦粉を使えば、材料費は一食10円〜15円。これは同じ量の米の1/3〜1/4程度の価格です。

ここで、小麦粉料理大好きな私が考えるコツをひとつ。小麦粉料理のコツは、同じレシピを定期的に何度も作る事に尽きると思います。小麦粉料理はほとんど、小麦粉と水を混ぜ合わせて○○するというものですが、決め手はとにかくこの水の量。数パーセントの誤差が出来上がりを大きく変えてしまうので、理想的な状態を頭ではなくて手で覚えることが重要です。大まかな量はスケールを使えばいいのですが、気温・湿度による微調整は手の感覚でなくては無理なのです。この辺が、小麦粉料理を難しく・面白くしている部分だと思います。

06/10/15(Sun)

職場にくる野良猫に餌をやっていたら、かなり慣れてきました。野良なので、基本的には触らせてもらえませんが、餌を食べている時だけはオッケー。餌をやっているスタッフの顔を見ると鳴いてリクエストを出すほど、人の顔も覚えたようです。先日そのうちの一匹が、私の目の前でブロック塀に駆け上ったのです。前足で塀の上をつかみ、後ろ足をはじめとする体全体は、まだぶら下がっている状態。そんなの目の前で見せられたものだから、つい反射的に後ろ足をつかんで軽く引っぱってみました。ずり落ちまいと必死に前足で耐えるも、全く力が入らず、長〜く伸びてしまうのがカワイイ。“何すんだ、コラッ!”という抗議の声もどこ吹く風。思わずしばらく遊んでしまいました。

散々遊んでから放してやったら、意外にも逃げずに近寄ってくるので、相手も案外この遊びが気に入ったかなと思ったら、私の向う脛に猫パンチ一閃。やっぱり嫌だったのね。でもまぁ、私の前で無防備にあの体勢をしたら、またやりますが。都心は結構野良猫が多いですが、野良ライフは想像以上に厳しいらしく、平均寿命は2〜3年といったところだと聞きました。先日も、家路の途中で車にはねられて絶命した野良猫を見ましたが、車・飢え・寒さなどなど、敵は一杯。餌をやっている猫には長生きして欲しいですが、なかなか厳しいかもしれませんね。

06/10/14(Sat)

久しぶりに今日の夕食一覧、いってみます。ご飯と味噌汁、これは毎回必須です。先日の日記に書いた、破竹と鶏肉の煮物。あと4〜5日分は軽くありそうな勢い。飽きたら、途中で味を変えるかもしれません。焼鳥。先の煮物にだいぶとられてしまいましたが、やっぱり食べたいので焼きます。大根膾は、一週間ほど前の嵐の時に一本50円で買ったものを淡々と消費中。葱とワカメの酢味噌和え・里芋を黒砂糖で甘めに煮たもの・イモガラと油揚げの炒り煮。葱・里芋・イモガラは、実家からの荷物に入っていたものです。山女の甘露煮も、実家からの荷物の中の一品。白菜の浅漬けは自家製。半玉78円の特売品を加工したもので、これはうちの大定番になっており、味はかなり安定しています。

大小とりまぜて、一汁八品。ただしその場での作業は、焼鳥を網で焼くのと、里芋の煮物をレンジで温めるくらいで、あとは冷蔵庫のタッパーから出してきただけなので、全工程15分もあれば余裕で準備はできます。品数が多いと、体調も崩れにくい気がするので、こんな感じの食卓です。一見大変そうですが、慣れると全然楽勝ですよ。

06/10/13(Fri)

同僚から、田舎から送ってきたという破竹の水煮を大量に貰いました。うちの両手鍋で煮物にすると、四回分くらいの量があるので、とても一度には処理できません。といって、冷蔵庫にこれだけのものを収納しておく余裕は無し。というわけで、“食品の保存に困ったら塩か乾燥”という原則にのっとり、塩漬けにすることにしました。ザルにあげてよく水気を切ったら、塩と破竹を交互に重ねていきます。使う際に塩抜きをすることが前提なので、とにかく塩多目。ザッパザッパ塩を振ります。この先ひと月は、破竹の日々が続くでしょう。

塩漬けにしたのは、両手鍋三回分。あとの一回分は、塩漬け作業の横で煮物に加工。ちょうど、焼鳥をしようと味醂醤油に漬け込んだ鶏肉が冷蔵庫に入っていたので、ダシはこの鶏肉と昆布に決定。今回は気分で、味醂と砂糖を使って甘めコッテリの味付けにしてみました。両手鍋に筒切りにした破竹と鶏肉を入れ、鍋が沸いたらアクをとりながら煮ること約5分。火を止め、蓋をして、いつもはご飯の蒸らしに使っているダンボールの中で保温すること約1時間。ふっくら鶏肉と、その旨味を十分に吸い込んだ破竹。ご飯にとてもあいそうで、大満足です。

06/10/12(Thu)

朝、ラジオを聴いていると、コンビニATMのCMが流れていました。旦那さんが奥さんにお使いを頼まれてコンビニへ→レジで財布を開くとお金が入っていない→お客様、コンビニATMがありますよ→一件落着という流れなんですが、なんだかちょっと不快な気分になりました。ここでまず非難されるべきなのは、出かける前に財布の中身をチェックしなかった旦那さんだと思うのです。ところがそこは当たり前の前提にしておいて、コンビニATMを勧めるというのは、財布を忘れても我々がフォローしますよということなわけです。

日本全体が豊かになり、ちょっとやそっとのモノでは売れなくなって、以前から考えると余計なお世話としか思えないモノ・サービスを提供して対価を得る。これらは時代の要請かもしれませんが、私は違和感を覚えます。お金を頂ければ何でも我々がやりますから、お客様は何にもしなくていいんですよ、という流れはどうも嫌。事実、一人一人の能力は一昔前に比べて確実に落ちてきていると思います。銀行ATMが開いている時間を考えてお金を引き出しにいく…、なんてことしなくても、手数料さえ払えば一日中コンビニATMは開いている。便利かもしれないですが、やっぱりちょっと嫌ですねぇ。

06/10/11(Wed)

いつも味噌汁に入れるワカメは、業務用スーパーの大袋入りのものを使っているのですが、ラストに近くなってくると、かなり粉々。味噌汁の具にしても、箸に引っかからないという事態が起きてきます。味と香りは一緒なので、気にしなければ別に問題はないのですが、こうなったワカメによりふさわしいのは、味噌汁ではなく炊き込みご飯。炊き上がって蒸らす直前のご飯に、乾燥状態のまま放り込み、蒸らし終了後さっくり混ぜ合わせると、簡単ワカメご飯です。

昨夜も、この簡単ワカメご飯を作りましたが、蒸らしの最中に香りがご飯全体に回るのでしょう。大した量を入れていないのに、ワカメの良い香りが立ち上ります。市販の混ぜご飯の素を使っても、似たようなものは作れるのですが、自家製のものは化学調味料のくどい味がしないので、こちらのほうがオススメ。おまけに、“使い切った!”という快感も味わえて、二度お得。使い切った空の袋を捨てるのが、これまた気持ちいいんですよ。

06/10/10(Tue)

時期的に少し早いですが、ホウレンソウが一束88円と安く売っていたのでゲット。私、葉物の中でホウレンソウはかなり好きな部類に入ります。このホウレンソウ、火を通しさえすればどうやっても食べられるので、グラタンとか炒め物とかいろんなレシピが出回っていますが、私はやっぱりお浸し一本槍。歯応えと香りを失う火の通し過ぎに気をつけながら、サッとゆがいて水に放してしばし待ち、絞って醤油・鰹節などであえる超定番。私がホウレンソウを手に入れた時に作るのは、十中八九これと決まっています。

でも本当は、この鰹節を釜揚げのシラスに置き換えたものが一番好き。本当に大好物なので、実家では頻繁にリクエストして作ってもらっていました。ただ、一人暮らしだと一度作ったお浸しは食べ切るのに数日かかるため、足のはやいシラスはちょっと危険で、二の足を踏んでしまいます。いや、鰹節で作ったって十二分に美味しいんですけどね。

ちなみに、ホウレンソウで一番美味しいのは一番元のやや赤みがかっている部分です。安易に捨ててしまいがちですが、とんでもない。束が大きい場合は茹でる前に適当な大きさに包丁で割っておけばオッケー。一番甘くて美味しく、旨味がつまっている部分だと思います。ただその分アクも強いらしくて、一晩おくと真っ先に変色してしまいますけどね。まぁ、あんまり味には関係ないので、気にしない・気にしない。

06/10/09(Mon)

二十世紀梨を貰いました。これから梨・柿を食べる機会が増えていくのでしょう、季節を感じます。ところで私は、二十世紀梨は初体験。この梨は、幸水・豊水・新高など現在では主流となっている品種が開発される以前には、長らく主流だったのですが、今ではこれら新品種に押され、すっかり作付面積が減っているようです。私も、名前を聞いた事はあったけれど、実際口にした事は初めて。

まず見た目からして、今主流の品種とは全然違います。幸梨などが赤梨と呼ばれるのに対して、青梨と呼ばれているように、皮が薄い緑色で、梨というよりもむしろ青リンゴといった風情。そして肝心の味の方は…、あぁこれは新品種に押されるのも無理はないなぁという味でした。新品種はくどいくらい甘さを強調しているのに対し、二十世紀梨はもう少し野性味のある味。糖度は低く、酸度が高いです。リンゴの世界で生食としての紅玉が絶滅危惧種になっているのと、全く同じ理由である気がします。

決して不味くはありません。でも、幸水や豊水を食べ慣れてしまうと、イマイチ物足りなく感じてしまうのも事実。酸味が高いので、専ら加工用に回った紅玉と同様、コンポートなどにすると、勝機が生まれるのかなと思ったりもしました。

06/10/08(Sun)

この辺では、可燃物の収集が週二回・不燃物の収集が週一回という頻度になってるので、都合週三回ゴミを出すことになります(資源ゴミは除く)。そして私はそれぞれのゴミに対して一個ずつゴミ箱を用意し、その中にスーパーのレジ袋をセット。ゴミの日にはそのレジ袋を引き抜いて収集に出すという手順をとってます。こうやって袋を引き抜く際に、中がチラッと見えるのですが、その瞬間が小さな幸せを感じられるかどうかの分岐点。余計なゴミが全く無く、全体がコンパクトにまとまっていると、プチ幸せ感にしばし浸ることができます。一方そうでない場合は、“チッ”という感じ。

そうでない場合の内訳は大体決まっていて、ほとんど実家から荷物が届いた場合です。新聞紙を丸めたものや発泡ウレタンが緩衝材として入っているので、それを捨てなきゃいけないのですが、ゴミの袋の美しさを損ねてしまうのです。実家からの荷物はありがたいですし、まさかこれらを入れるなとは言えないので、いわば必要悪なのですが、美しくないものは美しくない。新聞紙は伸ばして古紙回収の束に混ぜてしまう手もあるのですが、これが案外手間がかかり、たかがゴミにそこまでするのもどうかと思うので、不採用。こんな細かいことにと自分でも笑ってしまうのですが、美しく決まったゴミ袋って、結構気持ちがいいものなのですよ。

06/10/07(Sat)

先日の東京は、台風かと思うような大雨。こんな大雨の日は、買い物をするのが吉です。大手のチェーン展開しているような店はそうでもないですが、私が行っているような個人商店に毛が生えたようなスーパーは、多分小回りが利くからなのでしょう、雨が降って客足が途絶える日には、何らかのサービスをすることが多いです。ポイント○倍とか、○○緊急特売とか。そういうのを逃さずゲット。

今回の雨は横殴りのひどい雨で、一刻も早く帰りたい気持ちもあったのですが、それをぐっとこらえ、スーパーに回って大正解。一本50円の大根と、半玉78円の白菜をゲットしました。こういうのがあるから、雨の日のスーパーは止められません。でも、やっぱり客足はかなり悪いのでしょう。これだけの特売品が、夕方の繁忙時以後に行ってもかなり残っていました。スーパーを経営する側としては、こんな雨は願い下げなのでしょうね。

06/10/06(Fri)

風呂場で体を洗うのに使っている日本手拭が、寿命を迎えました。手拭はかなり丈夫な布なので、ちょっとやそっとじゃ傷みません。それなのでガンガン使っているのですが、それでも分類上は消耗品。特に両端を持って背中を洗う動作の負担が大きいらしく、決まって左右から1/3あたりの部分の糸が、プチプチと切れ始めます。いったん切れだすとあとは加速度的にほころびが広がっていくので、この辺でお役御免。某手拭コミュ(こんなのがあったのにもビックリですが)では、傷まないように使い終わったら丁寧に手洗い・陰干しなんて書いてありますが、手拭専門店の凝った手拭ならいざ知らず、やっぱり手拭は消耗品だと思うのですよ。だから、洗濯機でも洗いますし、天気のいい日は日に当ててパリッと乾燥させます。

最近安手のタオルは手に入ることが多いのですが、手拭を貰う機会はめっきり減りました。ですが、実家の母に相談したところ、昔貰った死蔵品がいっぱいあるとのこと。こうして、困らないことが分かったので、使い倒し熱に拍車。ちなみに、お役御免になった手拭ですが、次は雑巾としての人生が待っています。ほころびた部分を上手くカバーするように折って縫い合わせ、転生。今使っている雑巾が、雑巾としても寿命に近付いてきたので、ちょうどいいタイミングです。こういう風に物を使いまわしていくのって、気持ちいいです。性分なんでしょうね。

06/10/05(Thu)

十月はラジオ番組の改変期。番組の担当者や内容がかなり変わります。私は朝起きるとまずFMラジオをつけるのですが、非常に違和感があるのがその時に耳に入ってくる声。よく聴くのはJ-WAVEという、東京のローカルFM放送局。ここの朝の声は、ジョン・カビラと相場が決まっていたのです。この人、サッカー解説(?)などでも有名ですが、とにかくテンションが高くて声がでかい。最初に聴いた時は、朝の番組はもっと静かで落ち着いた声の人がいいなぁと思っていたのですが、慣れとは恐ろしいもの。妙にハイテンションで耳に残る、彼の“ぐっども〜〜〜にんぐ、と〜〜〜きょ〜〜〜”という雄叫びを聞かないと、一日が始まった気がしません。

一方、新しい担当者は別所哲也。この人は声も落ち着いているし、悪くないんですが、いかんせん今まで日曜日の夜を担当していたために、私の中では別所=夜の人というイメージが刷り込まれており、どうも気分が乗っていきません。それに、しゃべりもあんまり好きじゃない。まぁ、一ヶ月もすれば慣れるでしょうけど。

ジョン・カビラは、今まで全力疾走しすぎたために、ここらで一息入れるため、担当しているテレビ・ラジオの番組を全て降板して、長い旅に出るそうです。すごい勇気と思い切りだなぁと感心しきり。色々考える事はあったんでしょうけどね。でも、ジョン・カビラはクリス・ペプラーと並んでJ-WAVEの顔とも言うべき人。しばらく後に帰ってきて、また朝の番組を担当してくれないかなと思っています。

06/10/04(Wed)

私の職場には、お弁当を持ってくる人が何人かいますが、そのうちの一人の話。彼女は40台半ばで、いわゆるパラサイトシングル。食事の仕度は、80歳前後の母親の役割で、お弁当も当然母親が作ってくれたもの。一瞬“えっ?”と思いますが、これは料理のできる彼女が、家庭内での母親の役割を奪わないように配慮した結果だそうなので、そうかなと思います。何もすることがないと、呆けてしまいますからね。

どうにも気になるのは、このお弁当本体の方。いえ、中身には興味がないです。彼女のお弁当箱の中には必ずラップがピッチリしかれており、食べ終わったらこのラップを捨てるだけでオッケー。洗う手間が省けるというわけです。お弁当箱の端から、必ずラップがはみ出ていたら、そりゃいくら不注意な私にも目に入りますって。

私は自宅ではほとんどラップを使いません。たっぱーや濡れ新聞紙を使うことで、一般的にラップが使われているような場面を回避しています。数年前に業務用スーパーで買ったものがあるのですが、さすが業務用のとんでもない量ですので、この使用頻度では一生物になってしまっても、不思議ではない状況。そんな私には、彼女のラップの使い方が勿体なくて仕方がないです。いや、別に何にも言いませんけど、不精しないで洗えばいいじゃないかと思うですよ。

06/10/03(Tue)

知り合いに、元料理店オーナーで60歳過ぎの男性がいます。この人、中学を卒業とともに東京の有名和食処に住み込みで弟子入り。その後独立して、結構な繁盛店を作ったのですが、60歳を前に事業を人に譲ってスッパリ引退。今は田舎で悠々自適という、非常に羨ましい生活をしています。この人としゃべっていて、とても面白いなと思ったことが一つ。

彼が15歳で弟子入りをした時に親方から、“一流の料理人になりたかったら、○○を口にしてはいけない”と言われ、それを頑なに守ったのだそうです。何だと思う?と彼に訊かれ、酒・タバコと誰でもすぐに思いつくような答えをしたところ、不正解。答えは意外にも“甘いもの”。味の構成要素には代表的なものとして、酸っぱい・苦い・甘い・辛い・塩辛いなどがありますが、舌の感覚器官の上で一番持続するのが甘さ。羊羹のような甘いものを口に入れると舌が麻痺してしまい、ちょっとやそっと口をゆすいだくらいでは、細かい味の違いが分からなくなってしまうというのです。タバコも舌を麻痺させますが、その影響力は砂糖と比べると可愛いものだそうで。ですから彼は、今でも甘いものは絶対に口にしません。もうプロとして料理をしているわけではないのですが、長年作られてきた習慣なので、甘いものを口にすると気持ちが悪くなるのだそうです。

ネットや本などのメディア上では、ほとんど聞いたことの無い説ですが、私は実体験に照らして結構納得しています。確かに甘いものは舌を麻痺させます。和菓子なんて、その麻痺した舌をお茶で洗うのが醍醐味ですらある気がします。私も全く口にしないというわけではないですが、どちらかというと甘いものは苦手。彼の話を聞いて以来、何となく一層甘いものを敬遠するようになりました。

06/10/02(Mon)

行きつけの喫茶店で、常連の一人が出身地の静岡から送ってきたという、イルカの肉を食べました。鯨は食べたことがありますが、イルカは初めてで興味深々。肉の色はかなり黒いです。これは鯨と共通。私が食べた肉は、1cmほどの厚さにスライスしたものを、塩ベースの漬けダレに浸し、表面が乾く程度に乾かしたもので、要はクサヤの製法と一緒。ただ、あれほど強烈な臭いはありません。それを軽く炙って食べます。

子供の頃食べた鯨はとても固かった記憶があるので、イルカも固いかなと思ったら、全然固さはありませんでした。まぁこれは、部位の問題もあるでしょうから、一概にイルカ=固くないとは言い切れないと思います。で、食べた時の印象ですが、とにかくかなり臭い。私が食べた肉はきちんと血抜きをして料理しているので食べられないほどではないですが、口の中一杯に獣臭さが広がります。味は…まぁ…それなり。帰ってきてからネットで調べてみると、どこのサイトにも臭いと書いてあり、やっぱりそうなんだと思いました。生肉を買ってきてカレーに入れたけど食べられなかったというレポートもあって、臭さの特効薬カレーでもダメなのかとビックリ。

調べてみると、値段は100g100〜150円くらいとそんなに高くはないですが、私が静岡に住んでいたとして、買って食べるかと言われたらNoです。別にイルカはかわいいから食べられない、なんて事は言いません。食べられるものは何でも食べます。純粋に味の問題。でも、現地では酒の肴として根強い人気があるそうですから、慣れるとあの臭いにはまるのだと思います。いい話のタネになりました。

06/10/01(Sun)

新聞をとっていると、月末に古新聞を入れる紙の袋をくれます。ここに一ケ月分の古新聞を入れて古紙回収の日に出すのですが、この容量がかなり微妙。上京してきた際に驚いたことの一つに、折り込み広告の多さがあります。うちの実家でとる新聞に挟まれてくる広告なんて、ペラ数枚がいいところ。ところがこっちは、新聞本体と同じかそれ以上の日が珍しくありません。最初は本気で“毎日が正月特別号みたいだ”と思いましたよ。というわけで、この広告のせいで、一カ月分の古新聞を想定している古新聞紙袋は、容量が足りません。言えば貰えるんでしょうけど、自動的にポストに入っているので、わざわざ追加で頼むのもちょっと。

おまけに、古紙回収の頻度は2週間に一回なので、タイミングが悪いと40日位出せない時があります。そんな時には古新聞置き場が溢れて、ちょー美しくない。それもこれも古新聞袋に頼っているのが悪いのだという事にやっと気がつき、スッパリ利用を止めました。かわりに準備したのが、新聞を四つに折ってピッタリ入る段ボール箱。この段ボール箱の蓋を切りとり、毎日読み終わった新聞を、かさばらないよう折り目の位置を変えながら入れていきます。それを、2週間に一回紐でしばって出す、これだけ。古新聞袋を使った場合、上部に余裕があるとつい出すのを次回に送ってしまうのですが、これだと毎回きちんと出せて、古新聞置き場が片付きます。紐をかける手間は増えましたが、トータルでは良い方にすすんだのではないかな、と思ってます。相変わらず、こういうところ(だけ)は神経質だな、オレ。

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