料理本


飲食事典 平凡社 本山萩舟

以前この欄でとりあげた“食材図典”はかなり硬派なフルカラー百科事典でしたが、この本の前ではそれが軟弱に見えてしまいます。私のように、飲食業界と全く無縁なのにこの本を持ってらっしゃる方がいましたら、ぜひ友達になりましょう。布で製本されたいかにも古風な事典といった風情で、約7,000円。初版は1956年。50年前ですよ…。ほぼ文字だけのページの中に、一昔前の国語辞典のように、ペンの精密系イラストがちりばめられています。ノリも、そういう国語辞典そのまんま。食材、食に関する古くからの行事、習慣などが五十音順に並べられ、詳細な解説が付いてます。例えば、“コチ”なんていうそこそこマイナーな魚をひいても、詳細な料理方法を中心に、旬やイラストなども合わせて1,000字程度も解説がなされています。

そんな事典何が面白いんだといわれるかもしれませんが、面白いんです。国語辞典を頭から読んでいく学者の話を聞いたことがあります。国語辞典ではやりませんけど、飲食事典ではやりました。夏の暑い日、麦茶を飲みながら、部屋の畳の上に寝転がって、飲食事典を読む。前から読んでいくこともありますけど、適当に開いたページを読み、そこから連想の赴くままにリンクをたどるようにいろんなページを読んでいく。至福のひと時です。この本はまさに、食に関する知識の宝庫。ただ、内容は超オススメなんですけど、値段が値段ですし、サイズも電話帳くらいあります。万人にはとても薦められません。しかし、私は食べること大好きってな人ならば、飲み会2回分と思って思い切って買ってみるのもいいのではないでしょうか。少なくとも私は買って大正解だったと思ってます。でも、これ持ってる人、いないだろうなあ。 04/12/06(Mon)

北京小麦粉料理 ウー・ウェン 高橋書店

このページ初の、普通の料理レシピ本です。私、通常はレシピってほぼ無視するんです。大匙○杯とか、まどろっこしくてやってられない。味をみて、塩が足りなきゃ塩を足すし、甘くしたけりゃ砂糖か味醂、それでいいじゃないかの適当料理主義です。ただし、小麦粉料理だけは別。これだけは特に水の量をきっちり計って入れないと、確実に失敗します。ただ、小麦粉料理だけに特化した料理本って、無かったんです。そんな中見つけたのがこの本。大型書店でもロングセラーで売れているらしく、いつまで経っても平積みのまま。ポップもかなりリキの入ったものが付けられていて、人気をうかがわせます。

レシピの内容は、最初から最後まで小麦粉料理のみ。ある意味漢らしい。麺類からはじまり、餃子、シュウマイ、焼餅などなど。小麦粉を捏ねて、熱湯・油や上記で火を通す料理が並んでいます。この本は、使える。何せ私が行く100円ショップでは、1kgの小麦粉を常時100円で売っています。いくら大食いの私でも、150gの小麦粉を加工したものを食べると、完全にお腹一杯。それでも15円ですから、これはもう作るしか無いでしょう。相変わらず調味料の配合なんかはシカトしてるんですが、小麦粉と水の分量比、これは絶対です。これさえ守れば、後は何をしてもいいという感じ。ただ、この本の中のメニューだけでもかなりのバリエーションがあるので、あっちとこっちをつなぎ合わせたりして、かなり楽しませてもらってます。

個人的には、細かいレシピ本ってほとんど意味が無いと思います。それ一品だけ作るのならまだしも、通常は台所に立つと4・5品を平行して作るのが当たり前の私にとって、いちいちそんなの確認してられません。料理番組でよくやるように、調味料を小皿にあらかじめ取っておくなんて、もってのほか。いちいち計って入れるのだって面倒くさいし、なにより洗い物が増えてしまう。それでも、小麦粉と水の量だけはきっちり計ります。そうしないと確実に失敗しますから。その分量を知るためだけに買ったんですが、案外そのほかのメニューも参考にしてたりして。思わぬ拾い物でした。レシピ本としては唯一のオススメです。 04/12/05(Sun)

食材図典 小学館

全ページフルカラーで、一巻は生鮮食料品を、二巻は加工食品を扱っています。各6,000円弱。あわせると1万2,000円にもなるという、私にとっては大散財でした。しかし、悔い無し。現在日本で手に入る食材のほとんどは網羅しており、それぞれの食材につき写真と200字から400時程度の説明が付いています。説明の内容は、物理的な特徴、旬、料理方法と幅広く、非常にためになります。

食べることが好きなものですから、休みの日には食料品店やデパ地下なんかに探検に行くことが多いです。そういうときに見慣れない食材に出会うと、名前をちょこっとメモっておいて、帰ってきてから調べるのが常です。ああ、あの食材はこういうところでとれて、こういう風に料理するんだな、フンフンってな具合。また、家でボーっとしている時にも、部屋に寝転がって、この図典をアットランダムに読むことがあります。おぉ、この魚はこういう風にすると美味しいのか〜など、何度読んでも発見があって楽しいです。

二巻まで手に入れると、チーズやハム等も調べられるし、味噌・醤油といった調味料まで網羅しています。あわせて1万2,000円とかなり高いのが難点ですが、それだけ払っても納得、と言えるだけの内容を備えています。高級レストランに一回行ったつもりで買ってみても、決して損はしないのではないでしょうか。いやむしろ、得だと思いますけどね、私は。でもまあ、個人でこの本を持っている人は、私を含め、よっぽど食べることが好きな人でしょうね。酔狂と言えるかもしれません。 04/12/04(Sat)

小泉武夫の食に幸あり 小泉武夫 日本経済新聞社

日本経済新聞の夕刊に毎木曜日掲載のエッセイを集めたこの本。私は日経新聞をとっているのですが、その動機の半分くらいはこのエッセイにあるといっても言い過ぎでは無いくらい、毎週楽しみにしています。

著者は東京農業大学の醗酵学の教授なんですが、とにかく食べるの大好き。研究旅行のために(と称して?)日本各地・世界各地を飛び回り、いろんなおいしいものを食べてきてはそれを得意げに自慢したり、自宅の台所を食魔亭と称してそこで自ら腕を振るううまいもの自慢。腕白ガキ大将だった少年時代の、食の思い出など話はいろいろですが、とにかく美味しそう。“〜をご飯の友にすると、○○分××秒で飯△△杯が胃袋にすっ飛んでいった”とか、“〜はほっぺた落としの味でしたなあ”など長いこと読んでいると、表現が実は結構ワンパターンであることに気づいてしまうんですが、いいんです、美味しそうなのがすごくよく分かりますから。ガキ大将がそのまま大人になって、美味いものを食べたことをそのまま周りに自慢している感じ、それがなんとも微笑ましいです。ドーナツの真ん中の穴は一体ドウナツてるの?クラスのオヤジギャグも連発。そういうのを含めて、ナイスです。

それに、著者の料理の傾向として、細かい料理ではなく、豚肉ならただ醤油で炒めてご飯にのせただけ、みたいなシンプル極まりない料理が多く、実務面でも私は非常に参考にさせてもらってます。細かいレシピは勿論無いんですが、いいんです、そんなの適当で。塩辛くしたけりゃ塩を入れればいいし、甘くしたけりゃ砂糖を入れろ。適当・適当。

少し前にサライという雑誌で彼のインタビューを読みました。渋谷にあるという自宅の書斎の写真があったのですが、書斎の壁際にデーンと置かれているのは、こんなの個人で持ってる奴いないだろ、クラスの業務用冷蔵庫。その中には海老、マグロ、蟹などの冷凍海産物や肉のブロックなどがぎっしり。そして、その前で得意満面ドーダと言わんばかりに微笑む著者。あの写真を見て、ますますこの著者のことが好きになってしまいました。 04/12/03(Fri)

台所リストラ術 魚柄仁之助 農文協

サブタイトルに“ひとりひとつき9000円”とある通り、あらゆるテクニックを駆使して、食費を安くあげてしまおうというコンセプトの本。ただし、彼はこの本をよくある節約本と捉えられてしまうことが、非常に残念だったようです。彼のほかの著作にこういう一説があります。“まちがいはあの時始まったとです。旨い、早い、安い、体調がいい、こげな食生活を続けてきた私は、それを本にしてしもた。サブタイトルに「ひと月9000円」なんちつけたもんで、世のマスコミさんは「節約の人」とかん違いして、いまだに節約達人さんに取材におしかけちょる。あたしゃ逆に「百円でできるおかず」なんちゅうの、大嫌いだし、「とり寄せグルメ、日曜日の男の食事作り」なんちゅうのは遠い世界のことですわ。近くで手に入る物、出盛りで安い物、そげな物を手早く、旨く調理して食べ、デブデブになったり、ガリガリになったりせず、元気でいられるような、そげな食生活が好きなんス。”

つまり、そういうコンセプト。一ヶ月の食費が9000円になったのは、あくまで結果であって、その金額は彼にとってはあまり重要じゃないんです。だから、この本で書かれていることは、(彼自身はせこいウラワザなどと書いてますが)ある意味ガチガチの正統派です。買った野菜は皮まで全部食べきる、鮮度の良い粗を買って上手に料理する、今ではあまり人気の無い乾物を旨く利用する、などなど。実務的な面で、私の自炊が一番影響を受けているのが、この人の本であることは間違いありません。この人の本を読んで以来、うちの食器棚に次々と乾物のボトルが増えていったのは、そりゃもう、あからさまでした。

彼の著作は沢山あって、同シリーズの“生活リストラ術”は食を含めた暮らし方の提案、“清貧の食卓”は栄養面から見た彼の食事について書かれてます。どちらも面白いですが、手っ取り早く食についてというのであれば本書でしょう。また、他社からも同じようなコンセプトの本が出ていますが、とりあえず本書か、飛鳥新社の“ひと月9000円の快適食生活”がオススメ。面白ければ、他の本に触手を伸ばすのもよいでしょう。

私も、節約生活ってあまり好きになれないんです。なんだかみみっちさが先に経っているものが多い気がします。そうではなくて、上に書いたような彼みたいなコンセプトで、スッと生きた結果安くあがってしまったよ、っていうのが今のところ私の目指す生き方となってます。 04/12/02(Thu)

魯山人味道 北大路魯山人 中公文庫

最近では、“美味しんぼ”の海原雄山のモデルになった人、といった方が分かる方が多いかもしれません、北大路魯山人。一生独身で通し、料理だけでなく書や陶芸までも追及した“道の人”です。本書は彼の食に関するエッセイを集めたもの。

前書きに、“料理も真剣になって考えますと、段々頭が精密になってきます。つまり、精密な頭が欠ける場合は、美味い料理が出来ないということであります。お互いに、どうせ日々三度づつは食事がつきまとうに決まっているのですから、美味い不味いの区別がよく分かり、物を殺さない拵え方ができることは、楽しみのひとつで、人生の幸福ではないかと思います”とあります。私も、この考え方には全面的に賛成します。料理を作る時って、本当に色々考えるんです。材料の組み合わせ、手順の組み方、火のスケジュール、冷蔵庫のスペース管理などなど。ただボーっとしていたんでは、とても出来ません。

おまけに、頭を使って美味くやればやるほど、それが味という形になってすぐに反映されるわけですから、何か不手際があれば、それをその都度反省し、修正していくことも必要になります。料理はある面でパズルに似ているとさえ思います。ただ、料理の本を読んでいても、そういう視点でかかれたものは案外少ない。最近のものだと、玉村豊男氏の一連の著作が近いと思います。それでも、その迫力においてきた大路魯山人に遠く及ばないのは、読んでみて明らか。まあ、ニーズが違うので、一概に比較は出来ないんですけどね。とにかく、料理そのものだけでなく、料理に向かう時の心構えまで書いた、骨太な一冊です。

ただ、美味しんぼでの海原雄山を見ても分かるように、この人、個人的にはすごく付き合いにくい人だったと思います。海原氏は孫が出来てからなんだかソフトになってしまいましたが、魯山人は一生独身だったわけで、偏屈と言ってもいいのでは。あまりにも道を追求しすぎた結果、周囲から隔絶してしまった感があります。寂しい人だったんじゃないかな。晩年はあまり恵まれた境遇ではなかったようですし。私も、この人が身近にいたら、ちょっと敬遠してしまうでしょうね。それでも、彼が追求した道自体は本当に大したものです。レシピだけの料理本に退屈を感じ始めた頃、読んでみるといいのではないでしょうか。 04/12/01(Wed)

美味礼賛 ブリア・サヴァラン 岩波文庫

本の題名は聞いたことがありながら、実際に読んだことのある人はかなり少ないんじゃないかと思われるこの一冊。日本で言うと徳川吉宗のちょっとあとくらいの時代の人です。先に書いた養生訓から更に50年ほどあと。この人もまた、食べることが大好きだったんだなあと思わせるような文章が満載。

(当時のレベルでは)非常に科学的な視点に立った視点から、味覚や食欲・消化などについて事細かに分析して見せたかと思えば、それはきっとホラでしょうと思われるような大食漢の又聞き話、食に関する自分の自慢話などなど。自分の自慢話が一番力が入っているように思われるんですが、さてどうでしょうか。料理漫画の“美味しんぼ”が好きな方あたりが気に入ると思われるような内容となっています。でも、この自慢話をしたいために著者はこの本を書いたのではないかとワタクシ疑っておりまして。“ボクは食に詳しいんだぞ、どうだ!”といった風で、とても微笑ましいレベルの自慢話。さりながら、この作品が今まで時の流れに埋もれずに残ったのは、私にとっては理解できませんでした。面白いけれど、古典となるまでの作品かなあ、という感じ。

最後にこの作品、訳があまりよくないと思います。訳者の方、この古典を訳されたくらいなので、フランス語のプロフェッショナルではあるのでしょうが、多分食べることはそんなにお好きなんじゃなかったのではないでしょうか。訳でかなり損をしている気がします。1967年の版なので、日本語も古いです。内容は面白いので、ハイレベルな新訳が付けば文句なくオススメなんですが、現状ではちょっと…な感じの一冊です。 04/11/30(Tue)

食卓一期一会 長田弘 晶文社

全編すべてが食べ物の詩という、長田弘の詩集。食いしん坊御用達です。私は、彼の簡潔でいながら心を深く打つ詩が大好きなのですが、その彼の作品集の中でもこの作品集が一・二位を争うくらい好きです。詩のタイトルも、“包丁のつかいかた”、“おいしい魚の選びかた”、“梅干しのつくりかた”…と、とても詩とは思えないようなタイトルが並んでいますが、テーマが強く縛られているとは思われないくらいハイレベルな作品が次々と出てきます。実際、料理本と間違われることもあるようで、出版された頃そういうコーナーにこの本が並べられている本屋を何件か見たことがあります。

彼の作品を読むたびに、毎日をていねいに・考えながら生きていこうと思えたり、大事なことは旅行に行ったり高いレストランで食事をしたりといった非日常の中ではなく、毎日の日常の暮らしの中により多く見受けられるといったことを、毎回少しづつ違った形で再認識させられます。詩が好きな方にも、食べることが好きな方にもどちらにもオススメな一冊。

ちなみに、彼のエッセイ集でみすず書房から出ている“本という不思議”というエッセイ集の中に、“アパラチア・ストーリー”という小品があります。アパラチアの山の中で独りで暮らし、92歳でなくなった無名のアリーという女性の生き方を描いたドキュメントです。このエッセイ集も大好きなんですが、その中でも特にこの小品が好き。毎日をきちんと暮らすとはどういうことか、読み返すたびに背筋がしゃんとします。

具体的に引用を交えながら紹介をと思い、努力はしたんですが、私には無理でした。長田弘という言葉の超絶プロフェッショナルの世界を切り出し、それに感想をつける力は残念ながら私にはありません。ですが、もし興味がありましたらぜひ彼のどの作品でもいいですので、読んでみてください。言葉・日々の暮らし、そういったものに対して新しいアプローチが出来るようになると思います。 04/11/29(Mon)

もったいないのココロ 石田豊 WAVE出版

先に書いた貧乏真髄と同じ出版社、同じ時期に出された一冊。この方もサイトをお持ちですね“好奇心on the web”。一言で言えば、スローライフの薦めの本ということになるんでしょうか。都内の自宅の小さな庭に蛙のための池を掘ったり、壊れたクーラーの替わりに窓の外につた植物を這わせてみたり。この人も、味噌作って鰹節削ってますね。

今時スローライフの本なんて、腐るほどあるんですが、私がこの本に惹かれたのは、この本がなんだか理系だからなんです。普通のスローライフの本だと、“やっぱり自然よ、自然。ぴちょん君がいっぱいいるような東京湾にしよう(謎)。”みたいなノリが多く、私にはちょっとついて行けないんですが、この人は少し違う。水を節約する、ということになると、トイレの水の使用量をTOTOに問い合わせて確認し、数量的にプランを練る。電気の節約になると、ワットチェッカーという実際に電力消費量を計測する機械を購入し、その計測を元に作戦を練る。

私が男だからでしょうか、そうしたアプローチが好きなんです。どこか宗教じみたスローライフではなく、しっかりと地に足のついたもの。それも、とびきりの好奇心がその原動力になっている。素敵です。職業はプログラムの本を書いたり、WEBを作ったり、とにかくそっち方面の人みたいですね。なんだか納得できます。そうそう、多分この人の主張とは何の関係も無いでしょうが、イラストも可愛くてイイです。オススメ。 04/11/28(Sun)

養生訓 貝原益軒 講談社学術文庫

日本最古の健康ハウツー本、養生訓。作者貝原益軒の長生きするための、あらゆるノウハウが集大成されています。そこで一番大きくとりあげられているのは、当然食について。

彼の主張を一言で言ってしまえば、“禁欲”ということになると思います。食についていえば、とにかく腹八分目。宴会の席などではついつい食べ過ぎるから、よくよく注意しなくてはいけない、とまで書いています。食べすぎを胃薬でリカバーするなんてもってのほか。甘・辛・塩・酸・苦、全てとりすぎてはならず、味付けの基本は薄味です。極端に熱いもの・冷たいものは体に刺激になりすぎるから、アウト。朝食を消化しきらないうちに昼食を食べてはならないし、昼食を消化しきらないうちに夕食を食べてはならない。ざっと見た感じでは、禁止が7割・推奨が3割。そんなんじゃあ、人生楽しくないんじゃないの?と思ってしまいます。貝原益件という人は、元祖健康オタクだったんですね。

無論、今の常識から言えば、変なことは沢山あります。酒を飲んだ後、その酒が抜け切らないうちは甘いものを食べてはいけない、なんて???です。が、言ってることに正しいと思われるものがけっこうあるんですね、悔しいことに。そこまでキリキリ禁止事項を増やして食べても楽しくないんじゃない?と思う一方で、いつの間にか彼の書くものに近い食生活をしている身としては、確かにそうすると体の調子がいいという実感もあるのです。古いから、小五月蝿いからとすぐにボツにするわけにもいかない説得力があるのは確かです。健康に気を遣っている方は一度読んでみられるといいのではないでしょうか。現代語訳付きなので、誰でも読めます。

ただし、養生訓の禁欲は食欲だけにはとどまりません。人間の三大欲求のあと二つ、性欲・睡眠欲も当然禁欲の対象になってます。酒・煙草・茶も規制の対象です。なんと、楊枝の使い方についてまで指示があります。生活のあらゆることに対してこの調子。そして、死ぬまで体を使って働くこと推奨。私には到底無理です。長生きはしたいけど、まあ、ソコソコでいいや。 04/11/27(Sat)

貧乏真髄 川上卓也 WAVE出版

独自路線を突っ走る節約系サイトの雄“耐乏PressJapan”を書籍化したものです。ここで節約系と書いてしまいましたけど、本人にはそんなに節約してる気はなくて、貧乏をエンジョイしているようにしか見受けられませんし、実際そうなのでしょう。

このサイトには、それこそ貧乏暮らしのfrom A to Zが描かれており、衣食住全てを膨大な量のテキストがカバーしてます。もっとも、私がこのサイトを見つけたきっかけは、本屋で平積みになっていた本書を買ったことに始まります。

茨城県石下町に住み、たぶん現金収入はアルバイトと本業(?)のカメラマンとしての撮影のみ。確実に日本国民の平均年収を下回るはずなんですが、なんでしょう、この幸福そうな生き方は。食生活においては、干し肉を作って一年間保存してみたり、七輪で秋刀魚を焼いてみたり。肉の塩漬けや土鍋での炊飯、あげていけばキリが無いほど、毎日の食を楽しむ姿が伝わってきます。この本にヒントを得て、私がやり始めたことがいくつもあります。彼の場合は、節約というよりむしろ、30年くらい前の生活といった方が正確かもしれません。

本書によると筆者は昭和49年生まれ。今年ちょうど30歳かな。文章を読んでいると多少世の中に対して肩肘張った部分が見受けられるので、そういうテイストが鼻に付くとダメでしょうが、それを差し引いてもこの本やサイトから私が得たものは、とても大きいです。先に書いた最後の昼餐の宮脇壇とは可笑しいくらい対極のライフスタイルですが、陳腐な言葉かもしれないけれど、毎日を目一杯楽しむというスタンスは共通している気がします。見習いたい部分多し。 04/11/26(Fri)

最後の昼餐 宮脇壇 新潮社

建築家である故・宮脇壇(まゆみ)のイラスト入りグルメエッセイ。文章は彼が書いて、絵は彼の恋人の根津りえという人が担当。建築家らしく、都市設計や建築関係のエッセイが多いんですが、食べることが大好きだったらしく、食のエッセイもかなり書いてます。そのなかで、私が一番好きな一冊がコレ。

食とはちょっと離れるんですが、住に対する彼の考え方はそのエッセイ全てに出ていて、すなわち“賃貸でいいから都心に住み、都市生活を楽しむこと。持ち家にこだわって郊外に住み、一日何時間も通勤時間に捧げることは無い。職住一致が理想”とまあ、こんな感じになると思います。それはエッセイ“父たちよ家へ帰れ”などにも如実に現れています。そして、この住に対する考え方は、今の私に大きな影響を与えています。とにかく都心に住み、移動は自転車。自転車って結構速いんですよ。大きな本屋・百貨店・あらゆる食料品店、なんでもすぐ行ける。職場まで自転車で5分。私がそういうライフスタイルを選んだ原点は、彼の影響が大きいといえます。無論、この点については反論も多いでしょうが、人間全てを手に入れることが出来ないのは、世の常ですからね。

その彼の食エッセイ。とにかく食べることが大好きで、食べ歩く。それには飽き足らず、都心にマンションを購入し、自分で設計・改築。理想の台所を作り上げ、そこに恋人に住まわせて優雅な週末生活。ちょっとリッチ過ぎて私には出来ません。出来ませんが、その食への研究心と投資は素晴らしいです。外食をすればその料理を分析し、自分のものにする。機会を見つけては、知り合いを呼んでのホームパーティー。当然料理は彼が作ります。マンションのテラス部分には家庭菜園を作り、時には日本有数のチェアーコレクション(彼はこの点でも有名だったのです)を出してきて、お昼寝。スーパーリッチなオヤジの道楽生活といってしまえばそれまでなんですが、それでもそこに通る彼の生活に対するポリシーのようなものが、素敵です。好奇心と行動力が半端じゃないんです。少なくとも内面においては、こういうジジイになりたいものだと思っています。

ラスト(を含めてそれ以降)はかなり悲しいことになりますが、他人事ながら、彼は実にいい人生を生きたと思います。うらやましい限り。それにしても、(もしいるとしたら)神様は随分と皮肉なことをするものだと考えてしまいました。 04/11/25(Thu)

料理歳時記 辰巳浜子 中公文庫

これも古い本です。昭和37年から43年までの婦人公論。先の壇流クッキングよりもまだ古い。それでも、この本と並んで中公文庫に取り上げられたことで、私の目にとまることになったわけですから、ありがたいことです。この文庫化がなければ、私はこの二冊を知らなかったでしょう。作者は、料理研究家の辰巳芳子の母親といったほうが通じるかもしれません。ちなみに中公文庫、食に関する文庫を食シリーズとして次々出しており、この二冊は奇しくも同じ第二回配本分です。そして、ここで取り上げる中公文庫はこれで終わりの予定。残りは…、あまり私の趣味に合わなかったのですよ。

この料理歳時記は、名前の示すとおり食材を四季に分け、折々の食べ方や料理の仕方を上品な筆致で描いた、これまた名作です。壇流クッキングが我流というか、独自流というか、とにかくマイ・ウェイだったのに対し、料理歳時記はもう、保守本流。お約束通り下ごしらえをして、お約束通り調理していく。ただ、それが行き過ぎて料亭の料理になっていないところで、私の愛読書たりえてるわけです。

彼女の料理は“始末”がいいんです。とにかく、物を無駄にしない。小さすぎて牛の餌になろうとしていた小ぶりのジャガイモを貰ってきて素揚げにし、塩を振ってそのあまりの美味しさで周りを驚かせる。とにかく、捨てないで、何とか工夫をして美味しくいただく。そしてその始末のよさは、ガスや水の使い方にも及びます。彼女のこれらのものに対する厳しい姿勢を読むにつけ、いつも背筋が伸びる思いがします。

そして何よりも旬を大事にすること。書かれたのがだいぶ昔なんで、今よりもずっと流通は発達してなくて、旬も今よりずっと活きていたとは思うんですが、そんななかでも、旬が失われつつあることを嘆き、なるべく季節のもの・地場のものを美味しく食べようとする。この姿勢が素敵です。

この本は四季の下に、素材別に項立てがしてあります。例えば、春の下に金柑・杏・林檎・蕗etcといった風に。其れをひとつふたつ布団の中で読みつつ、おお、こういう使い方があるんだ、とか、この素材はこの時期が旬なんだ、なんて思いながら眠ってしまい、次の朝にはサッパリ忘れている。ダメな読み方なんですけど、それくらい清涼感に溢れた文章です。そして、読み終わったあとに台所に立つと、以前よりも背筋がしゃんとするようになる、そういう本です。 04/11/24(Wed)

壇流クッキング 壇一雄 中公文庫

私の持つ料理本の中でも、一番読み返しているのは間違いなくこの本です。壇一雄というと、もう知らない人が多いかもしれないですね。阿川佐和子の相方(?)壇ふみの父親であり、“火宅の人”の著者。世界中を放浪して歩いた、いわば元祖不良オヤジです。バリバリの小説家のはずなのに、最近手に入るのはグルメ本ばかり。草葉の陰でどう思っていることでしょう。ちなみに、彼の息子の壇太郎も“新・壇流クッキング”という本を出してます。お間違えなきよう。こちらもなかなか面白いんだけど、父親は超えて無いというのが私の感想。

この本の初出は、昭和44年2月から46年6月までのサンケイ新聞。私、まだ存在してません。もう30年以上前のものなんですが、全く古さを感じさせない、恐ろしい本です。とにかくすごいのは、ここに書かれている料理は、彼が何度も実際に作ったうえで、筆をとっているという点です。最近は料理本も多く、そういうのをチョコチョコとつなぎ合わせればそれなりの文章が出来てしまうので、そういう知識上滑り型の文章が少なくないんですけど、この本は違う。明らかにこのオヤジ、自分の趣味で何度も料理をしてます、って空気がみなぎってるんです。

そして、さすが本職の小説家。情景描写が上手すぎ。写真やイラストの一切無い単なる文庫でありながら、これだけ料理が美味しそうに感じられる本を、他に私は知りません。形容の仕方なんかを個々に見てみると、特に奇抜なことはしてないんです。なんてことの無い文章をつなげているだけ。なのに、なんでこんなに美味しそうな文章が出来るのか。私には到底真似できません。何事もプロというのは本当に恐ろしい。

また、彼が料理は“誰でも出来る”ということに非常に力点を置いているのも、私にとても影響を与えています。例えば、梅干し。“梅干だの、ラッキョウだの、何だか、むずかしい、七めんどうくさい、神々しい、神がかりでなくっちゃとてもできっこない、というようなことを勿体ぶって申し述べる先生方のいうことを、一切聞くな。壇のいうことを聞け。梅干だって、ラッキョウだって、塩に漬ければ、それで出来上がる。嘘じゃない。”例えば、インロウ漬け。“「インロウ漬」だなどと、名前はモノモノしいが、なにも勿体のついた漬物でも、むずかしい漬物でも、なんでもない。ただ、季節の匂いと歯ざわりを、存分にとり合わせながら漬け込むだけのことだ”と、万事この調子。読んでいると、“あっ、この程度なら私にも出来るじゃない?”と思わせてしまうところがすごい。

それだけ美味しそうな描写をされたうえで、“味付け?細かいことは作る人が好みで適当にしなさいよ”ってなふうにポンッと投げられてしまうと、作らないわけにはいかないじゃないですか。ただ、この本で取り上げられている料理は、肉の煮込み料理や本格カレーといった非常に時間と手間のかかる料理が少なくありません。一人暮らしではとても全部作るわけには行かないのが現実。ただ、彼の料理に対するスピリット、これはずっと私のお手本になっています。まさに私の座右の書の一冊です。 04/11/23(Tue)


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