2006年11月

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06/11/30(Thu)

愛媛に出張に行った同僚から、“てんぷら”をお土産に貰いました。東京で“てんぷら”というと、海老・イカ・野菜といった生鮮素材に、水で溶いた小麦粉をからめて揚げたものを指しますが、あちらでは東京で言うところの“薩摩揚げ”を“てんぷら”と呼ぶそうです。では、東京で言うところの“てんぷら”はあちらでは何と呼ぶのでしょうか?これは同僚も答えられませんでしたので、謎。

この“てんぷら”、冷えたままでは大して美味しくありませんので、温めるのが吉。温め方としては、網で焼くのが一番よいと思います。魚を焼くが如く網にのせ、表面がうっすらと焦げるまで、時々ひっくり返しながら焼きます。それを、噛み応えが残るように、やや大きめの一口大に切っていただくと、美味い。東京でも手に入らなくはないんですが、地方直送のやたら高いものであったり、王手が作ったあまりにも美味しくないものであったり。手頃な価格で美味しい“てんぷら”は滅多に手に入らないのです。

しかし、欲を言えばこの“てんぷら”も、やっぱりアミノ酸等過多。魚の旨味をアミノ酸等が遥かに凌駕してしまっているのが、非常に残念です。鍋などに入れて、味を散らせばそれなりに食べられるのですが、ただ焼いて食べるのはちょっと厳しい。いつか本当に魚だけの“てんぷら”を食べてみたいと思うのですが、自分で作らない限り、成就の可能性は低いのが現実かもしれません。でも、面倒臭いんですよね、これを自分で作るとなると。

06/11/29(Wed)

先日の水炊き、ほかのオカズとの兼ね合いで、雑炊まで辿りつかない事があります。そういう時は、無理をせず雑炊中止。次の日に持ち越せばよいのです。夏場なら、タッパーに移し変えて冷蔵庫に入れておかないと、傷んでしまいますが、今の時期なら土鍋に入れたまま台所の片隅に置いておいても大丈夫。こういうスープはうっかりすると捨ててしまいがちですが、こういう所に旨味が凝縮されているわけで、捨ててしまうなどとんでもないことです。量が足りない場合は、酒・水などで増量した後、塩で味を調えて使います。

煮物の煮汁についても同様の事が言えます。残った煮汁はつい捨ててしまいがちですが、これまたとんでもない事です。ケース・バイ・ケースですが、魚の煮汁は煮凝りになるし、野菜の煮汁は他の煮物に転用したり、味噌汁に使ったりすることも出来ます。これらは最初からダシが入っているので手間も省け、時間の経過とともに味も馴染んでいるので、一挙両得。塩分の摂り過ぎに注意しましょう→煮汁は捨てましょうというのは、確かにもっともその通りですが、やっぱりもったいない。塩分の摂り過ぎにならないように、何回かに分けて食べてしまうのがベターだと思います。

06/11/28(Tue)

遂に冬のド定番、水炊きに手を出してしまいました。白菜はしばらく前に買って冷蔵庫にストックしておいたやつ。半玉78円の特価で、葉を数枚も使えば一人分には十分。鶏肉は、閉店間際で半額になっていた鶏モモ肉。安さではムネ肉に軍配が上がりますが、水炊きにするとなるとやっぱりモモ肉でしょう。

料理本によっては、モモ肉は余分な脂身を切り取り、熱湯をかけて臭みを消しましょう、なんてありますが、売り物にするわけでもないし、このスーパーで臭みが気になる鶏肉に出会ったこともないので、全てパス。一人用の土鍋に水を張り、酒少々。昆布と一口大に切ったモモ肉を入れて点火。モモ肉に8割方火が通ったら、白菜の白い部分を投入。そこにも大体火が通ったら、残った青い部分を投入して、蓋をかぶせて消火。

タレは、市販のポン酢とか使いません。醤油と酢を適当に混合し、そこに貰いものの柚子を絞り、柚子の皮の部分をおろし金で少し削ってこれも投入。食べる時に七味唐辛子をパラリと振ると、趣が出てよろし。ここまで総作業時間10分弱。一人鍋だと沸くのも早いので、あっという間にできるのです。しかし、一人鍋とはいえ押さえるところは押さえます。具を全部食べ終わったあとの汁を使ってオジヤまでやってこその水炊き。水炊きは安くて早くて美味くて、完璧ですね。今年の冬も、何度もお世話になることと思います。

06/11/27(Mon)

現在台所の隅には、リンゴ一箱(15個入り)、ミカン一箱、柿5〜6個、銀杏適宜が転がっています。これ全て、食後のデザート用。自分で買ったものは何ひとつなく、全てが貰い物。ありがたいことです。この山を眺めていると、時に“ひょっとしたら一人暮らしでこれを全部食べ切るのは不可能なんじゃないか”などと思ってしまいますが、そんな心配は無用。いくつかのポイントを抑えれば、食材を全く無駄にせずに食べきる事は、簡単です。

とにかく一番重要な事は、スケジュールを立てて計画的に少しずつ食べていくこと。今回はいっぱい食べたい、今回はあんまり食べたくないとか言っていると、減りませんし腐ります。また、一回の量の設定が多すぎると、すぐに山を見るのも嫌になってしまいます。ちょっと足りないかな位の量を、回数多くこなすのがコツ。うちでは、朝・昼・晩・夜と一日四回に設定。また、当然ですが傷みやすいものをスケジュールの頭に優先して持ってきます。今回の例なら、頭一つ抜けて優先度が高いのが柿。あとは結構もちます。ただ、運送中に傷ついてしまっていることも考えられるので、本来なら長持ちすべきリンゴ・ミカンも時々ひっくり返して傷み始めていないかチェックする事は重要です。腐敗の臭いに敏感になるのもポイントかも。危ないのが出現した場合でも、部屋に入った瞬間に微妙な空気の違いで感知できるようになると、強い。

果物は、野菜と比べると格段に高いので、このように貰い物が溢れている状況は非常にありがたいです。巷では、飽きたらジュースやお菓子になんて推奨されることも多いですが、私はこのような食材はそのまま食べるのが吉だと思っています。せいぜい、食べきれないリンゴを干すくらい。ビタミンバッチリで、今年も風邪知らずで乗り切りたいものです。

06/11/26(Sun)

私のモノズキっぷりを知る職場の同僚が、これ要らないかと持ってきてくれたのは、蕎麦猪口。かなりの年代もので、あちこちにニュウ(ひび割れ)が入っており、水漏れがひどかったのに加え、最近口が少しかけてしまった事が決定的となり、お払い箱になったようです。確かにひどい状態ですが、なんともいえずアジがあり、超私好みだったので、喜んで貰ってきました。

問題点は三箇所。1. ニュウ周辺の黒ずみ。多少の黒ずみはアジとして活かせますが、これはひどすぎ。2. 水漏れ。3. 口欠け。一つずつ対応すれば、何とかなりそうです。まず1は、濃い目に漂白剤を溶いた水に漬けておけば、かなり改善するはず。焼き物の種類によっては模様まで消えてしまいますが、今回貰った印判物は大丈夫。まずこれで、黒ずみを消します。次に2。これは瞬間接着剤を流し込めばかなり改善するはずですが、1の作業直後、ひび割れから水分が中まで浸透している状態でやってはダメ。数日間かけてよく乾燥させ、瞬間接着剤の流動性を少しでもよくするために、器全体を温めてから作業をします。

ニュウには所々欠けがあるので、これは3と同時に対処。エポキシパテを使って欠けを埋め、リューターで凹凸がなくなるまで削ってから表面に金箔(製菓用)を貼ればオッケー。サンドペーパーでも出来なくはないのですが、どうしても周囲まで削ってしまうので、リューター推奨。普通は持ってませんが、私はモノズキなので持ってます。

本来はこれ、金継ぎといって漆や膠を使ってやる作業なのですが、漆はかぶれるし、乾燥のための湿度管理が大変なので、私はやりません。商売としてやるなら、エポキシなんて言語道断ですが、捨てられるしかなかったものが復活して愛用されるようになるのですから、それくらいのお手軽さは許されていいのかなと思ってます。ノリとしては、プラモデルに似た部分がありますが、違うのは完成品が実用品であるかどうかという点。子供の頃、飽きるほどプラモデルにのめりこんだ性格は、基本的に変わっていないようです。

06/11/25(Sat)

11月も終盤に入り、めっきり冷えるようになってきたので、先日湯たんぽの使用を開始しました。4〜5年ほど前に使い始めた頃は、“湯たんぽ?また、酔狂な。”くらいの反応が多かったのですが、最近はすっかり見直されているようで、近所のドラッグストアの店先にも大量に置かれるようになりました。嬉しいことです。うちのは昨年二代目にチェンジ。初代はブリキ製でカッコよかったのですが、使い続けるうちに一部がへこみ、そこから錆びて穴が開いてしまったので、引退。本当は二代目もブリキにするつもりが、なぜかオレンジ色のあんまりカッコよくないプラスチックになってしまいました。まぁ、温かければいいんですよ。

湯たんぽ選びのポイントは、とにかく大きいこと。大きいと冷めるのが遅いので、朝方までぬくぬくの湯たんぽを楽しめます。銅製の1万円ほどもする高級品もあり、熱伝導率が良いとうたっていますが、個人的にはあんまり関係ないんじゃないかと思ったり。布団の中で長時間放置するので、多少熱伝導が悪かろうが、温まります。逆に、こんなの買ってブリキの時のように凹んで穴が開いたら目も当てられないので、ちょっと欲しかったのは事実ですが、“湯たんぽは消耗品”と割り切って、廉価品をチョイスしました。

朝は給湯器を全く使わずお湯が使え、電気アンカと違って電気代も不要(ガス代は要るけど)。前時代的なレトロ感が、これまたいい感じです。1,000円出して、何シーズンも使えるのですから極めて経済的で、実用性も非常に高し。今年は更に湯たんぽブレイクの予感、なんてね。

06/11/24(Fri)

先日スーパーで大根を買ってレジで支払いをしていたら(1本78円、安っ!)、横にあった不用品投入ボックスに、大量の大根の葉が捨てられていました。よっぽど貰って帰ろうかと思いましたが、現在、うちには食材があり溢れているので断念。それを見てふと思い出したのが、この前ラジオで聞いた話。京野菜を東京に持ってきて販売している人のインタビューだったのですが、仕事上色々驚く事があるそうです。一番驚いたのが、東京の人は葱の青い所を食べないで、バッサリ捨ててしまうこと。言われてみればその通りで、こちらでは葱の青い所は原則捨てる部分。豚の角煮を作る際などに、香り付けとして投入する事を推奨されたりしてますが、それもニュアンス的には、どうせ捨ててしまうんだから有効活用しましょう、的なものです。

私も西の方の生まれなのですが、あちらでは“葱”の定義が若干違います。東京で葱というと、親指ほどの太さで陽を当てずに白い部分を長く伸ばした“葱”が一般的ですが、私の故郷では、東京で言うところの“ワケギ・万能葱”が葱にあたります。ですから、当然青いところまで全部食べます。京都の九条葱は、形を見れば東京の葱に近いですが、人為的に白い部分を伸ばしたりはしていないので、結構根元まで青々しており、全部食べる事が前提なので、私の感覚には近いです。上京したばかりの頃、葱の違いに少々驚きながらも、あぁ、だから“ネギマの殿様”なのかと妙に感心した思い出があります。ワケギに危険性はないですからね。

06/11/23(Thu)

私は十年来朝食抜きの一日二食体勢で、朝は一杯のお茶から始まります。春〜秋の期間は冷蔵庫にストックしてある冷たいお茶ですが、ここ最近はさすがに熱いお茶。ひと月ほど前に出席した法事で、香典返しにしてはいいお茶(美味い玉露)を貰ったので、それを愛飲しています。どうせ香典返しだし、不味かったらすぐ捨てようと思って試飲したら、案外いい感じだったので、採用。

玉露は本来、ぬる目のお湯で濃く淹れるのがセオリーなのですが、朝一番のお茶としてセオリー通りの玉露はさすがに辛いので、かなり薄め。規定量の半分強の茶葉で淹れたやつを飲みながら、今日の朝刊を読むことで、段々と目が覚めてきます。葬儀は親戚関係の式で、代理で出席した実家の父の分も貰ってしまったので、春先まで持ってしまいそうなくらい量があったりします。飽きるのが先か尽きるのが先か。まぁ、飽きても淡々と飲んでるでしょうけど。

06/11/22(Wed)

先日、ゴミを捨てに行った際に、ゴミ置き場を漁るお爺さんに遭遇。私が近付くのを見つけてその場を離れましたが、私がいなくなったらまた寄って来るんだろうなぁ。自分の出したゴミが漁られるかもと思うと、正直嫌な気分ですが、どうしようもないです。まぁ、私の出すゴミは本当にゴミなので、漁っても何にもないですけど。

ただ、この人の気持ちも分からなくはないです。私も時々、他人から貰ったけれど自分では使いようがないものを、新品同様でゴミに出してしまう事があります。多分、多くの人は私よりもこういう事をやっているでしょう。また、物があり余っている時代ですから、まだまだ使えるのに新品を買ってお払い箱にしてしまうこともあるでしょう。ですから、ゴミといってもよく見ると結構使えるものが混じっているのです。供給があれば需要があります。ゴミの純度が上がれば、それを漁ろうとする人はずっと少なくなるでしょう。

そんな私でも、捨てられていたものを、つい拾ってしまった事が何度かあります。それは、古紙リサイクルの日に文庫本が大量に出されていたのに遭遇した時。ざっと背表紙をチェックしたら、とっても面白そうな本が何冊かあったので、いけないかなぁと思いつつ抜いてしまいました。知人は、立派な木の本棚を拾ってきて、塗り直して使っています。これくらいなら、ゴミ置き場漁りもギリギリセーフかなと思ったり。

06/11/21(Tue)

職場で毎日のようにオ○○ン弁当を食べている人がいます。買ってくるのは、決まってノリ弁。ご飯の上には醤油オカカと海苔。オカズは白身魚のフライと鶏のから揚げ。隅の方に、コンニャク・人参・里芋を煮たのが各一個ずつ。これで400円くらいなのでしょうから、お手軽・経済的なんだと思います。でも、本当に野菜が少ない。遠目からみると弁当全体はフライの影響で茶色い感じ。野菜といえば、端に入っている人参・サトイモが各一個のみ。フライの下に千切りキャベツくらい敷いたらいいのにとも思うのですが、その分コストがかかるし、食べる側としてもキャベツを敷くと衣がベチャッとなるから、この方がいいのだそうです。週に三〜四日もこの弁当を食べ続けているのですから、よっぽどノリ弁が好きなのか、金が無いのか…。

確かに、月に一回くらいはいいかもしれん。でも、この頻度で食べさせられたら、私なら反乱を起こしますね。もうちょっと野菜を摂った方が今後のためにもよろしいよ、とは思うのですが、他人事ですし、面倒なので言いません。こういう人、結構いるんだと思います。野菜不足・野菜不足とかしましくマスコミで取り上げられているのも、わかるような気がしました。

06/11/20(Mon)

行きつけの喫茶店で店が閉店後もダラダラしていると、賄いの時間になります。先日そこに出てきたのが、常連の一人から北関東のお土産にもらったという湯葉の刺身。白いサク状の食品でして、まさに刺身のようにスライスし、ワサビ醤油を着けて食べると、確かに湯葉の味がします。でも、どうやってこれを作るのかが、どうしても分からないのです。湯葉というのは、豆乳を沸騰させた時に表面できる皮膜をすくったものですから、基本的にはシート状の食品です。ただし、卵焼きを作る要領で、このシートを何重にも巻いていけば、サクの様な食品を作ることも不可能ではありません(実際に存在します)。しかしこの場合、サクの断面には必ずパイシートのような層が出切るはず。ところがこの湯葉の刺身の断面に見えるのは、茶碗蒸しを作った時にできるような、細かい気泡。ということは、これは何らかの方法で原材料を蒸して固めてあると思われます。豆乳はいくら蒸しても固まらないはずですから、どうやって固めているのか。原材料表示には、国内遺伝子非組換大豆としか書いてありません。それに、そもそも何かを蒸して固めたものを湯葉と呼んで良いのか?

という話を、賄いをつつきながら延々と繰り広げていました。湯葉の定義を調べるために、小学館の食材図典の該当ページが開かれ(店の備品)、気泡の状態を調べるために大型ルーペが登場し(店の備品)、視野が暗いといってLSDライトが当てられ(店の備品)…。ものすごいマニアックな時間ですが、私は嫌いじゃありません、というか好き。結局湯葉刺身の謎は解けませんでしたが、どうもあまり好ましくない方法で作られているのであろうという結論には達しました。それなりに美味しくはあったのですが、現場にいた全員は、自分で買う事は無いだろうということです。変な喫茶店だ。

06/11/19(Sun)

私はギリギリまで暖房を出すのを我慢する質なのですが、とあるサイトでその根本的な理由を端的に表現されてしまい、ハタと膝を打つ思いでした。それは、暖房を入れるまでは、多少寒い日は重ね着をし、割と暖かい日は比較的薄着、などと工夫を交えて寒さ対策をするのだけれど、一旦暖房を導入してしまうと、以前なら普通に過ごせたであろう気温の日も、部屋に入るなりいきなりスイッチ・オンとなってしまう。というものでした。まさにその通り。理想を言えば、暖房を解禁しても、今日は少し暖かいなと思ったら、スイッチを入れなければいいわけですが、それがなかなか難しい。

去年は、部屋に帰ってきた際はまず温度計をチェックし、室温が○度を下回っている時のみ、暖房のスイッチを入れるようにしようとルールを決めてみたのですが、ほとんど守られず、春先までダラダラと暖房を使ってしまいました。結果的に、自分の意志の弱さをまざまざと見せつけられる結果に…。本来は、部屋は少し寒いくらいの方が、パソコンは快適に動くし、頭もしゃんとするので理想的。でも、今年も暖房でヌクヌク・ボーッと過ごす時期がもうすぐやってきます。それもまた、幸せなんですけどね。コタツを買って、“人に非ざるコタツ人間”、となるのも楽しいだろうなぁ、なんて思う時もあります。

06/11/18(Sat)

何せ生来の下戸なものですから、酒関係のニュースにはサッパリ興味がありません。しかし、箱根の某温泉のイベントには心動かされました。一時期不況のせいですっかり下火になっていた、ボジョレヌーボー関係のイベントですが、今年は少し復活しているようです。日本には古くから(?)日本酒を風呂に入れて楽しむ、日本酒風呂というのがありますが、この温泉のはいわばボジョレ風呂。浴槽の横にタキシードを来たソムリエが立ち、“ボジョレー”という掛け声とともに、手に持ったボジョレヌーボーを風呂に注ぎ込むのだそうです。コレハ、タノシソウ。

ふざけるという事は、時に周囲を明るくしますので、全部が全部悪いというわけではないですが、やはり限度というものがあります。そのワインの生産者の事、それが飲み物である事などを考え合わせると、これは余裕でその限度の範囲内といえるでしょう。浴槽の横にタキシードで立つふざけっぷり、それを浴槽の中で“ボジョレー”という掛け声とともに喜ぶ温泉の客、大変結構な事だと思います。コンナコトシテ、マジデ、ダイジョウブカ?などとは毛ほどにも思わず、馬鹿になって楽しむ事が肝要。マジデ、ダイジョウブカ?

06/11/17(Fri)

朝晩すっかり寒くなってきて、寒いの大嫌いな私には嫌な季節です。早く春にならないか、などと夢みたいな事を考えつつも、現実とは向き合わねばなりません。そこで、一昨年から冬の時期に大活躍しているのが登山用下着。コレ、登山用品店でゲットしたもので、登山用というとゴツイイメージがありますが、全然そんな事はありません。生地はペラペラで薄く、やたらと伸びます。極端に言うと、特撮ヒーロー物のスーツの生地って感じ?薄いので、通常の下着の上から重ね着してもそんなに気にならず、しかもさすが登山用というべきか、やたらめったら温かい。それにプラスして、フリース製の靴下・ネックウォーマー・キャップを装着すれば、今の時期くらいでしたらまだまだイケル。特にキャップが重要で、頭はどうやったって布団の外に出ますから、ここを保温する事が非常に重要なわけです。数年前までは、髪型の事を気にして採用してませんでしたが、一旦始めるとやめられぬ。

外国映画を見ていると、帽子をかぶってベッドに入るシーンがありますが、日本ではこういう習慣はあまり無いようにみうけられます。でも、これが温かいんですよ。まぁ、起きてから髪形を整えるのがちょっと一手間余計にかかりますけどね。もう少し経ったら、冬の防寒対策の真打である湯たんぽが登場するのですが、それはまた別の話。私、湯たんぽについては熱く語りますよ。

06/11/16(Thu)

先日の銀杏、炒って食べるばかりでは能が無いと思い、ご飯に炊き込んでみました。銀杏はラジオペンチで殻に割れ目を入れ、炒って一個ずつ取り出します。通常の水加減でご飯を炊き、蒸らしに入る直前に用意した銀杏を放り込み、あとは普通に蒸らせば完成。エメラルド・グリーンが美しい銀杏は、ご飯に炊き込んでもやっぱり美しい。味も不味いわけは無く、当然普通に美味しいです。特に炊きたて時、立ち昇る銀杏の香りが食欲をそそります。

でも、やっぱりちょっと面倒臭いんですよね。特に、炒った銀杏を殻から取り出す時。私は生来せっかちなものですから、取り出した銀杏を食べないで貯めていくというのが、非常に辛い。そこで食べてしまっても同程度に美味いものに、わざわざ一手間かける、これは贅沢。ここに鶏肉とかムカゴを一緒に炊き込めば、完全にお金を払って食べる一品となります。もうやらないでしょうねぇ。やっぱり炒った端から食べてしまうことにします。

06/11/15(Wed)

うちの近所の銀杏並木はまだまだ緑色ですが、都内でも場所によってはすっかり黄色くなっている場所があるようで、そういう所では朝早くから銀杏の収穫に励む人が出没しているみたいです。私も嫌いではないのですが、下処理の手間を考えると、そこまで労力をかけてまで食べたい食材ではないので、もっぱら貰うだけ。というわけで、今年も知り合いから紙袋一杯の銀杏を貰いました。一番手軽に火を通すには、紙袋に入れて電子レンジでチンすればいいのですが、これだと何割かは爆発してしまってもったいないし、何より風情がありません。多少面倒ですが、一個ずつラジオペンチで挟んで割れ目を入れてから鍋で乾煎りするのが、私は好きです。割れ目を入れておかないと、やっぱり何割かは爆発します。

銀杏の緑は、エメラルドグリーンといって良いほどきれいな色をしています。茶碗蒸しや会席料理などの色担当のレギュラーになるのも納得のきれいさ。それに、乾煎りした銀杏は本当に香ばしいです。余計な味付けをせず、塩だけで食べるのが吉。ビールのつまみとして有名ですが、私は下戸なので、食後のほうじ茶のお供となっています。ジジ臭いですねぇ。

06/11/14(Tue)

リタイアして暇を持て余した実家の父が作った自家製大根の奈良漬。一回目からいきなり40kgも漬け、あちこちに配り歩いては好評を博しているそうです。本当に好評なのかどうだか分かりませんが、この極端さは私との血のつながりを感じさせて、ちょっと嫌。それはともかく、当然この奈良漬はうちにもやってきたのですが、本来下戸の私はアルコールの香りがプンプンする奈良漬は、あまり得意ではありません。どうせ作るなら沢庵にしてくれよと思うのですが、せっかく頂いた物は最大限美味しく活用するのが私の流儀。東京では木枯らし一番が吹き、冬へのカウントダウンが始まってすっかり肌寒い今日この頃、奈良漬の茶漬けが美味い。

ご飯を軽くよそって、ある程度歯応えが残る大きさに刻んだ奈良漬をのせ、塩を振り、炙って香ばしくした海苔をその上から散らします。先日の日記にも書いた持て余し気味のほうじ茶、これを熱々に淹れて周囲から回しかければ完成。奈良漬の歯応え・香りと熱々のお茶のコンビネーションがなんともいえず美味い。ポイントは、奈良漬を刻み過ぎないようにすることと、とにかくお茶を熱々にするところ。時間と気持ちに余裕があれば、ご飯をザルに入れてさっと洗い、サラサラにしておくと尚良いのですが、まぁこの辺はオプション扱い。小さい頃は、お茶漬けの素で作るのがお茶漬けだと思っていましたが、実はお茶漬け道は深いのです。というわけで、今夜も奈良漬茶漬けの予感。

06/11/13(Mon)

街路樹の銀杏はまだまだ青いままですが、東京はすっかり寒くなりました。こんな日は鍋です。仕事帰りにスーパーによって、半額になった鶏挽肉をゲット。挽肉系は鮮度が落ちやすいので、夕方になると簡単に半額に落ちるのです。これに塩味をつけ、土鍋に昆布を入れて沸かしたお湯に匙で放り込んでいきます。すぐに固まるので、そうしたら白菜の白い所を入れて、ちょっと待って、青い所を入れて、蓋。貰いものの柚子があったので、小皿に醤油と絞った柚子を入れ、鍋の汁でちょっと薄めてツケダレとします。

鶏挽肉と昆布と白菜だけ、他には何も入れない。色々にぎやかに入っている鍋も楽しくて好きなのですが、いざ自分で作るとなると、私はどうしても、簡単でシブイこういう鍋になってしまいます。最近ちょっと進化したのはオジヤ。残った汁に濃く入れたほうじ茶を流し込み、それでオジヤを作るのがマイブーム。茶粥というのがありますが、それにヒントを得てみました。香典返しとして日頃飲まないほうじ茶が手に入ってしまったが故の苦肉の策でしたが、案外悪くない。鶏の旨味とほうじ茶の香りをご飯がググッと吸い込んで、なかなかいい感じです。相変わらず渋いことしてるなぁ、自分。

06/11/12(Sun)

私の週末・心のオアシス喫茶店。店自体は十年来贔屓にして通ってるくらいですから、何の問題もないのですが、貸切でない以上、当然いろんな人がいるわけで…。周囲に座る人によっては、悲惨な夜になることもあります。今回は、大ハズレ。隣に座ったのは、大学で同じサークルに属していると思われる男女二人。今の季節、学園祭シーズンたけなわですが、この二人の属するサークルは、その学園祭がらみのイベントでイロイロあったらしく、女性が男性に不満をぶちまけていました。まぁ、私も過去にそういうことを沢山やってきたので、他人の事はサッパリ・マッタク非難する資格もないのですが、その女性に(おすぎ&ピーコ風に)言いたい。“アンタ、ちょっと今の自分の顔を鏡で見てごらんなさいよ!”と。客観的に見ると、十人並みに可愛い顔なんですけどねぇ…。不満をぶちまけている人間の顔というのは、どうもイカンですね。

ああいう空間は半ば公共のものなので、あんまり不機嫌オーラを周囲に振りまくのはヨクナイと思います。おかげで、せっかく楽しみにしている喫茶店ナイトが楽しみ半減。私が座右の書として何度も読み返している“自省録”という本に、“顔は従順に心の命ずるがままの形を取り、装いをつけるのに、心自身は自分の思うがままの形も取れず、装いもつけられぬとは恥ずかしいことだ。”という一節があります。顔さえ自分の意思どおりに動かせない凡人としては、反省しきり。そして自分の事は棚に上げて、おすぎ&ピーコ。私もまだまだ修行が足りません。

06/11/11(Sat)

交差点で信号待ちをしていると、自転車の後部に子供を乗せた母親らしき人が隣に来ました。時刻は4時ごろで、子供は小学校低学年くらいの男の子。“ねー、ねー、今日の晩御飯何〜?カレーにしようよ、カレー。僕カレーが大好きなんだよ、知ってるでしょー”とずっとこの調子で、今日の晩御飯をカレーにしようと必死の作戦を展開中。どうも年がら年中この調子のようで、母親の方は少々食傷気味。“この前作ったばっかりじゃないの。”とか何とか言いながら、かわそうとしています。私の予想では、7割がた今夜はカレーですね。

一人暮らしの食事は、自分が好きなものを好きなだけ食べられるというのが最大の長所ですが、反面短所もあります。その際たるものが、上の例のようにメニューを巡る駆け引きがない事。毎日やってると鬱陶しいのでしょうが、全然やらない身からすると、結構面白そうなんですよね。お互いの妥協点を探った結果、思いもよらない珍メニューが登場するかもしれないし。また、“今日の晩御飯は何だろう?”というドキドキ感が皆無なことも、短所として挙げられるでしょう。まぁこれは裏返せば、“今日の晩御飯は何にしよう?”という長所につながるわけで、どっちもどっちという気がします。それはともかく、今日の子供の夕食のカレーを本当に楽しみにしている様子、見ていて微笑ましかったです。あのお母さん、今日はカレーにしたんでしょうかねぇ。

06/11/10(Fri)

先日、近所の公園を歩いている時、生垣の中にハート型の葉のついた蔓を見つけました。実は東京にはあちこちに自生している、山芋です。これが山芋だと分かる人がほとんどいないので、伸び放題。地中にはかなり立派な芋が出来ていると思うのですが、さすがに掘り起こすわけにはいかず、残念。でも、この季節の山芋の蔓には、ムカゴがついています。ムカゴって一体何なのでしょうか?形や食感は芋っぽいのですが、葉の付け根にできるものなので、その点では芋からは程遠いです。で、そのムカゴ。公共の公園にあるものなので、ゴッソリ採ってくるのもどうかと思い、ほんの一握り、十個ほどを貰ってきました。それを、私が住んでいるマンションの生垣の、なるべく人目につかないところに投下。これで来年、うまくいけば自家製のムカゴがゴッソリと食べられるという寸法。

ムカゴは大きなスーパーに行くとたまに売ってますが、大都会では高級食材の部類に入ります。ほんの小さなパックに入ったのが500円とか、ありえない。でも、美味いです。私なら、さっと蒸して塩つけて食べるか、ご飯に炊き込むか。ムカゴご飯はまさに秋の味覚。ホックリした食感で、かすかに甘いムカゴとご飯は実によくあいます。来年の秋、裏の生垣に大量のムカゴが実る事を夢見て…。

06/11/09(Thu)

キャベツ半玉58円、安いと思って隣を見たら、キャベツ一玉98円でした。一玉だと食べきれないということで、半玉買う人も多いと思いますが、私はとりあえず一玉買ってしまいます。だいたい、半分に切っただけで二割増しなんていう、ボロい商売に乗ってしまったら、後々まで悔しい思いをするに違いありませんから。今日はとりあえず半分使って、残りの半分は濡れ新聞紙に包んで冷蔵庫に突っ込んでおけば、外が涼しいこともあって一週間やそこらは余裕で平気です。

半分は芯をとってザク切りにし、寸胴に放り込んで塩揉み。本来はボウルの方が後の始末も簡単なんですが、キャベツ半玉だと量が多すぎて、ボウルの中では上手く揉めないのです。仕方なく、寸胴の登場。鍋底に角度がついているので結構不便なのですが、まぁ仕方なし。揉んだら半分はオリーブ油でマリネ。自家製アンチョビと干しブドウ、それに塩胡椒でなんとなくそれっぽい味になります。残りの半分は、浅漬け。鷹の爪・蜜柑の皮・昆布の三点セットで風味付け。別に全部同じ料理にしてしまってもいいんですけど、品数をそろえると何となくリッチな気分になるし、色んな食材が食べられていいかなと。手順を上手く組み合わせれば、そんなに手間もかわりませんしね。というわけで、しばらくはキャベツと大根の日々。

06/11/08(Wed)

夕刊の食コラムを読んでいると、また気にくわない事が書いてあるわけですよ。“塩分を摂り過ぎないために、ラーメン・蕎麦など麺類の汁は残しましょう”ってやつ。言いたい事はよく分かりますし、その通りでしょう。でも、こういう汁ってものすごく手が込んでいる場合もあるわけですよ。ラーメンだったら、豚骨・鶏ガラなどをきれいにクリーニングして、何時間もアクをすくいながら濁らないように細心の注意を払ってたりします。蕎麦だったら、とっても高価な鰹節を贅沢にザバザバ入れ、味付けをした後全体を馴染ませるために何日か寝かせてたりする場合もあります。無論、粉末○○を放り込んだだけでおしまい、というケースもあるでしょうが、そういうのは置いておいて。

とにかく、美味しい店の汁というのは、かなり手間のかかった素晴らしいものなわけです。それをとりあえず残しましょうというのは、私には抵抗があります。私はウドン打ちを趣味としているわけですが、夏場は主にぶっかけで、冬場はかけウドンです。かけウドンの汁は、その場で削った鰹節・昆布・醤油・日本酒などで作るわけです。仮に、うちに誰かが遊びに来て、そのかけウドンを振舞った際、“私、塩分の摂り過ぎが気になるから汁は飲まないんです”とか言って、汁をゴッソリ残されやがったら、二度とその人にウドンは出しません。そういう場合は予め教えておいてもらえば、汁を少なめにすることで対応しますし、感じも悪くなりません。

私が大いに影響を受けた魚柄氏は、自宅でラーメンを作る際は、汁を通常の半分にするので、汁が麺に隠れて見えないと書いていました。誠に素晴らしい態度だと思います。まぁ、もっと根本的な事を言ってしまえば、塩分が気になるような体調なら、外で麺類を食べようとする事自体が間違っていると私には思えるんですけどねぇ。

06/11/07(Tue)

ここのところ、大根ばっかり食べてます。実家では近年稀にみるくらいに、野菜が大豊作。特に大根が山ほど採れ、両親はあちこちの知り合いに配り歩いているのですが、それでも間に合わず、こちらにまで送ってくるのです。私の実力を過信しているのでしょうか、一回2〜3本送ってきたうえに、このへんはさすが親と言うべきでしょう、そろそろ使い切るかなという絶妙のタイミングで、次の便が送られてくるという、神業。

例えば今日の夕食。味噌汁は当然拍子に切った大根入り。ご飯は葉っぱを刻んだものが炊き込んであります。本体は皮を剥いて輪切りにし、昆布ダシの薄味でサッと煮たやつ。葉の部分は、5cmほどの長さに切って、こちらは昆布と鰹節のしっかり目のダシで煮びたしにしたやつ。その他に千六本に切って酢の物にしたやつ。こっちは、これまた毎日延々と食べ続けている柿の皮を放り込んで、風味をつけてあります。大根関連だけで、五品。

こういう場合、ネットで大根・レシピで検索すれば嫌というほど広いバリエーションのレシピが見つかるのですが、最近そういうのやりません。東京に出てきたばかりの頃、ガイドブック片手に東京あちらこちら、数え切れない喫茶店に行ったものですが、今ではいつもの店だけで十分。それと似た所があります。小さい頃、祖母の作る料理はどうしていつも判で押したように一緒なのだろう、本とか読んでもう少し研究すればよいのに、と思ったものですが、今になって祖母の気持ちが少し分かります。彼女はそれで十分だったのですよ、きっと。まだまだ、人気ラーメン店の行列に並んでいてもおかしくない歳なのに、一体どこで道を踏み外してしまったのでしょうか?

06/11/06(Mon)

日曜日お昼のJ-WAVEの番組に、モデルのハナが東京各地をお散歩してリポートするという、私のお気に入り“東京ブラリ散歩”というのがあります。自分の行動範囲内の街がとりあげられた際は、“オイオイ、○○を紹介するんなら××も外せないだろう”と勝手に突っ込みを入れるのが常なのですが、それはさておき。今日の目的地は早稲田際真っ最中の早稲田。その番組を聴きながら、フッと思い出した店がありました。

私がまだ大学に通っていた頃、早稲田大学に通っていた当時の彼女(酒豪)に、半ば強引に鳥安という焼き鳥屋に連れて行かれたことがありました。ここは、早稲田界隈でウロウロしたことがある人なら誰でも知っている有名店で、小汚く狭い作りながらとにかく安い。10年以上前になりますが、焼鳥が一本50円で、お酒が一合200〜300円。メニューにキャベツと書いてあると、八つ割にしたキャベツを皿にのせ、端にマヨネーズを絞ったものが出てきて、これもやっぱり200円くらい。席に座ると、何をおいてもまず、生のウズラの卵を落とした大根おろしが出てきて、頼んだ焼鳥をこのウズラ卵大根おろしにつけて食べるのです。安いんだし大した事ないだろうと侮っていたのですが、なかなかどうして、美味くてビックリしたのを憶えてます。

ネットで調べてみると、この店いまだにバリバリ現役で、早稲田大学生の定番飲み屋としての地位を守っているそうです。酒も飲まず、早稲田・高田馬場にも縁のない今の生活では、あの店に行く事は当面なさそうですが、ラジオを聴いて味の記憶が突然蘇り、ちょっと懐かしくなりました。ちなみに私は、早稲田卒業生ではありません、念のため。

06/11/05(Sun)

こうやって日記を何年か書いている間にも味覚の変化というのはあって、最近あまり使わなくなった食材に、煮干があります。実家の味噌汁のダシが基本的に煮干だったこともあり、煮干はすっかり私の食生活の一部でした。煮物を作る際のダシといったら、とりあえず煮干、そしてプラス昆布。しかし、最近どうも煮干はクドイ気がしてきたんです。煮干はダシとしてはガツンと自己主張し過ぎるのではないかと。ハラワタと頭を取って炒ってから使うと、苦味が押さえられて良いといいますが、私の実感としてはほとんど変わりません。私の味覚が鈍いからかもしれませんが、やる手間が惜しいだけ。もっと根本的な部分で、煮干の味自体が、ダシとしては私にとって強すぎる気がします。

それに代わって台頭してきたのが、昆布。もう、とりあえず昆布放り込んどけ、ってな感じで昆布。で、TPOに応じて鰹節。干し海老も時々使いますが、まぁ99%この二つでオッケーです。でも、煮干はやっぱり買います。ダシとしては使いませんが、食事の支度中に齧るのがマイブームなのです。小皿に味噌をちょこっと出しておいて、それをつけて齧る…最高。美味いんですが、調子にのって食べ過ぎると気分が悪くなりますんで、厳格に一回3匹まで。料理に網を使う際は、味噌を塗っといて隅っこで炙って食べると、更にGood。でも、下戸なんで酒は飲みません。こういうの、すごく楽しいですよ。

06/11/04(Sat)

数年前から使っている台布巾が、このところ次々と寿命を迎えています。これらの台布巾は、吸水性を良くするために凝った織りが施されているのですが、そのために耐久性が落ちるようで、ある一点を超えると横糸が次々と切れ、まるで暖簾のようになってしまうのです。私も色々考えたのですが、こうなってしまうと次の再利用可能性も無く、廃棄するのみ。こういう根性無しな道具は、好きじゃありません。それに気がついてから導入したのが、サラシ。サラシは最高で、約10mの巻きが600〜800円程度。50〜60cm程度の標準布巾が20枚もとれます。1枚単価を考えると、布巾として売っているものの数分の一。おまけに異常に耐久性が高く、今までほころびて破れたのを見たことがありません。ただ欠点は、売っている場所が非常に少ないということでしょうか。私は繁華街の量販系手芸店に買いに行きますが、地場の商店街ではまず見かけません。着物屋さんはさすがに入りづらくて、パス。

そして、そろそろ手持ちのサラシが尽きてきたので、買いに行く頃合。前回、打ち込みの甘いのと厳しいの、どっちを買うか店員さんに訊いたら、台所用なら甘いので十分と言われてそっちを買いましたが、今回は厳しいのを買ってみようと思います。サラシは一家に一反、あると便利ですよ、特に私のような物好きがいる家庭にはね。

06/11/03(Fri)

先日職場でお昼ご飯を食べていたら、口の中でガリッという音がしました。弁当になんか変なものでも入ってたかなと思って、口から出してみると、銀色の奇妙な物体。何だべと思った次の瞬間気がつきました、虫歯の詰め物です。幸い、比較的軽症な虫歯の詰め物だったらしく、とれた後も痛みは全くありません。速攻行きつけの歯医者に連絡を取ったのですが、日が悪かった。そこは木・祭・日休み。とれたのは木曜日で、今週は金曜日が祭日。土曜日は午前中だけの診察なので、そこに滑り込めるかどうか…。無理ならば、最短で月曜日になってしまいます。口の中に穴が開いたまま週末を過ごすのは、嫌ですねぇ。

ちなみに、詰め物がとれた時に食べていたのは、サツマイモを煮たもの。スジ肉とか煮干とか、そういうガッツのあるものを食べていてとれるなら分かりますが、サツマイモとは根性のない詰め物め。まぁ、事故に遭ったと思って諦めるしかありませんがね。

06/11/02(Thu)

隣に住む大家さんから岩魚の甘露煮(真空パック)を貰ったので、今日は岩魚の炊き込みご飯。普通に水加減をし、そこに細かく切った岩魚と煮汁を少々入れ、普通に炊くだけ。常日頃から私は、甘露煮は醤油と砂糖の味が強過ぎてたいして美味くないと思っており、甘露煮・佃煮系は全て炊き込みご飯要員となります。こうすると、強い味付けが全体に散り、その下から素材本来の香りや旨味が蘇ってくる気がするのです。蒸らしに入る直前に、現在山ほどあって少々困惑中の大根の葉を刻んだものを投入。青みと歯ごたえをプラスします。

そこに、リタイアして暇を持て余した実家の父が作った大根の奈良漬を添え、自家製味噌で味噌汁を作り、大根を煮たのと小松菜のお浸し。更に冷蔵庫から常備菜を数品添えて今日の夕食完成。寺の夕食かと見まがうばかりですが、結構いけます。というか、こういうのに慣れると外食したくなくなります。かといって煩悩が無くなるわけではありません。難しいところです。

06/11/01(Wed)

数日前、朝ラジオをつけるとイギリスのフルタリアンの人がインタビューを受けていました。私はこのフルタリアンという言葉、初めて聞いたんですが、要はトップクラスに厳格なベジタリアン。ベジタリアンと一言で言っても、卵・牛乳などの乳製品の取り扱いとか、肉もたまに付き合いで食べるくらいならいいんじゃない?程度の緩い人までいて、色々なのですが、フルタリアンというのは、文字通り果物しか食べない人のことだそうです。葉物を収穫して食べる事は植物の命を奪うことであってダメ。果物も、熟しきって樹から自然に離れたものが理想(さすがにそこまでは、なかなか実行できないそうですが)。言っている事の辻褄はあっているのですが、なんだか大変な食ポリシーだなと思いながら、インタビューを聞いていました。ただ、その中で彼の一言がちょっと面白かった。

インタビューする側としては、林檎とかオレンジとか、色々準備していたようなのですが、彼は一度に一種類のものしか食べない、それも林檎だったらいつも同じ種類の林檎を食べるのだそうです。そうすることで、細かい味の違いが分かるようになり、楽しいと。この部分に関しては、ホントその通りだと全面的に賛成します。和・洋・中と、街には世界各国の料理が満ち溢れていますが、毎日毎日それを梯子して食べ歩いていると、なんだかよく分からなくなってくるんですよね。若い頃の私がそうでした。私も今では、毎晩判で押したようにご飯と味噌汁。やってる事はかなり彼とかぶっている気がしました。

ちなみに私はベジタリアンですらありません。魚や、特に肉には何の愛着もないので、気持ちの上ではいつベジタリアンになってもいいんですが、肉・魚を欠かすと決まって口内炎が出来てしまうのです。だから、半ば義務的に摂ってるところがあります。やっぱり、何でもバランスよく食べろってことなんでしょうね。

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