2007年1月

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07/01/31(Wed)

某所から、菜の花を貰いました。まだ一月だというのに、もう菜の花ですか…。ひょっとしてハウスもの?とも思いましたが、確認できないのでよく分かりません。それでも、菜の花が出てくると、これから季節は春に向かうんだなと実感します。実家は農家なので、当然菜の花も自分の家で作っていました。ただ、子供の頃はあまり好きではありませんでした。菜の花のほろ苦さがどうも苦手で。マヨネーズであえると食べられるという、とんだ子供味覚でした。それがいつの頃からか、マヨネーズで菜の花のほろ苦さを包み込んで食べやすくしてはいけない、ということに気がつき、ひとつオトナになったような気がしたものでした。

というわけで、菜の花のキモは、あくまでほろ苦さにあると思うので、確かに食べやすくはなりますが、マヨネーズは止めた方がよいと思います。茹で加減はあくまで固め。茹で過ぎるとほろ苦さと歯応えがなくなって、食べやすくなりますが、以下同文。私が好きなのは、固茹でに酢醤油をかける食べ方。時点が、鰹節をたっぷりふりかけ、醤油をかける食べ方。意外に美味いのが、塩振ってオリーブ油をたらす食べ方。私自身は寒い冬が死ぬほど嫌いなので、春の訪れを告げる菜の花は非常に嬉しい。ホント、冬なんかいらないから、早く春になってほしいものです。

07/01/30(Tue)

というわけで、ず〜っと見て見ぬ振りをしていた靴下の繕いを毎晩せっせとやってます。15足中6足が要修繕になってしまっては、さすがにこれ以上先延ばしする事は出来ません。こういう仕事をする際に、意外と重要なのは、これからする作業が大体何分かかるかを前もって把握しておくことだと思います。終わりの見えない仕事は、始める事すら嫌ですが、大体何分かかるかが分かっていれば、○時○分までに終わるから、その後日記を書いて寝よう、などと予定が立つわけです。まぁ、かかる時間も全て把握していながら、今まで放置したのは、全て私の至らぬ性格のせいですけど。

で、靴下の繕いにかかる時間はというと、繕う面積にもよりますが、片足約20分。ペアで40〜45分といったところです。ここで、安いのを買って使い潰していった方が良いと考えるか、高いのを買って修繕しながら使ったほうが良いと考えるかは、その人次第。私は無論後者です。まぁ、この頃は前者の方が圧倒的多数ですが、私は常に少数派につきます。それが、天邪鬼。

ちなみに、靴下のどこが傷むかは、歩き方・靴のチョイスで大きく変わってきます。高校生くらいまでは、足をズボッと突っ込むタイプの靴を履いていましたので、靴の中で足が前につんのめりがちになり、穴が開くのはもっぱら親指の先でした。今では、靴を履く度に必ず靴紐を結ぶようにしていますので、親指の先に穴が開く事はほとんど無くなり、かわりに、5本の指の付け根のふくらんだ部分→踵の順で擦り切れるようになりました。足のトラブルは、指先にまつわるものが多いので、靴の履き方としてはこちらがいいのではないかと思っています。やや面倒ですけど、習慣化すれば問題ありませんので。

07/01/29(Mon)

私は、買い物は安くあげられればそれにこした事は無いという、強い信念を持っていますが、少数の例外もあります。その一つが、靴下。私の書く文章からは、靴下なんて、3足500円のを愛用しているんじゃないの?と思われてしまっているかもしれませんが、違います。某ブランドの品で、1足1,000円(税別)。ペアを作る時に間違えるのが嫌なので、買うのは毎回決まって同じ色・同じ品。これを常に15足ほどキープしているのですよ、意外にも。

しかしこれは、目に見えない所に金をかけるのがオシャレだと信じているからではなく、単に経済的な問題からです。靴下が傷むのは、大きく分けて二箇所。入口のゴムの部分が緩くなるか、足裏・足先等に穴が開くか、どっちかです。後者は、裏からあて布をしたり、寄せたりしてから繕えば、いくらでも補修が効きますが、前者はどうにも直し様がありません。そして、安い靴下が傷むのは、まずここからなのです。反対に、質の良い靴下は、いくら穿いてもゴムが伸びてダメになる事は、まずありません。ですから、結果的に高い靴下のほうがお得。おまけに、全て同じ色・同じ素材の靴下ですから、大事に使い倒して、それでもどうにも穿けなくなったものでも、甲・ふくらはぎなど、比較的傷みの少ない所を切り取って、あて布として再活用する事が出来ます。

外で靴を脱ぐ事はそうそうありませんから、靴下なんて、常に清潔であること・踝から上5cmほどが見苦しくないこと、その二点が満たされていれば、それでいいんです。というわけで、本日3足追加分を買ってきました。デパートで定期的に買うものなんて、これと鰹節くらい。全く頼りにならない顧客です。

07/01/28(Sun)

喫茶店でよく見かける光景…おばちゃん同士の会計の押し付け合い。自分が払うとお互いに主張して譲らないので、性格には押し付け合いとは逆の意味になるかもしれませんが、傍目には一緒。A“ここは私が”B“いや私が”A“この前払ってもらったし”B“今日は私が誘ったから”以下ループ。別にどっちでも良いんですけど、レジの前でどうしていいか分からずに固まってしまっているバイトの兄ちゃんの事とか、後でレジを待っている困り顔のカップルの事とか、もうちょっと周囲を見回したらどうだろうという感じ。それに、こういうおばちゃんは総じて声がデカイ。いい感じの癒し喫茶店空間が、少なからず破壊されていることも見過ごせません。

少なくとも、席を立って会計に向かうまでに、誰が支払いをするかを決めておくのがベターでしょう。レジの前で押し付け合いをするのは、店も他の客もちょっと迷惑。でも、自席でそれを大声でやられても、被害は大して小さくなりません。ここはひとつ、店に入る前に決めておいてほしいものです。が、なかなかそうはいかないんでしょうねぇ。私は、こういう場合は原則割り勘でいいと思います。みんな似た様なものを注文しているでしょうから、2人なら2で割ってしまう。金額によっては、レジが一手間増えますが、それくらいは上の様な迷惑に比べれば、些細なものといえます。が、やっぱりこれもなかなかうまくいかないから、上の様な光景がよく見られるんですよね。今宵、せっかくの喫茶店タイムを台無しにされたので、考えてみたのですが、やっぱりいいアイデアは浮かびませんでした。非常に遺憾ですが、世の中には不条理が蔓延しています。こういう場合は、犬に噛まれたと思って諦めるのが一番です。

07/01/27(Sat)

年が明けてからこっち、あちこちからたて続けに海藻系の食材を貰っています。まず青海苔。お好み焼きにかける、紙吹雪のような格好をしたものではなく、きちんと海藻の形をしているヤツ。これは、直火でサッと炙って、ご飯にのせ、醤油をほんの少したらすと、最高の香りと味わいになります。青さ海苔は、青海苔よりももう少しワカメっぽい形をしています。こっちは味噌汁用。夏場だったら、キュウリと一緒に三杯酢で食べると最高なんですけど、旬のキュウリが出てくるまでは、確実に無くなってしまうでしょう。今の季節なら、戻して大根おろしをのせ、柚子を絞って醤油をかけたのなんかが美味いです。この二つは、四国の親戚が送ってきてくれました。ありがたいことです。

友人が東北土産に買ってきてくれたのは、フノリとすき昆布。フノリは、煮詰めて糊にするものとばかり思っていましたが、食用なんですね。赤味がかった、ヒジキにちょっと似た感じの海草です。味噌汁に入れると美味いそうです。まだ食べていませんが、非常に楽しみ。すき昆布は、細く切った昆布を和紙を漉く要領で、紙状に仕上げたもの。千切って煮物に入れると美味いと聞いたので、実家から送ってきた干し大根と一緒に煮てみたら、絶品。あっという間に、うちの常備菜の座を勝ち取りました。別の友人が北海道から買ってきてくれたのは、誰でも知ってる利尻昆布。ただ、昆布はうちに元々かなりのストックがあるので、こちらはしばらくの間お蔵入りになりそうです。

私の尊敬する、料理研究家魚柄氏が書いていましたが、海藻類は土産物に最適です。軽い・傷まない・各地でバリエーションが豊富・比較的安価と、いいことづくめ。唯一の難点は、かさばることでしょうか。新鮮な野菜・肉・魚介類は、お土産にする場合には鮮度に気を遣いますし、送料も結構かかりますが、海藻類なら心配ナシ。貰ってから、常温でかなりの時間保存できるのも嬉しい。あちこちで、“土産を買ってきてくれるなら、ローカルな海藻系にしてくれろ”と吹聴してきた成果が、やっと現われてきたようで、実に慶賀なことです。

07/01/26(Fri)

職場に20個ほどのリンゴが転がっているのですが、この時期どこの家でもインフレ気味のリンゴは、極端に人気がなく、ちっとも減りません。仕方がないので、5個ほど貰ってきました。でも、正直うちにも今、半ダースほどの先客がいるうえに、ここ半月ほど毎日リンゴを食べ続けているので、さすがの私も現段階で生リンゴはちょっと勘弁。というわけで、加工に回すことにしました。家庭でできるリンゴの保存食でトップに挙げられるのは、何といってもリンゴジャム。しかし、私は家ではパンを一切食べないので、ジャムは不要。人にあげるためだけに作るのは、私の主義に反するのでやりません。一時こういうのにやたら凝った事もあるので、作れるんですけどね、一応。アップルパイなんかも有名ですけど、オーブンを持ってないですし、お菓子はあんまり好きじゃないんです。

というわけで、昨年も作った干しリンゴ再登場。作り方はアホみたいに簡単。リンゴの種類は、フジでも王林でも何でもよろし。皮付き・芯そのままの状態で、芯と直角方向に1cmほどの輪切りにして、カラカラになるまで干す、調味料等一切不要、以上。うちの場合、魚干しの網は魚・肉などのヘビーローテーションなので、ちょっと臭いが心配。ですから、梅干し用の大きな笊を、腰の高さ位の折り畳み式洗濯物干しの上にのせて、風通しを良くしたものを使います。スペースがあって、もっと豪快に攻めるなら、綺麗に洗った網戸が最適。10日〜2週間も干せば、カラカラになって、かなり保存も利くのではないでしょうか。これが、紅茶にあうんですよ。お菓子を作る人なら、パウンドケーキの中身にもなると思います。生リンゴとは全然違う食材になるので、リンゴに飽きた向きにもよろしいかと。常温保存できる点も、ポイントが高いです。

唯一の問題は、東京は干す場所があまり無いこと。田舎だと、こういうことには何不自由しないのですが、こちらでは日当たり・風通しが良いスペースをある程度確保するのは、かなり難しいです。うちも、日当たりは良いけど狭い場所か、風通しが良くてある程度広いけど日当たりが悪い場所か、どっちか。まぁ、ここまで望むのは贅沢なんですけどね。

07/01/25(Thu)

私は、子供の頃から干し芋が好きという、なかなか渋いテイストを持っていました。リタイアして暇を持て余す実家の母は、そんな私に自宅で干し芋を作って送ってくれます。ありがたいことです。干し芋の作り方は実にシンプル。干し芋用に品種改良されたサツマイモを茹でてスライス。それをいい感じになるまで干せば完成…の筈ですが、一向にいい感じの甘さが出ません。年末に帰省した折も、茹で時間・干し時間を色々変えた物を味見したのですが、どうも市販のもののような甘さが出ないのです。

そこで、彼女がとった最終手段。農協で売っている干し芋のパックには、作った個人の住所・電話番号が書いています。その電話に直撃質問してみたらしい。そんな人は滅多にいないので、その根性に感心したのか、アッサリとコツを教えてもらえたそうです。コツはズバリ茹で汁。鰻の老舗では秘伝のタレを、足しながら何十年も使い続けているそうですが、それと一緒。干し芋の茹で汁も、決して捨てないのだそうです。茹で終わったら漉して、次もそれを使う。オフシーズンは、煮詰めて冷凍しておく。そうして何度も使い続けていると、芋の甘味が煮汁に溶け出し、その甘味が干し芋の甘味を作るのだということです。これは、私にとっても超・意外情報でした。干し芋というと、どちらかといえばアッサリとした食材に入ります。かたや鰻はコッテリの代名詞。そのコッテリを支える、タレ使い回しが、まさか干し芋でも使われていようとは。コツなんて本当に些細なものですが、こんなの教えてもらわなきゃ、絶対気付きませんね。

07/01/24(Wed)

久しぶりに包丁で手を切りました。白菜をザク切りにしている途中で、火にかけた鍋の状態に一瞬気をとられ、刃先が左手の掌に刺さったのです。大した傷ではないのですが、怪我ってこういう時にするんだという見本のような典型例です。刃物を扱い慣れていない人は、傍目にはものすごく危なっかしいですが、本人がこれ以上無いというくらい集中力を発揮していますので、案外怪我は少ないです。危ないのは慣れた人が、ちょっと注意をそらしてしまった場合。

先日知り合いの喫茶店のマスターが、店に飾る椿を肥後の守で切っていて、やっぱり同じ様にちょっと注意力を他にとられた瞬間に、左手の親指の爪1/3を持っていかれました。こっちは、私とは比べ物にならないほどの重症。それを聞いていたので、私も注意しなきゃなと思っていた矢先にこのザマです。台所は案外危険が一杯。刃物・火と、危険二台巨頭が揃っています。初心忘るべからず。でも、忘れるのが人間なんですよね…。

07/01/23(Tue)

私が毎日愛読しているniftyのデイリーポータルZというサイト。今日、このサイトのコネタというコーナーで、“美味!うどんにめんつゆを練りこむ”というブログが紹介されていました。要は、“水の代わりにメンツユでウドンを打てば、タレをつけなくても食べられるウドンができるんじゃないかと思い、やってみました”というレポートなんだけど、ウドン打ちを趣味の一つとする私にとっては、正直言って衝撃的でした。この発想は無かったですねぇ。唐辛子・青海苔・山芋・卵あたりまでなら練り込んでみた事はあります。でも、これはまぁ、常識でも考えられる範疇でしょう。メンツユでウドンを打つという発想はそれらとは全く時限の違う話で、学術的に言うとパラダイム・シフトなのですよ。

どうせそんなの大して美味くも無いだろうと期待(?)して読み進めていくと、結構美味かったらしいのですよ、これが。ただ、書いた方はウドンを打つこと自体が初めてだった様なので、手打ちウドンの美味さの方に驚いてしまった可能性もあります。しかし、一度ネタと割り切ってやってみるのも、面白いかなと思っています。自家製のきちんと作ったメンツユを水代わりにして、その場で打ったウドンを茹でたてで食べれば、多分不味いはずは無いのです。でも、こういう飛び道具的な品は、なぜかレギュラーにはなれないんですよねぇ。

07/01/22(Mon)

先日雑誌で見つけたアンティークの店に行ってきました。品揃えや店作りのセンスがなかなか良かったので、同じ様な趣味を持つ友人に紹介したところ、その人も早速行ってきたそうです。結果は…超不評。気の置けない友人なので、ズバッと言われてしまいました。確かに品揃え店の作りは悪くない。でも店主が、たまたま来ていた常連と内輪話で盛り上がっていて、全く接客されずに放置されてしまったそうです。接客業の中でもアンティーク屋というのは、放置でもいい場合が多いと思うのですが、客が相手をしてほしいというオーラを出していたら、それを受信しなきゃダメです。私の時は客が私だけだったので、そういうことには全く気がつきませんでした。悪い事をしました。

確か、山口瞳だったと思うのですが、友人を自分の行きつけの店に連れて行った際に、自分ではなくその友人の方を重点的に相手するのが、いい店だと書いていました。ともすると、上のアンティークの店のように、常連である“私”の相手をしてしまいがちなのですが、それは間違い。“私”は、常連になって欲しくて、その友人を連れて来ているのだから、一見のそっちの相手をしてくれと、そういうロジックです。私もこれには賛成

少し話がそれました。私は、一見さんと常連が競合した場合、一見さんに集中しろとはいわないけれど、その一見さんに“ここは常連贔屓の店だな”と思われたら、客商売としてはかなりのマイナスだと思います。特に空間・雰囲気を売る商売の場合、相手を居辛くさせるというのは、致命的です。ちなみに私は、行きつけの店で他に見たことのないお客さんがいる場合、親しげにスタッフとしゃべる事はなるべく避けています。自分が一見さんの立場だったら、あんまり良い気がしませんからね。客商売って難しいです。良いもの・美味しいものを売っているだけでは、なかなか成り立ちません。だから私は、長年そういう商売を続け、たくさんのファンを抱えている人を尊敬します。

07/01/21(Sun)

水道料金は、地方自治体によって大きな差があり、東京のそれは相対的に見ると高くもなく・安くもないレベルだそうですが、絶対的に見るとやっぱり安いと思います(数日前の日記で書いたように、1リットルで約0.2円)。だから、金銭的な面からは、文字通り湯水のように使おうが別に問題ないのですが、やっぱり使える水が無駄に排水溝に流れていくのを見るのは、苦痛なのです。

ある日の帰宅時の風景。帰ってきたら洗面台にお湯をためて手を洗い、その手でコンタクトレンズを外します。そのお湯に洗濯用洗剤を溶かし、台所用布巾の要洗濯のやつを、洗濯板を使って洗います。その後漬けっぱなしで一晩放置。台所用布巾は割と油を吸ってしまっているので、ただ洗濯機で洗うだけでは十分な汚れ落ちが期待出来ないのです。特に、水温の低い今の季節は。次の日の朝、漬けて置いた布巾は洗剤液と一緒に洗濯機の中へ。

洗面台はボウル状をしていて取り外しが出来ないので、洗剤液を全て回収して洗濯機に入れる事は出来ません。だから逆に、わざと多めに残しておき、そこに雑巾を浸して部屋掃除。真水で拭くよりも、少し洗剤が入っていた方が、当然汚れ落ちは格段に上がります。手洗い→漬け置き洗い→洗濯→掃除と水の四段活用。禅宗のお坊さんの話しを読んでいると、この様な水の有効活用の話は割とよく出てきます。台所→拭き掃除→草木の水遣りというのが定番。うちの四段活用よりも、ずっとカタチになってます。やっぱり最後の、草木の水遣りってのがいいですね。衆生に対する愛情っていうんですか…。考え方は似たようなものだと思いますが、フィニッシュでこうも印象が違ってしまうのですね、何事も。

07/01/20(Sat)

今日から、新しい鰹節(本節)を使い始めました。少なくとも私の周辺には、本節を使っているモノズキは一人もいません。でも、使い始めたら本節と削り節は似て非なるものという事が実感できます。とにかく香り・味ともに全く違います。私が買っているのは、400g2,500円くらいのもの。決して安くはありませんが、満足度を考えると、そんなに高い買い物ではない気がします。

本節を使っている人が極端に少ないので、ほとんど役に立たないでしょうが、本節豆知識。本節を綺麗に削るのは、案外難しいです。まず、削り箱の刃がきちんと研がれていなければなりません。包丁などと違って、鉋式なので、一旦木の台から金槌などを使って刃を取り外さなければいけないのが、面倒といえば面倒。ただ、刃渡りがごく短いうえに、直刃なので、研ぐこと自体は非常に簡単。まぁ、構造的には非常に単純な道具なので、要は慣れです。

次に鰹節を削る向き。鰹節は一見すると、葉っぱのような形の塊としか見えませんが、生前どちらが頭でどちらが尾だったか、どちらが皮側でどちらが中骨側だったかによって、内部に木目のような層が出来ています。尾・中骨側から削っていくのがセオリー。これを守らないと、木目(?)に逆らうような形で削ることになり、削った鰹節が粉になります。狙ってやるのならいいですが、普通にシュルっと削りたいのならこのルールは覚えておかねばなりません。

さらに、一番重要なのは湿度。冷蔵庫に入れっぱなしにして乾きすぎてしまうと、木目セオリーを守っていても粉になります。逆に、梅雨時などに室内に放置して水分を吸いすぎると、刃に引っかかって刃こぼれをおこします。ここがきれいな鰹節を削るためには一番肝心なところなのですが、削る向きなどと違って一朝一夕には制御し切れません。乾き具合に応じて、刃への当て方を変えるとうまくいく様な気がするのですが、あと二十年くらいしたら会得できているかもしれませんね。いずれにせよ、私もまだまだ入門クラス。美しい鰹節削りの道は無駄に遠いです。

07/01/19(Fri)

年末に貰った、黒豆の瓶詰めを今頃開けました。丹波の黒豆使用で豆の粒が大きく、皮もツヤツヤ。瓶詰めなので半ば当然ではあるのですが、中まで完全に味がしみていて、なかなか美味い。でも、私は前々から思っていたのですが、黒豆って料理というより菓子ですよね。レシピを見ても、味付けはほとんど砂糖。その甘味を引き立てるためにほんのわずかの塩を使います。だから、私にとって甘すぎる黒豆はご飯のオカズにはなりえません。

ではどうするかというと、お茶請け。朝起きて、ポストの朝刊をとってきます。お茶の種類は色々あれど、朝は日本茶。急須に湯呑み2杯弱ほどのお茶を作り、小皿に黒豆を5〜6粒。黒文字の菓子用楊枝で豆をつまみつつ、茶を飲みつつ、新聞を読む。オッサン街道まっしぐらです。なければ別にお茶だけでもいいのですが、日本茶にはやっぱり甘いものがよくあいます。ちなみに、私の朝はコレで終了。朝食は摂りません。あちらこちらで朝食を抜くとロクな事にならないと言われていますけど、こっちの方が調子がいいので何となくこのスタイル。更にオッサンになると、きちんと朝食を摂るようになったりするのでしょうか。

07/01/18(Thu)

世の中で、賞味期限が大きな問題となっています。私は、賞味期限に関してはかなりアバウトで、大幅に過ぎていようが、とりあえず味をみて、大丈夫そうならそのまま食べてしまいます。しかしこれは“自分はこの食品が賞味期限切れである事を理解しており、もしそれが原因で何か不都合が起こっても、それは自分の責任”というロジックの下に成立しているわけです。これとは反対に、世の中には、賞味期限切れを極端に嫌う人もいますし、乳幼児のように自分ではその判断が出来ず、なるべく食品リスクを避けたい場合もあります。こんな時に賞味期限の表示は非常に重要なわけで、それがウソというのは企業としてはまずいでしょう。

本当かウソか分かりませんが、現場のベテラン作業員が、自分の舌で賞味期限切れの食品を大丈夫と判断したといいます。この判断、家庭内でする分には問題ありませんが、上記の理由から、工場内でやってはいけなかったですね。まぁ、この背景には、そういう事を許す工場の雰囲気、会社の空気があった事は確実でしょうから、このベテラン作業員が槍玉に挙げられるべきではないと思います。それにしても、企業の規模が大きいだけに、影響は甚大です。フランチャイズのオーナーやパートさん、これからどうするんだろう…。他人事ながら、かわいそうに思ってしまいました。たかが賞味期限なんですが、されど賞味期限なんですよねぇ。

07/01/17(Wed)

料理をすること自体は、結構好きなんですけど、毎晩何かを作るかというと、そうでもありません。作る日は2〜3日に1日くらい。ある意味ズボラな私は、一人暮らしにしてはかなり多目のロットで一品を作ります。今は冬場で保存期間が延びるので、ただでさえ多目のロットが更に大きくなりがち。先日例に挙げた白菜のオヒタシならば、4〜5日は軽く冷蔵庫でもたせる事が出来ます。万事その調子で毎日何か作っていると、ストック常備菜が多くなり過ぎて、食べ切れなくなるのです。2〜3日に1日数品を補充する今のペースですら、一汁五品は軽くキープできます。

何も作るものが無い日はどうするか。ご飯のキープが無い日は、帰ってきたらそれが最優先です。私は鍋で炊くので、タイマーセットという便利技は不可。それでも、朝、米を水にくぐらせてさえおけば、点火から蒸らし含めて25分で美味しいご飯が食べられます。キープがあれば、レンジでチンするだけなので、あっという間。味噌汁は原則毎回欠かさず作ります。焼き魚などの焼き物系がある場合は、当然作り置き不可なので、その場で焼きます。タッパーに入った常備菜を皿に盛り付け、沢庵などの漬物を切ります。そんなこんなで、ご飯がレンジでチンの日なら、家にたどり着いてから夕食が始まるまで15分くらい。慣れてしまえば、全然どうってことのない負担です。

補充の日はというと、何を作るか・何品作るかによってずいぶん時間に差が出てきますが、ルーティーンの夕食の準備含めて、原則一時間以上はかけません。それなりに疲れて帰ってきますので、あんまり凝った事はできないんです。最近食傾向がめっきり枯れてきたので、しようとも思いませんが。これぐらいのことでも、何年も積み重ねるとそれなりにスキルが向上し、段々楽しくなってきます。増えてきたとはいえ、やっぱり料理をする男性は少数派。面白いから、もっとやりゃいいのに、と思うんですけどねぇ。

07/01/16(Tue)

私は、ほぼ毎日自分でご飯を作って食べているわけですが、“自分の好きなものを好きなだけ食べられる”“とにかく安上がり”というのは、どちらも大きくはありますが、最大のモチベーションではありません。最大のモチベーションは、“片付いていくのを見るのが楽しい”、コレです。

例えば、先日白菜を一玉半貰いました。フルサイズの白菜なんて、大き過ぎて冷蔵庫には入らないので、冬場の気温の低さを逆手にとって、部屋の片隅に転がしておきます。とりあえず半玉、寸胴で茹でて絞ってオヒタシにし、タッパーに詰めて冷蔵庫に移すと、部屋に転がる白菜は、一玉半から一玉に減り、その一角が目に見えて片付きます。コレが嬉しい。更に、その一角には、常時様々な食材が積み上げてあるのですが、ある程度この食材が減ってくると、積み方を変えて、より収まりの良い配置を検討したりします。コレがまた楽しい。また、冷蔵庫に移したタッパーのオヒタシを、毎食コンスタントに食べていって数日後にそれが無くなると、今まで冷蔵庫の一角を占めていた、そのタッパーのスペースが空きます。コレも嬉しい。

そんなに片付いているのが好きならば、台所を空にして全部外食にすればいいじゃないかとも思われそうですが、それは違います。“片付いているのが好き”なのではなく、“片付いていく過程が好き”なので、やっぱり自炊は必要なのです(無論食べることそれ自体も好きなんですが)。ただ、こういう意見をおおっぴらに言う人を、私はあまり知りません。いるとは思うんですが、“食べる事よりも片付いていく事の方がが好き”なんて、食通の意見ではなくて、むしろ片付け魔の意見ですからね。

07/01/15(Mon)

先日、某鄙びた土地で喫茶店に入りました。店先に“当店では美味しい井戸水を使っています”とあったので、少し期待したのですが、出てきた水が錆臭くて往生しました。多分、パイプのどこかが錆びていたんだと思います。こういう時は、大きな親切を実行して、店の人に言うべきなのでしょうか。私が思うに、味なんてものは極めて個人的な感覚なので、私が錆臭く感じても、他の人が同様に感じるかどうかは全く不明。オトナの分別に従えば、こういう事はそっとしておいた方が良いのです。

水といえば、私の周囲には東京の水は不味くて飲めないと、ペットボトルの水を常に切らさない人が、かなりの数存在します。しかし、別に東京都水道局の肩を持つわけではないですが、東京都の水はそんなに悪くないんじゃないでしょうか。真夏の暑い盛り、水道水がちょっとカルキ臭いなと思う事はあります。でもそれはほんの一時期で、その他の時期、ましてや今のような真冬の時期は、全く何も感じません。それに、私が口に入れる水分は、ほとんどが沸かしてお茶にしたり、料理に使ったりしたものなので、沸騰で激減するといわれるカルキ分は、全く検知できません。味覚で検知できない有害成分は…この際おいといて。東京都水道局も、たゆまぬ技術革新で、美味しい水作りを目指しているんだぞと、どっかに書いてありました。肩持つわけじゃないですが、再び。

それに、水道水ってどう考えても安いでしょ。この辺では、月に8立米までは約1,500円の定額です。8立米=8,000リットルですから、500mlのペットボトルにすると16,000本分。1本あたりの値段は、1,500円÷16,000本≒0.1円、ホラ激安。水道水=カルキ=不味いのイメージで、実際以上に過小評価されている気がしますねぇ。ただし、これはあくまで東京の私が住んでいる地域の水道水の話。地域によっては、カルキ臭が強過ぎて本当に飲めない水道水もあるそうです。そういう所に行ったら、私も水を買うようになるかもしれませんね。

07/01/14(Sun)

今でこそ白飯大好きな私ですが、中学生くらいまでは白飯の美味さがサッパリ理解できませんでした。“味、ないやん!”としか思わなかったです、浅はかですね。ちなみに、大相撲を席巻している外国勢力士達。彼らの多くがこの“味、ないやん!”で苦労しているそうで、ケチャップやソースをかけてしまう事も多いのだとか。非常にうなずけます。私はというと、さすがに親の手前それは出来なくて、強い味方は永谷園。ほぼ毎食、永谷園で白飯を流し込んでいました。よっぽど嫌いだったんですね。

その頃、たまに現れて私を大喜びさせたのは、“チキンライスの素”。最近全然見かけないので、もう現存しないかと思っていたら、楽天市場で見つけました。5食分130円。意外と安いですね。コレ、炒飯の要領でご飯を炒め、そこに粉末状の本品を振りかけてよく混ぜると、簡単にチキンライスが出来るという代物。しかし、多くの場合は所々にご飯のダマが残り、その部分が染まらずに白いまま残って、ちょっと…の出来上がりになる場合が多いという罠。ただ、当時の私は保育園〜小学校低学年。チキンライスくらい、鶏肉・玉葱・ケチャップで作ってあげようよ>うちの母と、今となっては思わなくもないですが、忙しかったのでしょう。ずっと後に一度、確か成人してから、このチキンライスをリクエストしたところ、ものすご〜く嫌な顔をされました。嫌味を言っていると思われたようです。まぁ、半分はそうなんですけどね。

そんな私が、白飯大好き人間になった、これというキッカケは特にありません。気がついたら好きになっていたという感じ。ひょっとしたらその変化が、オトナへの階段の第一歩だったのかも。これから大きくなる子供達には、“とにかく米食っとけ、そのうち好きになるかもしれないから。”と伝えたいです。余計なお世話。

07/01/13(Sat)

本日、白菜を1.5玉貰ってしまいました。この辺の法則に関しては、昨日書いたからもういいや。白菜・大根・ミカン・リンゴは、この時期に限って通貨として流通させるべきだと思います。

それはともかく、最近毎日のように実家から持ってきた、父親手製の沢庵&白菜の漬物を食べています。非常に悔しいことに、これが結構美味いのです。美味い沢庵&白菜の漬物を毎日食べていると、これらは白いご飯を美味しく食べるためにうってつけの食材だという事が、よく理解できます。とにかく、今まで以上にご飯が美味い。すると今度は、そのご飯の味わいを邪魔するような料理は、当面要らないということになります。例えば、うちでもたまに作るものの中では、肉野菜炒め。肉野菜炒めそのものは、文句無く美味しいのですが、これは白飯の味わいを引き出す料理ではなく、むしろ強烈な味わいでそれを覆い隠してしまう料理です。一般的に、肉の旨味は、白飯&漬物のハーモニーとは相容れませんね。ご飯の淡白さに対して、肉の旨味は強過ぎるのです。逆に、このコンビネーションを邪魔せず、逆に引き立てるのは、薄味の煮物・和え物系。まさに、私の実践する食卓構成に合致します。

というわけで、今この場で考えた理想の夕食。白飯・漬物(白菜&沢庵)・味噌汁・白菜のオヒタシ・ふろふき大根・焼魚。午後、ちょっと多めに体を動かしてお腹をすかせ、このメニューで白飯茶碗三杯(1.5合)、食後に番茶。こんなの当たり前の様にすぐ出来るんですけど、理想的ですねぇ。出家半歩手前の考え方であるともいえますが、ココ以外は俗念にまみれてますので、出家の予定は全くありません。

07/01/12(Fri)

自宅に沢山あって、これは当分要らないなと思うものに限って、貰ってしまう法則。今うち、リンゴが1ダースあるのに、会社で三つ貰ってしまいました。ジャガイモ10個ほどあるのに、大家さんから新たに10個貰ってしまいました。ちなみに元からあったのはメイクイーン系で、貰ったのは北あかり。大きさで言うと、メイクイーン2個=北あかり1個に相当します。当分ジャガイモライフ決定。既にもう、諦めの心境。

ジャガイモといえば、うちではポテトサラダが定番ですが、網で焼いても美味いです。外で食べるとツケアワセになりがちなジャガイモも、うちでは立派な一品扱い。作り方は超簡単。洗います、皮剥かずに1cmほどの厚さにスライスします、網で火が通るまでじっくりと焼きます、終了。そのまま塩振って食べてもいいのですが、最近、オリーブ油をちょっとかけて食べると、更に美味いことに気がつきました。そこで、もうちょっと凝った物に仕上げることも出来ます。

あり余っていた人参は面取りしないシャトー(四つ割とも言う)、ストックの玉葱は1/8の櫛切り。ブロッコリーは適当な大きさに切って、それぞれ網で焼きます。火の通り方が違うので、それぞれスタート時間をずらして、なるべく焼き上がりを同じタイミングにする事だけがポイント。全部を深めの皿に入れ、塩胡椒とオリーブ油を加えて、ぐわっと混ぜれば完成。俗に温野菜サラダとも言いますが、レタスやキャベツを中心とした普通のサラダに比べ、一皿の満足度が桁違いに高いです。温かいので今のシーズンにもピッタリですしね。シチューなんかとあわせると似合うのですが、今日うちの食卓にあったのは、沢庵・干し大根を煮たの・白菜のオヒタシetc。ちぐはぐです。

07/01/11(Thu)

先日のアイテムを羅列する書き方、案外楽に書けたので、もう一回だけ。うちの台所の片隅には、高さ5cmほどの一段積みの柿のダンボールの蓋を切ったものが置いてあり、中には常温で保存できる食材を無秩序に放り込み、生成りの麻布をかぶせて目立たないようにしています。で、今回はその中が今どうなっているか。ちなみにほとんど全て貰い物です。

まず、黒豆の瓶詰め・蟹缶×2。黒豆は昨年末に職場で貰ったものですが、つい開け時を失してしまいました。正月もだいぶ過ぎてしまいましたし、どうしよう…。蟹缶は実家から送ってきたもの。好きなんですけど、悲しいかな庶民の性。何かいい事があった時に開けようと思っているうちに、これまた開け損ねています。まぁ、缶詰・瓶詰めなんてすぐダメになるようなもんじゃないですから、ゆっくりいきましょう。柚子が四つ。これは隣に住む大家さんから貰ったやつです。とても寒い夜に、蜂蜜と一緒に熱湯で溶いて、ホット柚子蜂蜜にするのが定番。一回に半玉使うので、八回分あります。これもまぁ、一ヶ月以内くらいで使えばいいでしょ。

ジャガイモ10個ほど&玉葱3個。これは実家から送ってきたやつ。多分ポテトサラダになるでしょう。どちらもこの時期なら室温で十分保存できるので、処理の優先順位は低いです。冷蔵庫に入っている春菊や白菜が先。まぁ、一週間以内くらいには…。シベールのラスク2個入り10袋。これは、年末に職場で貰ったやつ。職場での評判はかなり高いんですが、私にはちょっと甘いです。お茶請けに使う事もあり。玉露とほうじ茶の100gアルミパック×4。昨年大家さんのご主人の葬式で貰いました。2袋は何とか使い切ったのですが、あと4袋もあるよ…。

実家から送ってきた切干大根とイモガラ。まぁ、来年くらいまでに使えば良いやというノリ。切干大根は好物の一つなので、多分あっという間に無くなります。箱に入らなくてその横に置いてあるので、厳密には箱の中身ではないのですが…。この他にうちには、10kgほどの米が入る大きさのプラスチックケースに三つ分、油だの豆だの昆布だの、様々な食材が備蓄してあります。まるで食糧備蓄基地。ちょっと現代離れしてますね。

07/01/10(Wed)

盆暮れに帰省した際には、実家から不要な貰い物をかっぱらってくる事が通例となっています。そこで今回は、実家からかっぱらってきたもの一覧。まず、油。油はストックも含めて常備しているので、いざ貰っても使うのがずっと先になり、つい忘れて次のストックを買ってしまったりで、放置されていたものを回収。実はこれ、毎年親戚からお歳暮として届くのですが、箱にアム○ェイと書いてあるのはご愛嬌。ちなみに、誘われた事はありません。家ではサラダを作らない私は、ドレッシング不要なので、こっちは没。胡麻油とサラダ油だけかっぱらってきました。これは、用途の幅がとても広いので、非常にありがたい。

リンゴ一ダース弱。この時期、リンゴとミカンはどこの家でも通貨として使えるんじゃないかというくらい余っていたりします。特に実家の両親はリンゴをあまり好まず、貰ってもほとんど手をつけずに腐らせてしまうので、回収。部屋の隅に転がしておけば半月やそこらは全然問題ないですし、食べるまでにそれ以上かかりそうな場合は、スライスして干しリンゴにしてしまえば更に保存期間アップ。どうとでも使いまわせる便利な食材なので、迷わずゲット。

某有名デパート○越印のオカズ缶セット一ダース。シーチキンのと同じ位の大きさの缶に、煮豆・五目煮・土佐煮などの煮物が入っている缶詰。正直要らなかったのですが、私が持っていかないと捨てると母が言うので、仕方なく貰ってきました。数缶食べてみたのですが、根菜・筍などは味も香りも飛んでしまっており、他人にはオススメできません。ただし、甘く味付けした煮豆系は悪くない。一ダース中二缶しかありませんけど…。一応○越を弁護しておくと、煮物を缶詰にするというコンセプト自体に無理があり、どこがやってもこんな感じになると思います。

あとは、実家で漬けた沢庵と白菜、それに手作りの干し大根をゲット。私が帰って来ると、ストックがスッキリすると母には喜ばれています。いいのか、そんな喜ばれ方で?頑張って淡々と使っていこうと思っています。

07/01/09(Tue)

ここの隣には、うちの大家さんが住んでいます。80歳ちょっとの女性で、昨年の10月くらいにご主人を亡くして一人暮らし。子供はいません。子供がいなかったせいか本当に仲の良いご夫婦で、ご主人がなくなって以来、めっきり通りで姿を見かける機会が少なくなり、ずっと家に閉じこもってしまっている様子でした。それが今日、久しぶりに門の外で姿を見かけたので声をかけてみると、区のヨガ教室に申し込んで、今日がその初回だったとのこと。“まだまだ立ち直れないけど、ちょっとは元気を出さなくちゃと思ってね”という言葉に、スレた私の涙腺も、少しゆるんでしまいました。訊くと会場は、ここから私の足でも歩いて30分以上かかるところ。あまり足も良くないのに、今日は天気がいいから頑張って歩いていってみたそうです。

わたしの家の家賃は振込みでもいいのですが、月に一回くらいは直接家に行って話をしがてらお金を渡した方が、人間関係が作れてよかんべと、入居以来私は手渡し派。月末には玄関先でちょっとした世間話をするのですが、やっとほんの少し、最悪の時期は脱したようです。こんな言葉今では全く流行りませんが、“袖すりあうも他生の縁”という言葉、割と好きです。重い古新聞紙の束を、資源ゴミ収集の日に所定の場所に持っていってあげる、それだけでもずいぶんと人間関係が円滑になります。こんな事を書くなんて、私もジジイに近付いている証拠でしょうか。

07/01/08(Mon)

実家から畑で採れたての人参とブロッコリーを持ち帰ってきたので、今夜はそれを使って一品。といっても別に大した物ではなく、それらを粗く乱切りにして、年末お歳暮で貰ったウインナーと一緒に5分ほど蒸して、塩・胡椒をしたもの。人参とブロッコリーの甘味が最大限に引き出され、とてもこんな手抜き料理とは思えないほど。やはり、素材が良いと味が違いますね。

ところで、実家の母の定番料理の一つに、この人参と大根をダシ汁でコトコト煮たやつ、というのがあります。母には悪いのですが、この人参が同じ人参とは思えないくらい不味い。長時間煮込んでいるので、歯応えはゼロ。人参本来の芳香が、煮過ぎたために変な臭いに変質してしまっています。やんわりと注意はしてみるのですが、人参はこうやって食べると美味いという思い込みが前頭葉にガッチリ食い込んでいて、剥がれません。また、うちの母は同じブロッコリーをクタクタになるまで茹でてから、マヨネーズをベッタリつけて食べるのを好みとしています。そんな事をしたら、せっかくのブロッコリーが勿体ない事になっていると、これまたやんわり注意してみたのですが、以下同上。

大根・ジャガイモなどの場合は、自分の持っている味・香りがほとんど無いので、長時間に込んで味をしみこませるという調理方法はアリでしょう。しかし、自身が強い風味や香りを持つ野菜の場合、火を通し過ぎるとかえって不味くなってしまうと、私は思います。人参なんかはその典型。カレーの人参がコトコト煮ても平気なのは、万能七難隠し調味料である、カレー粉の偉業です。野菜はほとんどの場合、サッと火を通して歯応えと香りを残しつつ味わうのが王道。クタクタ・ヘナヘナの野菜も、まぁ好みなんですけどね。

07/01/07(Sun)

というわけで、遅まきながら東京に戻ってきました。いきなりの雨と低い気温とでめげそうになりましたが、やっぱりホームタウンはいいものですね。ちなみに私が実家で過ごしたのは7歳から18歳までの11年間。小さい頃は両親の仕事の都合で、実家から車で2時間ほどのところに住んでいました。気がつけば、この街に住んだ時間は、この11年を軽く超えてしまいました。ですから、最寄駅のホームで電車を降りると、心底ホッとした気持ちになります。

それはともかく、帰京時に毎回頭を悩ませるのが、お土産。といっても、職場のお土産などは正直どうでも良いのです。空港で2,000円くらいの当たり障りの無いやつを買えばそれで良し。買って来たという事実さえあればいいのだと、クールに割り切っています。しかし、問題なのが行きつけの喫茶店。ここには本当に喜ばれるものを持って行きたい。こういう場合私は“自分が貰って嬉しいもの”という基準で選びます。ところが、この基準を厳密に運用すると、何も買うものがなくなってしまうのです。“名物に美味いものなし”ですからね。唯一大丈夫そうなのが酒類。皆お酒には一言持っている人達ばかりですから、良い酒をチョイスできれば最高なのですが、非常に残念なことに、下戸の私はどの酒が良いんだか、サッパリ分かりません。お店の人に訊けば親切に教えてくれるんでしょうけど、やっぱりこういう物は、自分自身で納得したものを選びたいのです。というわけで、酒類もパス。

サテ、どうすべぇと帰京直前まで悩んだのですが、思いついたのが自家製沢庵と白菜漬け。今年から、リタイアして暇を持て余す父が、自分の家の畑で採れた野菜を使って大量の漬物を作り、あちこちに配り歩いているのです。うちの父、子供の私が言うのもなんですがかなり器用な人で、初年度からかなりのものを作りやがっています。これだっ!ということで、決定。職場用の土産と違って価格はタダですが、心のこもり方は桁違いです。逆に、この漬物を職場に持っていくつもりはサッパリございません。みんな、喜んでくれるといいなぁと心底思っています。

07/01/06(Sat)

子供の頃、学校から家に帰って必ず真っ先にやる事は、冷蔵庫を空けて中身をチェックすることでした。三つ子の魂何とやらではないですが、三十を過ぎた今でも、その癖は治りません。実家にいる時は、朝起きて一開け・昼食前に二開け・夕食前に三開け・寝る前に四開け。最低四回は必須となっています。別にそんなに頻繁に買い物をして中身が変わるわけじゃないんですけど、こればっかりは癖ですね。冷蔵庫の電気代節約のためには、中の冷気を逃がさないために、開閉回数をなるべく少なくするのがセオリーですが、固い事は言いっこなし。

ちなみにこの癖、東京の自宅では決して発動しません。これは別に、実家の電気をいくら使おうが自分の財布が痛まないから…ではなく、東京の冷蔵庫は自分で完全に内容を把握しているから、何度開けても絶対に変化がないので、つまらないからだと思われます。それにひきかえ実家の冷蔵庫は、わずかでも中身に変化のある可能性があるために、そこにロマン(?)を求めているからでしょう、多分。もしかしたら母親が私の知らないうちにコンビニでプリンを買ってきて入れているかもしれないし、父親が果物を貰ってきて入れているかもしれない。そこが面白いんですねぇ。

ちなみに実家の冷蔵庫、私の勧めもあってここ一年で四台→二台へと大幅リストラに成功しました。もともと、60台の夫婦二人の家で冷蔵庫が四台稼動しているのがおかしいんですよ。おかげで電気代激減。母親には感謝されましたが、それってどうなのよ?というのが正直な所。

07/01/05(Fri)

やや昨日の続きにもなりますが…。私が高校までこの辺に住んでいた頃は、水田の間を通る農道は土盛で、軽トラが入らないものだから、主戦力はネコ車でした。しかし、これではあんまり非効率的だというんで、この農道を拡幅して、軽トラが入るようにあちこちで工事をしています。水田の間を走る農道を拡幅するとなると、当然水田の一部を潰さねばなりません。ところが驚くべき事にコレ、共同の農道になるからという理由で、無償供出なのですね。戦時中じゃあるまいにと思うのですが、これが現実。

しかし更に驚くべき事に、集落のほとんどの世帯がこの無茶な命令(私にはそう思えます)に反対しません。ここら辺でも高齢化がすすみ、農業で生計を立てている人はほとんどいません。中心となっているのは、会社などをリタイアし、年金を貰うなどしながら、自分の家族分の米や野菜を作り、余った分を売って小遣いにしているような人達です。こういう人達は、お上に逆らって面倒臭いことになるのが嫌ですし、何より皆そうしているからという理由だけで、不思議なくらい素直に土地を差し出します。しかしそうじゃないのが、少数派の若い人達。私の幼馴染でも何人か農業を継いでいる人がいますが、彼らは基本的にそれで生計を立てています。子供は小さいし、何かと要りよう。水田の面積が減る事は、収穫量・ひいては収入に直結しますから、せめて保障はしてほしいと思うのは当然だと私も思います。でも、これが通じないんですね〜、ココでは。

仮に保証を求めたり、供出に反対したりしようものなら、お上はともかくとしても、素直に土地を差し出した長老集から、コミュニティの和を乱すものとして総スカンを喰らう事になります。ここは自分が育った土地ですし、全体的には好きなのですが、もう一回住むかといわれたら、ちょっと厳しい。脳内毛細血管が切れて致命傷になっても困るので、あと十周りくらい人間丸くならないと、私にUターンは無理のようです。

07/01/04(Thu)

私の実家はド田舎にあるので、ここを離れて15年以上経った今でも、私が住んでいた頃とほとんど変わりはありません。しかしそれでも、時代の波というのは押し寄せるわけです。私がいた頃、水田の間を流れる用水路や畦は、ほとんどが土盛のものでしたが、今はほとんど全てコンクリート製のものになってしまいました。集落を挙げての、春先の用水路掃除は飛躍的に楽になりましたが、愛想は確実に無くなりました。住んでないし、ましてや農作業にも携わっていないので、こんな事を言うのは、無責任以外の何ものでもないんですけど。

実家の東側の塀は、高さ2.5mほどの古い生垣で出来ています。いつ出来たのか、誰も知らないんですが、一説によると200年以上前の物とか。ところがそのすぐ脇に農業用水路を作ることになりまして、そうすると外側から剪定が出来なくなるものだから、その生垣を全部取っ払ってブロック塀にすることになりました。これまた非常に無責任ですが、アホな事をと思います。別に今までそれなりにやってきたんだから、よりにもよってそんなところに用水路をつける必要は高くないんです。ここでも何度か書きましたが、田舎の人は昔からの物とか自然の物を大事にする気持ちは、強くありません。その辺にありふれているんで、全然貴重感が無いんですね。私にしてみりゃ、ピカピカのコンクリートの用水路よりも、いつ出来たか分からない古い生垣の方が数百倍重要なんですが、そういう意見はこっちでは圧倒的少数派。寂しいことですねぇ。

07/01/03(Wed)

実家の台所にお歳暮で届いたという自然薯があったので、今夜は私が個人的に一番美味いんじゃないかと思っている汁物を作ってみました。何でもいいので、手に入る新鮮な美味い魚を用意。今回は、鯖。別に、鯵でも鰯でも鮪でも鯛でも、何でも構いません。鯖を三枚におろして、皮を剥き、包丁で叩いてミンチ状にします。これをすり鉢に入れ、これでもかというくらいよく擂ります。この擂り具合が出来上がりを左右するので、決して手を抜いてはいけません。

鯖とは別に、自然薯をおろし金で擂りおろします。暇があれば、無論すり鉢ですったほうが良いに決まっているんですが、そこまでやってしまうと大変なので、省略。皮は、よっぽどの所はそぎ落としますが、あとはタワシで軽く洗うくらいでオッケー。ちなみに私は“無い物は無い・あるもので済ませよう”というのをモットーにしていますが、今回だけは、大和芋や長芋で代用する事は出来ません。あくまでも自然薯の粘りの強さが必要で、これらの代用芋は粘度が低過ぎます。

おろした自然薯を、少しずつ(これが超ポイント)鯖ミンチの入ったすり鉢に注ぎ、スリコギで擂りながら混ぜていきます。量は、大体自然薯が魚の三倍くらい。途中でほんの少し塩を振って下味をつけておきます。鍋に澄まし汁を作成。今回はせっかくなので、鯖の中骨をスプーンでこそげてなるべく純粋な骨のみにし、軽く炙ったものをダシにしました。醤油はあくまで香り付け程度。味は塩で決めます。酒も入れ過ぎると邪魔になるので、少なめ。魚の臭みを消そう、などと考えるとえてして入れすぎるので、酒によって味わいを深める方向で。

この澄まし汁をゆっくりと煮立て、そこに鯖・自然薯を擂りあわせたものを少しずつ注ぎます。注いだものが、表面を覆うようにして広がり、柔らかく固まったら成功。他に具は要りませんが、気が向いたら色付けに葱くらいはいいかも。これが、美味いんですよ。私、これ以上美味い汁物は無いと思います。ふんわりした自然薯とその中の魚の風味。作るのはかなり面倒臭しですし、自然薯も高価なので、そうそう作るわけにもいきませんが、とにかく美味い。自然薯をただ擂って醤油と一緒にご飯にかけるのも美味いですが、それよりも数段上の味わいを楽しめます。正月早々、これはオススメです。あんまり作れないんですけどね。

07/01/02(Tue)

正月初日にして、既に正月料理には飽き飽き。元々私は“ご飯とあうオカズ”が好きなのに、正月料理はどう考えてもその範疇に入りません。かといって、酒の肴にピッタリというわけでも無し。アレは、正月はこういうものを食べるんだというお約束なんですね、きっと。というわけで、元日の夕食時には既に独自路線、刺身茶漬けです。正月料理の一部として、マグロの刺身があったので、それをブツ切りにして醤油に漬け込むこと約10分。それを軽くよそったご飯の上にのせ、ワサビを添え、周囲からそっと番茶を流し込みます。ザックリ混ぜて、刺身がうっすら白くなったら食べ時。私思うに、魚は完全な生よりも、少し火が通った状態が美味いですね。これは牛肉でも一緒。私、ステーキなら絶対レアですから。

段々世知辛い世の中になって、今年はますますマグロが食卓から遠のきそうです。でも、いいんですよそんなの。マグロがなくても、鰯だって鯵だって鯖だってあります。そんなにガタガタ言わないで、あるもの食べればヨロシイヨ、と思うのです。聞きかじったところによると、江戸時代はマグロは赤身が珍重され、トロはほとんど捨てられていたそうです。食文化なんて、その時の状況でいくらでも変わるのですから、ゆるりと100年ほど待てば、再びマグロが増えて安く食べられる時代が来るかもしれません。もしかしたら100年待たなくても、マグロの完全養殖が実現するかもしれませんし。というわけで、その辺にあるものをなるべく美味く食う。今年も今までと変わらず、私はこのスタンスでいってみようと思っています。

07/01/01(Mon)

特にどーってこともなく、年が明けてしまいました。いつもは近所の神社数件を回ってお参りをするのですが、今年は喪中という理由でそれも無し。正月料理も喪中という理由で(本当にそれが理由か?)、大幅にカットされてしまい、いつもにも増して地味で静かな正月となりました。私は朝食を食べる習慣がないのですが、さすがにこの日ばかりは、色々食べる羽目に。数の子・黒豆・田作り・お雑煮。まぁ、この辺を食べておけば、とりあえず一年ハッピー&ラッキーでいられるのではないでしょうか。今年も一年いい年でありますように。実家にいると、だらけた生活で思考能力が鈍ってきます。自分で料理をしないので、ネタも無し。しかし、こんな生活もエエナァと思い始めている自分、危ないです。

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