2006年12月

<<前<<   >>次>>

06/12/31(Sun)

実家にいる間は、ちょっとした手伝いと洗い物ぐらいで、基本的に料理は作りません。母親とはいえ、自分以外の人の台所は使い辛いですし、何よりも、久しぶりに息子に料理を作る母親は嬉しそうなので、作ってもらおうかなと。そんなわけで非常にありがたいのですが、元々料理はあまり好きでない人なので、時々?という事態が発生します。

先日出たのは、牛肉のソテー。厚めに切った牛肉をさっと焼いたもので、普通に美味しいのですが、何かちょっと変。“ちなみにこれは何ですか?”と訊くと、“お歳暮で貰ったローストビーフの真空パックが、ちょっと古くなってしまったので、焼けば大体大丈夫だろうと思って焼いてみた”とのこと。う〜ん、なんだか自分の料理のルーツを見せつけられた気がして、なんだかちょっと複雑な気分。私もその場にいたらきっとやってしまいそう。もしくは、“よく噛んで消化すれば大体大丈夫”とか言って、そのまま食べてしまう公算も大。焼いたローストビーフはそんなに悪くなかったです。でも、やっぱり焼かないで食べる方が美味いと思います。

残ったタレも余さず利用。畑で採れたホウレンソウをバターでサッと炒め、そこにタレ投入。でも、正直こっちはシンプルに塩胡椒のほうが良いと思いました。肉にあう様に作られたタレは、ホウレンソウにはちょっとくどすぎるんですよね。まぁ、このような行き当たりばったり料理を作っていると失敗・後悔も多いわけで、その辺も他人事ではありません。二十年近くも一緒に住んで、その姿を見て育っているわけですから、そうなりますよねぇ。

06/12/30(Sat)

実家に帰ってきて、ただボーっとしているのも悪くないのですが、あんまりボーっとしすぎると親に悪い気がしてくるので、プチ手伝い。数の子の塩抜きをして、皮を剥いてみたりしました。塩抜きには、真水ではなく薄い塩水を使います。呼び塩といって、こうすると塩が抜けやすくなるのですが、浸透圧のことだけを考えれば真水の方が良いに決まっているわけで、私は呼び塩は眉唾だと思っています。まぁ、気は心ですし、あんまり革新的な事をやると母親に怒られるので、実家では塩水を使いますけどね。

一晩経ったら皮剥き。数の子の皮は薄いので、自宅で食べる分にはそんなに神経質にきちんと剥く必要もないと思うのですが、そこは割と神経質な私、つい本気になって剥いてしまいます。剥いた数の子は、醤油・酒などを煮切った我が家のタレに漬け込んで完成。完成ではあるのですが、私は単に素の数の子に醤油をかけただけのもののほうが美味いんじゃないかと思っています。まぁこれも、郷に入りては郷に従えってことで。今年も残すところあと二日。今日は昆布巻き作りなど手伝ってみようかと思っています。

06/12/29(Fri)

先日、実家に帰ろうと羽田空港の発券カウンターで並んでいる時に、愉快なおっちゃんを見かけました。歳は50がらみで、ダボダボズボンの一見して鳶職。真っ赤な顔の上機嫌で、なにやら鼻歌を歌っています。荷物は無し、手ぶら。そのおっちゃんが、忙しく駆け回る係員を捕まえて“あ〜、オラ今夜、札幌で飲み会があるっぺ。飛行機あるけ?”と、これまた上機嫌で訊ねるのです。この人、航空券の予約すらしていないという事は、当然手荷物を預けられるわけもないので、荷物無しで空港に来たようです。あまりに可笑しいので、それとなくじっと観察してみましたが、どうやら連れがいる様子も無し。もう年の瀬なので、飛行機は満席続出状態。惜しいところで、私は航空券の購入手続きに入ってしまい、彼が札幌に行けたかどうかは見逃してしまいました。どうなったんだろう?

しかし、思い返すたびに可笑しさがこみ上げてきます。混雑してやや殺気立った年の瀬の空港。その中に響く、上機嫌な茨城弁系の言葉と、おっちゃんの無謀さ。あのおっちゃん、東京に戻る際にも千歳空港で全く同じ事をするんだろうなぁと、かなり自信を持って予言できますよ。

06/12/28(Thu)

今日の午後の飛行機で帰省するので、ここで食べる食事はあと一食。最後の方は外の宴会で食べすぎて一食抜いたりと、不測の事態も発生したりしましたが、どうにかこうにか計算通りまとまりました。ラストメニュー(予定)は次の通り。焼餅(オリーブ油風味)、鶏肉のガーリック風味焼き、ハムとシュクルートのセット、白菜のオヒタシ。え〜っと、特に最後の一品が全然他とつりあっていないのはご愛嬌。キッチリ全部食べ切ること自体が、かなりの高難度なのですよ。

昼までにご飯食べて、大家さんに挨拶にいって、荷造りも全然してないし…、けっこう忙しいかも。サイト更新なんてしてる場合じゃないかもしれないんだけど、経験則上何とかなってしまうので、多分大丈夫。それにしても今年は、例年にもましてロクデモナイコトが多かったような気がします。実家近くの行きつけの神社で、厄を払ってもらわなくては。

06/12/27(Wed)

自分の家の大掃除はしない私ですが、先日行きつけの喫茶店の大掃除を手伝ってきました。元来私は、こういう店とはあくまで店と客との立場を守って、一線を引く主義なんですけど、たびたび営業時間外までダラダラして、色々珍しいものを食べさせてもらっているので、ここは例外。献身的に労働力を提供することにしています。

この店は、店中に店主の趣味の骨董品などがちりばめられており、非常にいい感じなのですが、掃除の時はそれが厄介者に変身します。壊れ物の量たるや、眩暈がしそうなほど。それをいちいち移動しては棚を拭いたり、そういったものに触れないように作業をしたり、結構気を遣います。ただ、そういうのは女性人に任せておいて、私の仕事は主に壁・天井拭きと床のワックスかけ。

壁・天井は全てペンキがかかっているので、拭き掃除自体は簡単ですが、足場なんてものは存在しないので、脚立を少しずつ動かしながら、高い所を拭いていきます。この店は喫煙可なので、とにかくヤニがひどい。夏にも拭いている筈ですが、それでも少し拭いただけで雑巾が黄色く色づきます。これを見ると、タバコは止めといた方がいいなと思いますねぇ。まぁそれはともかく、脚立の上で姿勢が制限されるうえに、真上を向いて天井を拭くもんだから、手・腰が痛いのなんのって。

それが終わったら、今度は床のワックス。椅子やテーブルなど、どかせるものは全部どかしておいて、掃除機→雑巾がけ→ワックスがけです。ワックスがけも、自宅でやらない作業なので、最初は新鮮。でも、モップでワックスを延ばす作業は、これまた結構な肉体労働で、二の腕・腰が痛いのなんのって。でも、何人かで共同して一つの作業をするのは、いいものですね。終わった後、みんなで恒例のレストランに行き、マスターのおごりで忘年会。この店に来なければ出会えなかったような人と、馬鹿な話をして夜遅くまで盛り上がる。毎年これが、結構悪くないのです。

06/12/26(Tue)

クリスマスも終わって、年の暮れ。今年もあと一週間ありません。私は木曜日に実家に帰るので、そのための準備として、恒例の冷蔵庫片付け週間に入っています。帰省期間は一週間ほどなので、常備菜・開封してしまったハムなどは全て食べ切って帰らないといけません。かといって、あんまり緊縮してしまうと、毎日の食卓が寂しいものになってしまいます。ですから、このオヒタシはあと○回で食べて、煮物もいつもより少なめの半分ほどで作って…と色々工夫を凝らす、ある意味楽しい日々です。

そうそう、先日大掃除はしないと書きましたが、一箇所だけ例外。冷蔵庫の大掃除をしました。気温の高い間は、中の食品群を外に退避しておく事が出来なくて、取り出し口や棚が、こぼれた食品が乾いたものでカピカピになっていたのです。今の季節は、暖房さえ入れなければ部屋の気温は外と大差ないですし、そのうえ帰省準備で中身自体が減っています。これはチャンス。汚れはお湯を使えば簡単に取れる性質のものが多いので、目に見える戦果も生まれ、非常に気持ちのよい掃除となりました。もっと頻繁に掃除したいんですけど、ここばっかりは例外で、そうもいかないのが残念。冷蔵庫が二つあれば…、でもそれじゃあ、電気代かかりすぎてしまいますね。

06/12/25(Mon)

今朝は目が覚めて枕元を見ても、何も置かれていませんでした。オトナというのは、実につまらないものです。サテ、ここ何年か私がクリスマス・イブに楽しみにしているのは、J-WAVEで1年で1日この日だけ、深夜から沢木耕太郎が放送する“天涯へ”という番組。リスナーから、今何をやっているかについて、電話・メールなどを受け、実際に電話してみたりもする番組で、実にいい感じなのです。今年10回目(10年目)ということで、もうそんなになるんだ、という感じ。2回目の放送(9年前)に電話をつないだ人の中に、アメリカで飛行機乗りになるお金をためるためにタクシーの乗務員をやっているという人でした。その人が昨夜のラジオに出てきて、いまや双子の父となり、事業を起こして小さな会社を経営していて、飛行機からは遠ざかってしまったという話でしたが、こういうラジオって良いなぁと思いました。

アメリカで同様の番組をやった人に、作家のポール・オースターという人がいて、この番組は“ナショナル・ストーリー・プロジェクト”という本になっています。日本で言うところの“ちょっといい話集”のような感じなのですが、はるかに上質。まぁ、私はポール・オースター大好き人間なので、かなりひいき目もあるかもしれませんが。ともかく、今年も“天涯へ”が聴けて感謝。来年も、再来年も、どのような形であれ年末そこそこ幸せに、この番組が聴けるような状態であればいいなと思います。

06/12/24(Sun)

今年もあとわずか、といえば大掃除ですが、例年通りうちは大掃除はしません。探せば汚れているところはあるでしょうが、一年間汚れを平気で放っておける様な場所は、私にとって存在しないも同然なので、掃除の必要なし。今日もいつも通りのルーティーン掃除で済ませようと思っています。ルーティーンとはいえ、1Kの間取りを毎週末2〜3時間かけて掃除するのですから、結構キレイなのです。

自宅はそれで良いとして、そうもいかないのが職場。この大掃除が面倒くさいんですよね。理由その一、自分のデスク周りが汚い。家のクリーン度とはうってかわって、滅多に掃除などしない私のデスク周りは結構汚いです。キーボードを逆さにして振ると、色々出てきますからね〜。汚れはこまめにとる分には手間もかからず楽勝なのですが、ある程度たまってしまうと、本当に面倒。職場では、家では私がキレイ好きというのを、話半分で聞いている人もいます。

理由その二、みんな掃除が下手。文字通り、本当に下手。箒は角の狭い所→広い所。雑巾は箒の後。雑巾の優先度は上→下、奥→手前。こまめに畳み直して、汚れていない面で拭く。掃除機はどかせるものを全てどかしてから。どれも当たり前のことだと思うのですが、掃除機はともかく、今時日常的に箒や雑巾を使う事はないですから、それらを使った動きが体に染み付いてないのです。私は完璧主義なところがあるので、やり出したら徹底的にやりますから、他人の動きが気になってしょうがない。まぁ、言う義理もないので言いませんが、これがまたストレスが溜まるのですよ。そんなこんなで、週明けは大掃除。あぁ、気が重い。

06/12/23(Sat)

先日法事で実家に帰る機会があったのですが、その際実家の台所に貰い物の鮭缶が積まれているのを目ざとく見つけ、半ダースほど強奪してきました。タダは最高。母親はこういうのをあまり使わないので、持て余していた様です。で、この鮭缶。一番貧乏臭い食べ方が一番美味い。ご飯を軽く盛り、その上に荒くほぐした鮭缶をかけ、気分で醤油をトッピング、以上。美味しいからと調子にのって鮭缶を使いすぎると、味のバランスが崩れるので、私は1/4缶を1杯のご飯に使っています。

応用技としては、鯖の味噌煮缶・シーチキン缶・サンマの照り焼き缶などでも同様の美味さが楽しめます。が、やはり王様は鮭缶でしょう。プヨプヨの皮とホロホロになるまで煮込まれた骨、それに旨味がギュッと凝縮された煮汁、最高です。ただし、こういう缶詰って結構割高なので、自分で買う事はありません。専ら貰い物。保存が利くので、貰ってもそのまんまで放置→食べ時を失いそのまんま、というケースがあるので、たまに実家に転がっていたりします、ありがたいことです。白菜と一緒に煮込んだりしてもイケルのですが、一押しはやっぱり貧乏臭いかけご飯なのです。

06/12/22(Fri)

年末は色々なもの(主に食品)を貰う機会が増えるのですが、あんまりイケテないものも貰ってしまう事があります。先日貰ったのは、チーズハム。これは、ハムっぽい肉の断片と、チーズの粒々がギュッと固められてボンレスハムのような状態になっているもの。パンに挟んで食べたりすると、それなりにイケルのでしょうが、ご飯食がメインのうちでは上手く使いこなせません。ハムって言うと、肉がみっしり詰まっていて、肉!っていう主張をしているやつが良いと思います。おまけにこのチーズハム、肉も変な味がついていて、あんまり美味しくないんだ…。

このチーズハムが凶悪なのは、料理方法が著しく制限されること。肉とチーズがランダムに固まっているので、火を加えるとチーズだけが流れ出して、スカスカの肉の網みたいになってしまいます。だから、切ってそのまま食べるというのが、このチーズハムの正当な食べ方。大家さんはパン食だから、知っていたらあげたんだけど、もうケーシングも剥いてしまったのでねぇ…。ですから毎食少しずつ、あぁやっぱりハムはみっしり肉が詰まっているのがいいなぁと思いながら、消費するのです。今年中には何とか。

06/12/21(Thu)

鰹節などのストック系乾物を使っていると、不思議な心理が起こります。あと少しで使い切るというところまで来ると、とたんに消費が遅くなるのです。これは多分、使い切ってしまえば次が無いと、無意識にセーブしているのでしょう。また逆に、それを見越して次のを買ってくると、消費スピードが上がります。これは、今のをとっとと使い切って、早く次のを使いたいと、無意識に思っているからなのでしょう。分かりやすい無意識です。というわけで、今夜は猫飯炒飯。

フライパンで胡麻油を熱して、大きめに切った葱を炒め、香りを移したら取り出します。冷ご飯をぱらっとするまで炒めて、塩で味付け。いったん取り出した葱も投入し、ザックリと混ぜたら、縁からほんの少しだけ醤油を注します。これまた全体をザックリと混ぜ、最後に多目の鰹節をバサッと入れて完成。文字通り、猫飯の炒飯版です。普通の猫飯でも十分に美味いのですが、今夜はちょっと油が欲しいという夜にピッタリ。材料もその辺にあるもので出来ます。葱が無ければ玉葱でも何とかなりますし、卵があれば入れればよろし。ただ、あんまりあれもこれもとゴチャゴチャ入れると、猫飯らしさが失われ、ただの和風炒飯に成り下がってしまいますんで、注意。まぁ、それはそれで美味しいんですけどね。

06/12/20(Wed)

鰹節があと5cmほどで切れそうなので、次を買ってきました。いつも買うやつは、2本入りで約2,500円。私が買う食材の中ではダントツに高価な品ですが、これで1年以上もってしまうので、それを考えるとそんなに高い気はしません。鰹節は、皮側・頭側を上にして尻尾の方から削っていきますので、最終的には元・エラだったところが残るようになっています。そして、この端に近い部分は体積が小さいこともあってか乾燥率が高く、ただでさえ固い鰹節の中でも、群を抜いて固いのです。まぁ、鰹節は削って食べるものなので、固いからといってなんら支障があるわけではなく、逆に何となく旨味がぎゅっと濃縮されているイメージがあって、私は好き。以前は醤油ビンの中に放り込んでダシをとっていましたが、今ではギリギリまで削ったあとは、口の中に放り込んで噛み砕いてしまいます。

私が買った鰹節削り器には、削りサポーターとでもいうべき、取っ手のついた小さな板にゴムを張ったオプションがついており、これで小さくなった鰹節を押さえながら削ると、手で削るよりもずっと小さくなるまで削る事が出来ます。ただ難点は、下手をするとこの板も削れてしまうこと。現に私の持っている板の端はずいぶん削れているのですが、削ってしまうと板も鰹節もあんまり区別がつきません。多分食べてしまってますね、鉋屑。まぁ、死にゃしないからいいんですけど。ちなみに、鰹節削り器は1万円ちょっと。一生ものなので、ちょっといいクラスの品を用意してみました。

06/12/19(Tue)

今日もシュクルートネタです。先日のシュクルート、思いの外美味しい食べ方を発見してしまったので、ここで報告。まず、普通にフライパンで焼餅を焼きます。中国発祥の焼餅は、中に練りこむ油として胡麻油を使うのですが、ここではオリーブ油に変更。焼きあがったら、表面にも薄くオリーブ油を塗り、刻んだシュクルートをたっぷりかけます。その上から、自家製キビナゴアンチョビを微塵切りにしたものをパラパラと散らし、たっぷりのピザ用のチーズをふりかけます。本当はオーブンがあれば一番良いのですが、私は持っていないので、ガスコンロのグリルに突っ込んで、上にのせたチーズが溶けるまで焼けば完成。名付けて、“グリルで焼いたアンチョビとシュクルートの焼餅ピザ”。

キワモノかと思われそうですが、これが本格的に美味かった。まず生地。焼餅からの転用ではありますが、中はきちんと層になっており、下手な冷凍ピザ生地の数段上を行きます。焼き立てで、小麦粉も香ばしい。塩味はアンチョビとシュクルートが元々持っているもので十分。それらを、ガスグリルで一気に焼き上げるのですから、不味いわけがない。シュクルートの酸味も、チーズで押さえられてずいぶん癖の無い味になります。しかし、この料理の欠点は、ここを読んで美味しそうだなと思った人がいても、再現できない点にあるでしょう。焼餅・シュクルート・キビナゴアンチョビ、どれも普通の家には無いものばかりです。誰も突っ込めないから、どんなに美味しいと自慢しても平気なわけです。いや、本当に美味いですよ。おまけに、大人一人がそれだけで満腹になるサイズのものが、100円以下で出来てしまいます。製作時間も15分ほどですし、また作ると思います。

06/12/18(Mon)

数日前の日記で書いたシュクルートが、出来ました。変な雑菌が繁殖して腐ってしまうのではないかと、内心不安だったのですが、うまく醗酵して酸味が出てくれました。味噌を仕込む時もそうですが、醗酵系食品は、内心いつもひやひや。ですから、うまく出来た時の喜びもひとしおです。

シュクルートは、“ドイツ料理でソーセージなどに添えられる酸っぱいキャベツ”と表現されます。酸っぱいというと、日本人なら酢を思い浮かべますが、酢の酸っぱさとは少し違う気がします。沢庵などの漬物を忘れて冷蔵庫に放置しておくと、酸味が出てきて味のバランスが崩れる事がありますが、まさにあの酸味。私はこういう味が好きなので問題ありませんが、日本人には受け入れ難い味だと思います。あれだけドイツソーセージが普及しながら、それとセットで出されるシュクルートが日本で全く普及しないもそれが原因ではないでしょうか。とにかく大量のキャベツを一気に消費でき、保存性も悪くないので、私は時々作ってもいいかなと思っているのですが…。他人には勧められませんね、あんまり。

06/12/17(Sun)

街はめっきりクリスマス一色で、最近では個人の住宅でも外装に電飾を施しているところも増え、なかなかに楽しい季節となりました。自分じゃやらないけど、見ている分にはこういうの好きです。先日の新聞記事によると、結構な費用がかかるそうで、毎年10万円くらいずつ買い足していって、大体5年くらいで“おぉ”という状態に育つそうです。やっぱり私には、無理。

それはともかく、子供の頃は親(通称サンタクロース)のくれるプレゼントを心待ちにしていたのですが、最近ではくれる人もありません。無いのですけど、一応考えてみました、“プレゼント、これが欲しい”。一番欲しいのは、何といってもパソコンです。今使っているやつは、機能面では全く不満無しなのですが、ただ放熱関係がおかしい。室温20度以上の部屋で、1時間以上連続使用すると、高確率でオーバーヒートして落ちます。ですのでこのような状況では、厚い辞書で上げ底にし、後から扇風機で風を当てること必須。20度というハードルは結構低いので、割と辛いのです。25日の朝起きると、枕元に新品のノートパソコン(メモリ1G以上)がポンと置かれている、なんて夢のような状況はありませんかねぇ。

あとは…、胡麻油が切れているのと、シュクルートに入れようと思って狙っていた職場のワインが一足先に同僚に掻っ攫われたので、胡麻油とワイン。でも、これは自分で買えばいいや。その他は…、無し。数年前までは服が欲しい、時計が欲しい、食器が欲しいでしたが、すっかり枯れてしまいました。今あるやつで十分です。こんな無欲な私の枕元に、サンタさんがノートパソコン置いといてくれませんかねぇ。この時点で既に無欲じゃない、とも言いますが。

06/12/16(Sat)

大家さんからお歳暮のおすそ分けで、鮭を数切れ貰いました。さすがはお歳暮、そんじょそこらのスーパーで売っている鮭とは、切れの厚みも大きさも違い、超立派。私にとっては、一切れ丸ごと食べると確実にタンパク質オーバーなので、一食あたり半分。中骨のところで背中側と腹側に二分します。やっぱり美味しいのは、脂ののった腹側。魚体が大きいので、その分骨も大きく、小骨に悩まされることもありません。

とはいえ、さすがにちょっと脂が強すぎるので、こういう時は定番鮭茶漬け。ご飯を軽く盛り、網で焼いた鮭をこれでもかというくらいほぐしてのせ、ワサビを練って添え、そこに玉露(貰い物)を贅沢に注ぐ。素材によっては湯漬けのほうが旨味が殺されなくて良いのですが、この鮭の場合は、強い脂を中和するためにも、苦味のあるお茶のほうが良いと判断しました。お煎餅なんかあると、細かく砕いて入れれば香りと歯ざわりのアクセントとなるのですが、今回はパス。

こんな感じで、今日の夕食は鮭茶漬け三杯、実家で作った奈良漬添えて。もうね、永○園とか目じゃないくらい美味しいですよ。以前はお歳暮で鮭というと、新巻鮭一本が贈られるケースもあり、そうするとアラまで楽しめたのですが、最近はそんなの送られても困る人が多いので、切身が主流になってしまいました。アラこそ美味いのに、非常に残念なことです。

06/12/15(Fri)

実家の母から、年末帰省する際にサラシを一反買ってきてくれと頼まれました。私はずいぶん前からサラシを切って台所布巾に使っているので、安く買える場所を知っているだろうと言うのです。しかし、私がこれを始めたのはもうずいぶん前で、母親にもサラシ布巾の事はずっと勧めています。なぜ今頃?と思ってそこを訊ねると、愛読している雑誌で最近、某有名家事評論家がサラシ布巾を勧めていたので、その気になったということ。

どうも、私がこのような新進的なアイデアを出しても、彼女は“我が子ながらミソジが、また酔狂な事をやっている”くらいにしか思わず、それが同じアイデアでも、権威ある筋からの情報だとサックリ信用してしまうようです。思い返せば、湯たんぽの時もそうでした。私が超オススメしても鼻で笑っていたくせに、ちょっとブームになり始めて雑誌に載るとあっさり採用。超・気に入って、周囲にもどんどん勧めてましたっけ。

まぁ、私があらかじめ種を蒔いていたからこそ、後に雑誌を読んでいた際にその記事が目にとまったということもあるでしょうから、別にいいんですけどね。それにしても自分、信用ないなぁとあらためて思わされたのでした。

06/12/14(Thu)

先日のシュクルートもそうですが、保存食品の原点は、とれ過ぎて困ったものに塩漬け・乾燥などの加工を施すことで、時間差を作って食べられるようにすることだと思います。昔は今と違い、無い時は何も無い・ある時は困るくらいある、というのが基本でしたから、こういう知恵が生まれたのでしょう。逆に現在は、冷凍・冷蔵技術が発達していますし、そもそもいつでも何でも作れるので、保存食品の必然性は無くなっています。むしろ、塩漬け・乾燥などの加工を通して新たな味が生まれる、そちらの方に主眼があるのでしょう。

ただ、うちの実家のような田舎ではいまだ保存食品の本来の意味が生きています。今年はニュースでも流れていたように冬野菜が大豊作で、大根・白菜などが捨てるほど採れています。そこで、実家でも干し大根・白菜の漬物などを大量に作り、うちにガンガン送ってくるわけです。干し大根なんて、カサが減っているから一見大した事ないように見えますが、中くらいのスーパー袋一杯の干し大根というのは、実はすさまじい破壊力を秘めています。もう、食べ物には困らない。これを高野豆腐・干し海老と一緒に煮るのが私の干し大根大定番。若さの無いメニューですねぇ。白菜の漬物は、保存第一で塩強めなので、私の口にあわせるためには塩抜きが必要で、やや面倒なのですが、やっぱり自家製はいいものです。実家というのは、ありがたいものですね。

06/12/13(Wed)

スーパーの安売りで、大ぶりのキャベツを一玉買って、これでしばらくキャベツ三昧だと思っていたら、実家から自家製のキャベツが送られてきやがりました。二玉のキャベツはさすがに辛いなと思っていたら、隣に住む大家さんが、貰ったけど大きすぎて食べられないからと、キャベツを一玉くれました。合計三玉。そこで、先日新聞の折込雑誌に出ていた、シュクルートという料理に加工することにしました。

シュクルートというのは、ドイツ辺りの郷土料理で、荒く千切りにしたキャベツを塩でもみ、重石をかけて醗酵させ、酸味を出したもので、ジュニパーベリーという特殊なスパイスで香りをつけます。ジュニパーベリーというのは、ジンの香り付けにも使われるスパイスで、松脂のような香りがします。日本ではなかなか入手困難ですが、そこは都心に住む強み。自転車でヒョロッと行ったデパ地下でアッサリ発見。一瓶315円と案外安かったので、すぐに買ってきました。

毎年味噌5kg分を漬け込む琺瑯容器に一つ空きがあったので、入れ物にはこれを使用。琺瑯はいくら酸が出ても安心なので、うってつけです。一玉は通常利用にキープしておくとして、二玉分をザクザクと千切りにして、琺瑯容器に放り込み、木の中蓋と重石を載せ、閉まらなくなった蓋の代わりに埃避けのレジ袋をかぶせて完成。マニュアルには毎日かき混ぜて一週間ほど醗酵とありますが、この時期なのでもう少しかかると思います。出来上がったら水気を切り、煮切ったワインをかけて完成。保存食なので、しばらく楽しめるはず。ワインは確か、職場に一本誰にも貰われないやつが転がっていたので、あれを盗ってくるつもり。サテ、どうなりますか。

06/12/12(Tue)

先日買い物をしていたら、私の前にいたおばちゃんがカードで支払いを済ませようとしたんです。そのカードはセキュリティー強化のためにICチップが内蔵されているタイプで、サインではなく専用のスロットにカードを挿入して暗証番号を入力することで認証が行われます。が、私が見たのは驚くべき光景。おばちゃん:“私、暗証番号なんて知らないわよ”→店員:“それでは、こちらにサインをお願いします”

え〜っ、それでいいんですか?ICカードの認証をサインから暗証番号に移行したのは、偽造されやすいサインを避けるためだとばかり思っていました。カードのサインは見本が裏に書かれているので、ちょっと練習すれば誰でも似たような字が書けそうです。また、普通の店では店員もそんなに厳密にサインの同一チェックをしたりはしません。明らかに違えばダメでしょうが、サインなんてその日の体調によってだいぶ変わってしまうでしょうしね。

何より驚いたのは、おばちゃんのあまりに堂々とした態度と、暗証番号を知らない客を簡単にスルーする店員。コストをかけて防犯対策のために作ったICカードの存在意義ゼロです。まぁ、最悪のケースで悪用されても、請求明細書をチェックしていれば支払いを止められるわけですが、それを見逃して支払われてしまえばアウトですからね。店側は、重過失さえなければ悪用であってもカード会社から入金があるわけで、今までどおりサインでオッケーなのでしょう。それにしても、ねぇ。ICクレジットカード、セキュリティ的な意味はないですね。

06/12/11(Mon)

湯たんぽが壊れました。今使っている二代目は、プラスチック製。簡単に言うと、プラスチックボウルを二つ貼りあわせた様な構造で、お湯を入れて栓をしたとたんに、中の蒸気圧でそのあわせ目から蒸気が噴き出しました。仮に噴き出したのが栓の周りなら、パッキン交換で問題は解決するのですが、ここから蒸気が出てしまうと打つ手なし。パテで埋めて誤魔化そうとしても、中からの圧力と温度ですぐにダメになってしまうのは目に見えています。よって、廃棄決定。

思い返せば、この二代目を買ったのは今年の一月。この界隈では接客の悪さで定評のある某店の店先に、安売り品として並んでいたのを、この店は絶対に使わないぞというポリシーを破って買ってしまった罰が当たったに違いありません。初代を買った4〜5年前は、湯たんぽなんて完全に過去の遺物・骨董品扱いで、取り扱う店は極端に少なかったのですが、ここ数年はドラッグストアでも普通に手に入るようになりました。喜ばしいことではありますが、その分粗悪品をつかまされる可能性が大きくなった事は否めません。湯たんぽは、高熱・高圧というかなり厳しい条件に耐える事が必要なので、当たり外れがあるようです。外れたら、ほとんどの場合、補修という私の大好きなテも使えません。

次は初心に戻ってブリキだな…と思っていたのですが、東急ハンズに回っても、あったのはプラスチック製か銅製。銅製は1万円前後するので論外。結局またプラスチック製になってしまいました。今度こそ、最低3年はもってほしいと願っています。

06/12/10(Sun)

ずいぶん寒くなってきて、天気も連日悪くないので、久しぶりに鯵の干物を作りました。スーパーも競争激化のせいか、取り扱う魚の鮮度が上がっており、ちょっと手をかければなかなかスバラシイものが出来上がります。買ってきたのは鯵一パック5匹入り。頭を落とすと作業がしやすいのですが、売っているものとかけ離れた姿になってしまいますし、カリカリに焼いた頭もまた美味い、ということで、いわゆる頭付開きの状態にします。私は小さな出刃を持っているのですが、小魚処理にはこれが最適。

本式には、塩水に数時間〜一晩つけて味を染み込ませるのですが、私は手っ取り早く塩を直に振ってしまいます。そのまま冷蔵庫に寝かせること一晩。朝出かける前に魚干し網に鯵をセットして、直射日光を避けた風通しの良い場所に吊るしておけば、帰宅時には立派な鯵の一夜干しが出来ているという寸法。

出来た一夜干しは、まず魚焼きの網で適度に焼いて、そのままいただきます。他人が一夜干しを食べる様を見ていると、多くは皮を残してしまいますが、私の場合はこの時点で皮は無くなります。というか、魚は皮が美味いのよ。また、中骨に付いた反対側の薄い身(何て表現したら良いのか…)もこの時点で無くなり、残っているのは頭・中骨・ムナビレ周辺となります。頭は魚焼き網に戻し、弱火でカリカリに焼いて食べてしまう、これ決定。中骨とムナビレ周辺は、同様にカリカリにして食べてしまうこともありますし、こんがり焼いてから熱湯を注してお吸い物風にするのも捨てがたい。一匹の魚を無駄なく食べると、妙に充実感があって良いですね。

06/12/09(Sat)

親戚から小女子の煮干を貰いました。小女子と書くと、何だか少し後ろめたいのは私だけですか、そうですか。この煮干、無論ダシにしてもいいのですが、小さいのでそのまま食べることも出来ます。私はこちらのほうが好き。茶碗に軽くご飯をよそい、小女子の煮干をパラパラとふりかけ、醤油を香り付けにほんの少し回しかけ、全体をザックリかき混ぜていただく、コレ最高。炊き立てのご飯の香りと、煮干の旨味、醤油の香りが混ざり合い、ご飯好きならたまらない味になることうけあい。

これに味噌汁と、半玉88円で買った白菜のオヒタシ、実家の父が作った大根の粕漬け。里芋を煮たのもあったので、出してきました。あんまりベジタリアンなのもアレなので、これまた貰いもののドイツソーセージを茹でてマスタードを添えたやつをプラス。うちの食卓は、メインディッシュがないので、どうにもこうにも格好がつきませんが、毎日食べる分にはこれが一番良いと思っています。うちめし最高。

06/12/08(Fri)

職場に取引先の人が手土産としてブランデーケーキを持ってきてくれまして、切ってみるとアラ懐かしい、赤と緑のチェリー・レーズンがゴロゴロ入ったタイプ。最近は万事がナチュラル志向で、ブランデーケーキというと一般には無着色のドライフルーツやナッツ類を詰め込んだものが多く、こういう昔懐かしいブランデーケーキは非常に珍しいのです。が、珍しいのと美味しいのは話が別。このブランデーケーキ、味も非常に懐かしいものでして、一口かじると口中に嫌がらせのように広がる甘味。ケーキ地・具ともにかなり甘いもんですから、その甘さが時間差で襲ってきます。つまり、甘い→甘い。私は一切れでギブアップしましたが、甘いもの好きの同僚は、結構喜んで食べてました。まぁ、仕事で頭にブドウ糖が切れた時には良いかもしれません。

職場には、このようなお菓子類を放り込んでおく通称“お菓子ボックス”があるのですが、そのお菓子ボックスにもう3ヶ月以上居座っているツワモノが、“イグサ飴”&“イグサハーブ飴”。イグサのエキスを飴に練りこんだもので、見た目は抹茶飴。しかし、口に放り込んだ瞬間に広がる、イグサもとい畳の香り。誰でも、怖いもの見たさに一個は食べるけれど、必ず二個目は食べないという、伝説の飴。

このように、お菓子ボックスの売れ行きには、面白いほどの差があります。やっぱり無難なクッキー・お煎餅系が先になくなり、イグサ飴のような飛び道具系はどうしても後回しになりますね。

06/12/07(Thu)

年末恒例、ハム・ソーセージの詰め合わせを貰ったので、ご飯を炊かない時(3回に1回)は、炒飯になる可能性が高いです。ウー・ウェンの中華料理の本を読んでいて、“本場中国では、炒飯は冷ご飯を温める手段である。”というような一文に出会い、私のチャーハン観が変わりました。要するに、電子レンジでただ温めるか、フライパンで炒飯にして温めるかの二択ってことです。

所詮温めるための手段ですから、具を特別に用意したりはしません。お歳暮のハムorソーセージ、部屋の隅に転がっている玉葱、冷凍庫で凍らせてある葱、せいぜいこれくらい。炒める際のポイントは、とにかく煽らないこと。これもどこかで読んだ情報なのですが、家庭用の低火力コンロで煽ると、必要以上にフライパンの温度が下がってしまうのです。ですから、煽らずにとにかくヘラで混ぜること。また、タッパーに入ったご飯を最初からヘラで混ぜようとすると効率が悪いので、最初はお玉の底で軽く潰してからヘラに持ち替えること。手早さアップのために、塩・胡椒は最初から冷ご飯にまぶしておくこと。そして、最大のポイントは具を少なめにすること。つい贅沢にと具を多く入れがちですが、あくまでメインは米。具を少なめに心がけた方が、味のバランスがとりやすい気がします。

以上貧乏炒飯の作り方ですが、炒める際の胡麻油をオリーブ油に替え、最後に乾燥パセリを振り掛けると、これはピラフであると言い張ることもできます。非常に便利な一品であるといえるでしょう。

06/12/06(Wed)

うちの部屋の隅の柱には、昔ながらの赤いアルコールを使った温度計が吊るしてあって、朝起きた時と、夜部屋に帰ってきた時にチェック。10度を切っていたら、部屋の暖房を入れます。さすがに12月に入ってからは、10度を切ることが多くなりましたが、午後とても天気がいい日だと、部屋がよく暖まっているので、14〜15度くらい。

温度計が無い頃は、寒くなってくると部屋に入るなり反射的に暖房をつけていたのですが、これだと大して寒くなくてもついつけてしまうので、イカンなぁ、と思っていたのです。そこで、数年前に温度計を導入。自分なりに基準を決め(今は10度)、それを切ったら暖房を入れるようにしました。最初はあまり守られなかったのですが、段々と守られるようになってきています。

これをはじめて身についた特殊能力としては、気温が結構正確にわかること。夏でも冬でも、誤差2度くらいで気温を当てる事ができます。ただし、屋外で風が強く、体感温度と実際の温度が大きく違っている場合は難しいですけどね。まぁ、何の意味もない特殊能力といわれればそれまでですが…。

06/12/05(Tue)

私が毎日見ている“デイリーポータルZ”というサイトの中に、“豚肉部”というコーナーがあります。担当者が1〜2日に一枚のペースで、豚肉を使った写真とそれに関する短いコメントをアップするという内容で、レシピはありません。この写真が実に美味しそうで、しかも肩の力の抜けた緩いコメントがなんともイイ。うちでは豚肉は極たまに使うくらいですし、ここに載る料理はどれもコッテリ系なので、自宅で作るかといわれたら多分作らないんですけど、やっぱり毎日見てしまいます。沖縄料理の“あんだんすー”なんて、初めて見る料理ですけど、いかにも美味しそう。誰かの家に遊びに行く際などに、作って持っていくとヒーローになれると思います。

ここを見ていると、料理をサイトに載せる場合は、その写真の上手・下手がポイントになるなと痛切に感じます。行きつけの喫茶店はケーキをウリにしており、新しいケーキが出ると頑張ってマメにブログにアップしているのですが、この写真が下手なんですよ。ちょっと手ぶれで、画像小さく、光量不足という三重苦。味は界隈で評判になるくらいのレベルで、全く問題ないのですが、初めての人があのブログの写真を見ても、多分食べに行きたいとは思わないだろうなぁ。でも、まさか店の人に“ブログの写真下手すぎますよ、あれじゃ逆効果”とは言えないのが辛いところ。

ちなみにこのサイトに写真が無いのには、主に三つ理由があります。1.デジカメ・携帯が無い、2.写真が下手、3.写真映えする料理をほとんど作らない。多分今後もずっと、文字だけの地味〜なサイトであり続けることでしょう。

06/12/04(Mon)

ご飯を食べ終わると、当然ですが毎回食器を洗います。この食器洗いは、食事の準備に比べて嫌われる事が多いのですが、私は結構好き。雑然とした状態が、きちんと整った状態になっていくのは、気持ちがよいのです。以前書きましたが、私は台所で洗剤を使いません。春〜秋にかけては、食器を細い流水に当てながら、濡らした木綿の布巾でこすれば、問題なくきれいになります。さすがに今の季節は、水だと冷たさで油分が固まってしまうので、お湯を使いますが、原理は一緒。別に、洗剤は“ちきゅうにやさしくない”から使わないわけではありません。使わなくても結果が出る→使わない、というただそれだけです。

ところで、食器を洗う際に私が気をつける点が、ひとつあります。洋食器だと問題ないのですが、うちは全て和食器で構成されています。原則として和食器の底(糸底)は、釉薬をかけていない素焼きの状態なので、ここに汚れが触れて染み込んでしまうと、たとえ洗剤を使っても、落とすのがなかなか難しくなります。汚してしまうと厄介な割に、ここを汚すのは非常に簡単。食べ終わった皿を重ねればいいのです。食べ終わった皿には煮汁・油・醤油などが残っていますから、糸底はすぐに汚れます。ですから、食卓からシンクに食器を運ぶ際、重ねれば一見効率は良いのですが、うちではこれはタブー。

ところが、外で料理を食べる際に周囲を見回すと、これをやっている人が結構います。特に男性。本人はその場を整理整頓しているつもりなんでしょうが、私はこれを見ると、たとえ自分が洗い物をする立場でなくても、反射的にウッと思ってしまいます。あんまり家事してないネ、と思ったりも。それにこれ、洗い物の際には支障ない洋食や中華でも、見ていてあんまりカッコイイとは思いません。スッと店の人を呼んで、片付けてもらうのが良いんじゃないかなぁと思います。

06/12/03(Sun)

私、根がモノグサ・面倒臭がりなんだと思います。ボウルをとろうとしてしゃがんだ時は、ついでに左手で何かとっておく物はないかと考える。冷蔵庫へ何かとりに行った時は、行きで空の両手で何か持っていくものはないかと考える。二口あるガスコンロが一方でも稼動していないと、この時間に何かのこの火口を使ってやる事はないかと考える。お茶を冷そうとボウルに水を溜めたら、その水で何かできないかと考える。沢山行動するのが面倒臭いので、一回の行動でなるべく多くの結果を得られる方がベターと考えるのが習慣になっています。

手間をかけて、気持ちを込めてというのも確かに一つの価値観ではありますが、私の中では、無駄を省いて効率的にという方が優先度は上。この辺は、すごく男性的な価値観かなとも思います。が、手間をかけるという事を否定するわけではありません。現に先日は、小一時間かけて昆布をキッチンバサミで刻み、すぐ使えるようにボトルの中に溜めるという作業をしています。効率化を推し進めようと思ったらこんな作業は止めて、ダシの元を使えば良いわけで、効率一辺倒というわけではない。ですから優先度で言ったら、原則的には味>効率>手間・気持ち、となるのですが、ケースによっては手間・気持ち>効率となるケースもあります。その辺は、日々の気分と損得の比較によりますね。“キッチリしていそうで、時々すごく適当”というのが、料理に限らず私の性格をよく表している気がします。

06/12/02(Sat)

先日の予告通り、今日のお昼はリンゴ一個…ではあんまりだと思ったので、ミカンを二個追加。一度寝たら震度4の地震でも起きないというこの私が、夜中に胃もたれで目が醒めてしまったのだから、よっぽどです。それでも、昼前後から段々体も軽くなり、お昼ご飯の果物。時間が経過して5時くらいになると、今度はおなかが空いて仕事に全く集中できなくなってしまいました。厄介な体です。このままでは給料ドロボウになってしまうので、急遽近所のコンビニで菓子パンを一個購入。コンビニで買い物なんていつ以来だろう…。そのパンを食べることで、多少集中力は回復するも、どうしてコンビニのパンってこんなにも不味いんですかね。

私の食生活は、マンネリながら規則正しいリズムを刻んでいまして、今回のように中華という異物が挟まることで、そのリズムが狂います。次の日の昼・夜とそれは狂ったままで、いつものリズムに戻るには、更にその次の日の昼を待たねばなりません。先日のように、ライブ的に色んな中華料理を食べるのは、それはそれで楽しいのですが、結局私が帰ってくるのは、白いご飯と味噌汁を核にしたご飯です。

ほんの十年前はほとんど毎回外食で、それもラーメン屋・洋食屋などのコッテリとした店ばかりを回っていました。それでも全然平気だったのですから、慣れもあるのかもしれません。当時通っていた予備校にいた、ガリガリに痩せた70歳くらいのお爺ちゃん先生が、“ボクは君達のその溢れんばかりの食欲が羨ましい。マックでもピザでも、何でも美味しく食べられる。ボクの歳になるとねぇ、食べられないんだよ。”と半ば悲しそうに、半ばシニカルに言ったのを、今も時々思い出します。

06/12/01(Fri)

久しぶりに会った友人と一緒に馴染みの中華料理屋に行き、調子にのって食べ過ぎてしまい、一晩たった今でも胃がもたれています。頼んだ料理は確か、棒々鶏・マトウダイの山椒炒め・回鍋肉・中華丼・焼売。二人で頼むには多過ぎたかも…。でも、一人頭3,000円切るんですよ…。この店は、味も勿論気に入ってるのですが、カウンターの向こうで料理を作っている姿が丸見えなのが好き。カウンターが空いている場合には、どんなに席が空いていようと、チャイナドレスのねーちゃんに、カウンターを要求します。(チャイナドレスもなかなか良い事は否めない。)

料理、特に中華料理はライブ的な要素が面白いと思います。専門店でしか出せない火力の火口の前で鍋を振るチーフ。その横で、野菜の湯通し・油通しなどを行ってチーフに渡すサブ。オーダーに従って野菜を刻み、カゴに小分けしてチーフやサブに渡すスタッフ。点心を専門に作るスタッフ。彼ら全員が、言葉も交わさず阿吽の呼吸の元に料理を作り上げていく姿は、いつ見てもスバラシイ。私は台所で常に“いかに無駄な動きを排して、合理的な流れを作り上げるか”と考えているので、非常に参考になります。スタッフ全員の、ちょっと焼け焦げたり汚れたりした白衣が、これまたいい感じなんですよね。どうせ外食するなら、厨房が見えるところが良いですよ、絶対に。

ちなみに今日の昼は、リンゴ一個です。要・胃もたれのリセット。以前なら何を食べても翌日まで胃がもたれるなんて絶対無かったのに、そろそろ食べる量を考えろって事ですよね。中華は油も多いですし。

<<前<<   >>次>>

copyright by ミソジ since 2004/04/28
本サイトの無断利用は禁止デス。