2006年09月

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06/09/30(Sat)

実家から里芋を送ってもらった際に、ついでにイモガラも一緒に入れてもらいました。イモガラと言うのは、里芋の茎を乾燥させた、乾物の一種です。私、これが大好きなんですよ。水で戻してから、一旦熱湯を通し、絞って炒り煮にします。熱湯を通す作業を適当にすると、口の中の粘膜が里芋成分でイガイガになるので、ここだけは丁寧に。東京では、売っていないことはないのですが、滅多に見かけません。見た目もパッとしない食材なので、正体と食べ方を分かっている人は結構少ないと思います。以前知り合いは、大根を干したものと思ってましたね、そういえば。

生の時の里芋の茎は、断面がスポンジ状になっています。乾燥してもこの特性が生きているのか、イモガラの歯応えはちょっと独特。イモガラそれ自体に、味はあんまり無いです。歯応えの食材と言うべきでしょう。栄養分的には繊維がたくさん含まれていそうですが、“○○がたくさん摂れるから、この食材を食べる”というスタンスが嫌いなので、調べてません。好きだし、美味しいからいいじゃないかという立場です。癖もなく、誰でも嫌いにはならない味だと思うので、お勧めしたい。こんなもんかと、好きにも嫌いにもならずにスルーされてしまうケースが一番多そうですが。

06/09/29(Fri)

実家から、畑で採れた里芋が送られてきたので、今日は里芋の煮つけ。うちで使っている大ぶりの両手鍋に二回分あるので、いわば前編です。料理本を見ると、里芋は頭と尻を切り取り、八角に剥くとありますが、私は里芋の美味しさは皮ぎしにあると思うので、そんなモッタイナイことはしません。ボウルに浅く水を張り、亀の子ダワシを使って皮の部分を物理的にこそげとっていきます。包丁で剥くよりも確実に手間はかかるのですが、失われる旨味と手間を天秤にかけると、どうという手間ではありません。

皮をこそげとった里芋は、一口大に切って下茹ではしません。料理本には、白く煮上げるために米の研ぎ汁で茹でた後、流水でヌメリをとりましょう、なんて書いてありますが、私の作る料理は見て楽しむ料理ではないので、一切パス。余計な工程を組み込んで、里芋の旨味を流してしまう必要はありません。あとは好みの味の煮汁で煮るだけです。私が里芋を煮る際は、昆布・鰹節の出汁で、黒砂糖を少しと砂糖を使って、甘辛く煮るのを好みます。全部を黒砂糖にするとくどくなるので、足りない甘みは普通の砂糖で補完。醤油は香り付けのみで、塩味はあくまで塩でつけるイメージ。酒ではなく、味醂を使って甘味に幅を持たせます。

スーパーに行くと、里芋はジャガイモやサツマイモに比べていつも一段安いです。きっと食べにくいと敬遠されるからでしょう。でも、柔らかく煮た里芋でご飯を食べると、これがとんでもなく美味しいのですよ。もう少ししてスルメイカが安くなったら、そっちと煮てもいいですね。大好物の一つです。

06/09/28(Thu)

昨晩久しぶりに、台所にゴキブリが出没しました。うちの台所は結構きれいにしていると思うのですが、それでも出ます。ほんの少しの食べかすや、人間の体から落ちるフケ・髪の毛ですら餌になるそうですから、根絶は無理でしょう。私は、殺虫スプレーの臭いが嫌いなので、退治にはもっと原始的な方法を採用。古新聞を手早く丸め、一閃です。叩きやすい平場に上手に誘導してから決めるのと、強く叩きすぎて潰さないようにするのがポイント。

このように私は、ゴキブリは怖くもなんともないですが、世の中にはゴキブリが怖いという人が結構います。喫茶店常連仲間のカップル。彼女が怖がるのは分かりますが、私と同い年の彼氏までが、ゴキブリを見ると震えてしまうというのは、私には謎。スズメバチのように刺されると危険とか、毛虫のように触れるとかぶれるとか、そういうものを怖がるのは分かるのですが、ゴキブリって攻撃能力無いでしょ。ただ、高速で移動するだけ。よって、怖がるには全く値しないのです、論理的には。それなのに怖いというのは、ゴキブリを見て怖がる親の姿を見て育ったからではないでしょうか。ゴキブリを見て怖がるのは伝統文化かも。わたしの家には、そういう文化はありませんでした。

06/09/27(Wed)

先日、結婚式の引き出物のカタログの件で実家に電話をした折、ついに冷蔵庫を買い換えるという話を母から聞きました。実家の冷蔵庫は、私が生まれた時には確実にあったので、何年前のモノだか分かりません。おまけに、60才台の父母二人暮しなのに、三台が稼動中。電気代がバカにならないから一台にしたいと、母は常々思っていたようですが、モノを捨てる習慣がない父が頑なにそれに抵抗していたという背景があります。しかし最近、そのうちの一台の調子が悪くなり、近所の電気屋さんを呼んだところ、型があまりに古く、買い替えを提案されたそうで。その言葉に乗って、三台の冷蔵庫を一気に一台におまとめ。良いことだと思います。

実家は古い農家造りの一軒家で、私は1Kの賃貸。地域も違いますので、単純に比較は出来ませんが、多い月には実家ではうちの10倍近い電気代を払っています。これで家族が多ければまだ話は分かるのですが、実家は二人暮し。その電気代の中で、旧型冷蔵庫三台はかなりの比率を占めていたことが確実なので、今後は少し電気代も安くなるでしょう。それにしても、父のあのものを捨てられない性格、私に受け継がれなくて本当に良かったと思ってます。

06/09/26(Tue)

先日従兄弟の結婚式に出席したお返しとして、商品カタログを貰いました。以前はグラスとか器とか、果ては二人の写真入りの時計だとか、そういうしょうもないものである場合が多かったのですが、最近はそれが少しは自覚されてきたのでしょうか、貰った人が自分で好きなものを選べるカタログタイプのお返しが増えてきているような気がします。で、このカタログ。結構厚くてかなりの数のアイテムが揃っているのですが、非常に困ったことに、欲しいものが一点もありません。一点くらいあるだろうと、三度も通して全体を見たのですが、本当に無い。

グラス・皿などの器系はなまじコダワリがあるだけに、全て論外。タオル・石鹸などの消耗品は、制式品とストック上限が厳しく決まっているので、無理。フィットネス用品、胸に変なマークの付いたシャツなども不要。財布や眼鏡ケースなど、身の回りの品揃えもしょーもない品ばかり。台所用品は、全て揃っているのでパス。最終手段として、食品が載っていれば何とかなる場合もあるのですが、このカタログには食品がゼロ。

というわけで、カタログごと実家の母親に送って、彼女に使ってもらうことにしました。何もしないと、カタログ会社が適当な品を見繕って送ってきてしまうでしょうし、何より、この人からオーダーが来ないと従兄弟に連絡が行くかもしれません。結論、結婚式のカタログは、食品系の入っているものにして欲しいです。出来れば生鮮食料品系がベター。食べ物なら、すぐになくなりますからね。

06/09/25(Mon)

先日新聞に土井義晴が、家庭で炒め物を作る際にはフライパンを煽らず、五徳の上に置いたまま中身をかき混ぜましょうと書いてありました。家庭料理のコンロの熱量は、中華料理屋のそれの1/5程度。高カロリーバーナーでは動かさないと中身がすぐに炭になってしまうので、煽って中の温度を下げるのですが、家庭用のコンロで煽ると温度が下がりすぎるので、よろしくないという理由です。

なるほど、と納得したのですぐに採用。ちょうどその晩、ナスを炒める機会があったので、やってみました。フライパンをコンロにのせて、最強の強火。いつもなら得意のテクで煽るんですが、今回はヘラで混ぜるだけ。たしかに、フライパンの中にこもる熱が、煽った時よりも大きいのを感じます。料理を始めた頃、散々磨いたせっかくの煽りテクですが、今後は封印する羽目になりそうです。中華料理屋でも開けば話は別ですが、そんなことは金輪際無さそうですので。

広く見聞きして、良いと思ったらそれまでの自分のやり方を柔軟に変える。歳をとったからという理由なのか、それが出来ないオトナが周囲に多いので、なるべく自分はそうなるまいとささやかな抵抗をしているので、その一環でもあります。

06/09/24(Sun)

秋晴れの空というのはこういう空をいうのだというくらい、模範的な秋晴れの今日。こんな日は、洗濯大盛りに限ります。毎日必ず出る下着やシャツなどの洗濯は勿論ですが、それらに比べて洗濯の頻度がやや落ちる、シーツや枕カバーも全部洗ってしまいます。うちは角部屋で二面が大きな窓。そこに各二本ずつ物干し竿をセットしているので、一人暮らしにはあるまじき量の洗濯物を、一気に干すことができます。

それに加え今日は、調子に乗ってカーテンを一面洗ってしまいました。金具を外し、洗って再び金具をつけ、いつもの形でカーテンレールに吊るして、風を通すだけなので、普通の洗濯物に比べてそれほど手間がかかるというわけではないのですが、ついつい億劫になって、後回しにしてしまいます。このカーテンも一年ぶりくらいですかね。うちは真っ白いカーテンを使っているので、洗ったあとの印象の変化はかなり大きいです。おぉ、白いではないか、という感じ。これから小一時間洗濯物に囲まれて昼寝。こういうのが、私にとっての理想中の理想の休日日曜日なのです。

06/09/23(Sat)

ここしばらく、毎晩シャーベット状になった大粒のブドウを、夕食後のデザートとして食べてます。これは半月ほど前に親戚が送ってきたもので、一回分ずつビニール袋に入れて、冷凍しておいたもの。最初はこれ以上入らないというくらい冷凍庫がいっぱいだったのですが、ここに来て少し余裕が出てきました。ブドウは好きですし、毎晩食べるのを楽しみにはしているんですが、冷凍庫の中が片付いていく快感が、それに勝るとも劣らない程大きいことは否定出来ません。ほんの少し前までビッシリ物の入っていた庫内が、今では背面が見えるくらいになってきたその気持ち良さといったら。

片付けるために食べる、こういうの決して良くないと思います。でも、私は天性の片付け魔なんでしょう。あと〜回分残っていて、〜回分になったらこっちに移して、ここに○○が入るようになって〜、などと考えるのが楽しくて仕方なし。まぁ、この性格のおかげで部屋も割りと綺麗に片付いているわけで、あながちダメとは言い切れないのですが。

06/09/22(Fri)

今日は鶏モモ肉が580円と安かったので、即ゲット。といっても、2kgですけど…。野菜でも肉でも何でもそうですが、食材は基本的に大ロットで買った方が割安なので、使い切ることができさえすれば、そちらの方が断然お得です。鶏モモ肉も、200gくらいのパックで買うと、どんなに安くとも100g80円くらいはしますので、この法則がピッタリと当てはまります。とはいえ、そのまま全部食べきるのは、いくら大食いの私とてちょっと厳しい。そういう時は冷凍庫です。

経験則上、一回解凍して傷むまでに食べ切れる鶏モモ肉は、二枚。ですので、二枚ずつビニール袋に入れ、空気をなるべく抜いて口を縛り、冷凍しておきます。また、冷凍庫に入れておくと、つい安心していつまでもとっておきがちですが、それはイロイロ良くないので、これを使い切るまでは、他の冷凍を要するものは買いません。冷凍庫スペースだって、有限ですから。

というわけで、鶏モモ一回目は焼鳥風。朝出かける前に一口大に切って塩で揉んでおき、帰ってきてから味醂と醤油を注いで焼きます。塩を最初に振っておくのは、こうすると味がしみこみやすいうえに、醤油を多くし過ぎて全体が醤油臭くなるのが防げるため。焼くのは身の方からでも皮の方からでもどっちでも良いと思います。香ばしく焼けたやつをご飯にのせて食べると、至福。

06/09/21(Thu)

昨日残しておいた韮一束は、予定通り韮炒めに。3cmほどの長さにザク切りにして、刻んだ干し肉と一緒に塩胡椒&醤油でサッといためます。今回はご飯にのせながら食べようと思ったので、少し甘辛目を狙って砂糖も少し。最後に香り付けの醤油を注いで完成。そうそう、油は当然胡麻油です。王道ですね。

今日は大根が一本98円と特価だったので、ゲット。首から上の葉の部分は、刻んで菜っ葉ご飯にします。使ったのが2/3ほどで、残りは味噌汁の青味用にキープ。本体は私の腕以上の長さがあるので、とても一度では使い切れません。1/3だけ切り取って、残りは濡れ新聞紙に包んで冷蔵庫の中へ。今回は千六本に刻んだものに塩を振ってしばらく置いてからギュッと絞り、刻んだ蜜柑の皮と細く切った昆布を放り込んで、浅漬け風にしてみました。大きなタッパー一杯の原価が30円ちょっと。アホみたいな値段です。残った大根では、味噌汁も煮物も作らなきゃいけません。大根は癖がないので、使い回しがしやすいのです。非常に使いでのある98円だったといえましょう。

06/09/20(Wed)

な〜んか米を食べたくないなと思いながらスーパーに寄ると、韮二束88円の特価に遭遇したのでゲット。一束はとりあえず後日のために残しておいて、もう一束を端から細かめの小口切りに。それを薄めに溶いた小麦粉の中に放り込み、フライパンで焼いて韮焼きです。一気に全てをフライパンに入れてしまうと厚くなり過ぎてしまうので、三回に分けて薄めに焼きます。クレープほど薄くは出来ませんけど、韮焼きは薄いほうが美味いと思います。

円形の韮焼を八つに切り、酢醤油をつけていただくのが今日の夕食(それだけじゃないですよ、念のため)。韮は香りが強いので敬遠されることも多いですが、私は大好きです。実家の庭には韮が勝手に生えており、時々包丁でザックリ切って食べてました。不要な葉や土を取り除くのが案外面倒なんですけどね。あと一回分の韮は、干し肉と一緒に胡麻油&醤油味で炒めようと思ってます。王道一直線ですね。

06/09/19(Tue)

うちで使っている蜂蜜は600gの瓶入りのものなのですが、苦節一年以上、やっと使い切りました。基本的に万事が甘さ控え目の味付けなので、砂糖や蜂蜜は使い切るまでにどうしても時間がかかります。保存期間が長いので、数年かかっても大丈夫だとは思うのですが、砂糖はともかく蜂蜜の場合、一旦開封したらあまりに長期間にわたって使い続けるのは気が引けるのです。それに、この使い切った瞬間が、何とも言えず快感。

というわけで最後の一回分は、瓶にお湯を入れてシェイク。マグカップにあけてカボスを絞り、氷を入れて寝覚めの一杯としていただきました。瓶は一晩水に漬けてシールをきれいに剥がし、食品保存用としてキープしておきます。600g入り蜂蜜の瓶って、使いやすくて便利な大きさなんですよ。さすがに、3〜4個を超えたら捨てますが。

しかしながら、次にも続々と控える蜂蜜達。うちにある蜂蜜は全部貰い物なので、需要以上に供給があるのです。現在控えているのは同じサイズの瓶が3つ。使い切るのにあと3年以上はかかる計算になります。その間にもまた貰うだろうし、しばらくは蜂蜜天国です。いやホントはもう、貰わなくてもいいんですけどね。

06/09/18(Mon)

錦糸瓜という瓜を貰いました。初めて食べる食材なので、期待が高まります。錦糸瓜・別名ソーメンカボチャ。外観はまさに瓜なのですが、割ると中身は薄黄色で、種の感じなどはカボチャに近いです。非常に面白いことに、ゆでて火を通すと身の部分ががほどけ、ソーメン状になることから、このような名前がついたものと思われます。最初に茹でて皿に盛ったものを見せられた時には、色の薄い沢庵を細く切ったものかと思ってしまいました。

初めてなので、貰った人から教えて貰ったままに調理。大きい塊のまま、ヒタヒタの水を張った鍋に入れ、竹串が通るようになるまで火を通します。それをお湯からあげてほんの少し力を加えるとアラ不思議、バラバラにほどけてソーメン状になるのです。味はアッサリしたカボチャといったところ。ただし、歯応えは同程度火を通したカボチャよりも、ずっとシャキシャキしています。ネットで調べると、酢醤油をかけて食べるのがメジャーなようですが、私は塩をパラッと振っていただきました。カボチャ系の甘味は、塩でより一層引き立つと思います。味はまぁ、カボチャですね。わざわざ買ってまで食べるほどのものではありませんが、料理の見映えをよくする際に、うまく使えば有効であると思われます。

06/09/17(Sun)

先日、包丁を使っていてちょっと嬉しいことがありました。私が参考にした包丁研ぎのマニュアルには、次のように書かれていました。“包丁は手元から1.角の部分、2.直線の部分、3.曲線の部分、4.先端部分の四箇所に大別されます。それぞれを順番に研いでいくのですが、一番難しいのは3.の部分です。”とあったのです。それを読んだのはもう数年前。それ以来、このマニュアルに沿って包丁を研いできたのですが、正直3.が難しいという実感はありませんでした。しかし、ある日いつものように包丁を使っていて、3.で食材を切る時に、手が微妙な違和感を感じたんです。あれっと思って確認すると、3.の部分の切れ味が悪い。この瞬間、あのマニュアルが私の血肉になった気がしました。

常識で考えても、3.の部分を研ぐのは難しいのですよ。平面の砥石で曲線を出すのだから、簡単なわけがない。でも、それを実感するまでに数年。“援軍は遅くとも、来ぬよりはマシ”とも言いますから、まぁ良いとしましょう。別の例で近そうなものに、車の運転があります。教習所を出る際に教官から、“車の運転にだいぶ慣れたと思った頃に、教習所のマニュアルを読むと良いよ”と言われたのですが、それも同じ意味でしょう。でも、庖丁研ぎはまだまだ先があります。また忘れた頃になって、フッと何か“気付き”があって、進化するのだと思います。こういうことの上達曲線は階段状であるという理屈は、当を得たものだと思います。

06/09/16(Sat)

今朝新聞を読んでいたら、“牛乳は健康によくないのではないか”という説が巷で話題になっているそうです。全然知りませんでした。牛乳をたくさんとる米国や北欧で股関節骨折が多く、牛乳は骨粗鬆症予防に役立たない。乳牛が抗生物質や成長ホルモンを与えられて育っているため、それが人に悪影響を与えるのではないか。牛乳は100gで67キロカロリーのエネルギーがあり、脂質も3.8g含まれているので、太るのではないか。この三つが主な論点として挙げられています。

こういう論争、たまに起きますね。データのある部分を切り取り、引き出される結果の重大性を膨らませているように、私には思えます。私は、世の中にこれさえ食べていれば健康体が保てるなんて食物は存在しないのではないでしょうか。Aという食物がどんなに体にいい物質を含んでいても、そればっかり摂っていれば不足する栄養素が必ず出てきます。また、Aの中には微量の体によくない物質が含まれていて、普通に食べてる分には問題ないけれど、そればっかり摂ることで体に害をもたらすようなレベルになってしまうことだってあるでしょう。

私は、体にいいあの食品だけ摂っていればとりあえず安心・安全というのは、安直だと思います。あれもこれも何でもバランスよく摂るというのが、一見無策そうで実は王道っぽいです。牛乳もそうで、毎日そればっかりガバガバ飲んでいれば、あんまり体には良くなさそう。でも、他の食品と組み合わせてバランス良く摂れば、健康にも資するっぽい。かく言う私は、全然牛乳を飲まないんで、別に牛乳の肩を持つ気もないんです。ただ、データ・マジックを振りかざす論調が好きではないんですね。

06/09/15(Fri)

シメジの大きなパックが98円と安かったので、買ってきました。今日はシメジご飯。うちでは炊き込みご飯はほとんど味をつけません。今回のシメジご飯の場合、香り付けにほんの少し醤油をさすくらい。その方が、味噌汁や他のおかずと合わせやすいのです。一般的な炊き込みご飯の味付けは、私にはきつすぎます。

ご飯はいつものように鍋で、いつもと全く同じ手順・水分量で炊きます。違うのは、醤油をほんの少しさすことだけ。最初強火で沸騰したら極弱火。蒸らしに移る瞬間に、食べやすい大きさに手で裂いたシメジを放り込み、10分ほど蒸らせば完成。シメジも天然の本シメジは味・香りが段違いなのだそうですが、そんなの手に入らないので、普通の養殖物です。それでも、蒸らしの間にシメジの香りがご飯の隙間にまで一杯に広がって、これは立派なシメジご飯。シメジの香りを生かすためにも、やっぱり醤油は少な目の方が良い気がします。

今夜の夕食は、このシメジご飯に味噌汁、鶏肉を紹興酒につけて焼いたもの、先日の白菜の浅漬け、それにあと煮物が二品。一品一品がそんなに豪華でなくても、数が揃うとそれなりの食卓になるから、不思議です。

06/09/14(Thu)

仕事帰りに寄ったスーパーで、白菜が安かったので買ってきました。1/8カットなんて普通は買わないんですけど、40円となれば話は違います。その時頭の中にあったのは、その晩焼いて食べようと紹興酒漬けにしてタッパーに入れておいた鳥ムネ肉。焼こうと思っていたので、大き目のブツ切りにしておいたのですが、これを薄めに切り直し、昆布と一緒に小さな土鍋で鍋仕立てです。昨日は寒い雨が降って、9月とは思えないような気温だったので、かなり早めの初鍋となりました。

先日お土産に貰った七味唐辛子があったので、こちらも有効活用。醤油に、これまた数日前の日記に書いたカボスを絞り、鍋のツユで濃さを調整したものをタレとして使います。七味をパラリと降れば、すっかり初冬気分ですよ。思いつきで初鍋にした割には(自分に)好評だったので、今度は半額鶏挽肉でツミレもいいかなと思ったりしています。

06/09/13(Wed)

ずいぶんと涼しくなってきて、扇風機のお世話になることが減ってきました。夏場に扇風機を一週間ほどフル稼働させると羽・網の部分が埃まみれになります。そのまま使い続けるのは見た目にもかなりイケてないので、毎週末せっせと掃除していたのですが、これが結構大変。やっとその労力から開放されます。

うちの扇風機はアメリカ製で、本名はサーキュレーター。エアコンの空気をかき混ぜるための装置で、左右に首を振る機能が無いかわりに、上下に角度をつけて風を送り出すことができます。全くやったことはありませんが、真上も可。この扇風機、アメリカ製だけあって超無骨。網は輝くステンレスで、羽は黒光りする金属製。日本のものだったらワンタッチで羽も網も外れて、お掃除楽々なんでしょうが、全く違います。網を外すにはプラスドライバーが必要で、羽にいたっては要・六角レンチ。当然、製品に付いてきたりはしません。まぁ、こういうツールは男のタシナミとして持ってますけどね。

そんな無骨な造りの割にスイッチ周りは脆弱で、買って一年目に壊れやがりましたので、秋葉原の専門店でスペックの合うのを買って自分で組み込みました。そんなこんなで、結構愛着はあるんです。でも、正直掃除は面倒。冬場はガスファンヒーターのフィルターがこれに替わるのですが、扇風機に比べたら楽々。9月も後半、今週末には愛着のあるこの扇風機も片付けようと思います。

06/09/12(Tue)

ここ半月ほどちょっと立て込んでいて、行きつけの喫茶店に全く行けない日々が続いてます。私は喫茶店以外では珈琲を飲まないので、この間カフェインゼロ。大学生の頃は喫茶店以外にも一日に3〜4本缶コーヒーを飲み、珈琲が切れるとイライラするという、半ばカフェイン中毒のような状態になっていましたが、最近はそんなことは全くありません。飲めなければ飲めないで、別に平気。実は職場にはインスタント珈琲が置いてあるのですが、別に職場で飲んでもなごめないので、手を出しません。そんな私を同僚は不思議な目で眺めますが、私の中ではキッチリ筋が通っているのです。

私にとって珈琲は、いい空間でいい時間を過ごすための道具のようなもの。あと数日で日常がノーマルレベルに戻るはずなので、そうなったらまた喫茶店通いを復活させようと思います。お気に入りの喫茶店というのは、何はさておいてもいいものです。

06/09/11(Mon)

実家からカボスがたくさん送られてきました。正直言って、一人暮らしで大量のカボスというのは、やや始末に困ります。常温で放置してもそうそう傷むものではないですが、油断しているとやっぱり腐ってしまいますし、何より私は将来の明確なビジョンのない食品を周囲においておく事を好みません。数個ならば酢の物にするのですが、それ以上は無理ということで、蜂蜜レモン(カボスバージョン)を作って毎朝飲んでいます。

マグカップに蜂蜜をスプーン一杯。そのマグカップに茶漉しをかぶせ、カボス半分を種が入らないように絞ります。少量の熱湯で蜂蜜を溶かしてから氷と水を入れ、よく冷えたら完成。最近は、毎朝これを片手に朝刊を読むのが習慣になっています。こういうのってビタミンCが摂れて体に良さそうという印象ですが、元来美味しいものを食べるのは好きだけど、それが体にいいといわれるととたんに引いてしまう天邪鬼な私は、単にあるからせっせと消費しているだけ。体にいいといわれると、味わい半減な気がしてしまうんですよね。

06/09/10(Sun)

数えてみると、上京してから7〜8回は引越しをしているので、かなりの引越しキャリアを誇る私ですが、今の家は住み始めてから5年以上。いまや一番長く住んだ家になってしまいました。これくらい住むと家の中のシステムもこなれてきて、ほぼ理想の形に近付いてきたのですが、どうしても許せない場所が何箇所か残っています。その中で最大のものが、タッパーの収納方法。

私は使い捨てのサランラップが嫌いで、ほぼすべての保存をタッパーでまかなうため、かなり多くのタッパーを持っています。これがお皿なら、同系のものをスタックしてコンパクトに収納するのは簡単なのですが、タッパーはその形ゆえにスタックできません。おまけに蓋があって更にかさばります。大きいものと小さいものを組み合わせて入れ子にすれば、ある程度はスペースを節約できますが、これだと使いたい時に瞬時に必要なサイズのものを取り出すことが出来なくなります。見栄を必要に優先するのは私の流儀ではありませんから、不採用。

結局食器棚の一番下の段にゴチャっと突っ込んであるのですが、これがいかにも美しくない。もう、不満で不満でたまらないのですが、いまだに上手い解決方法が見つからず放置状態。こういうくだらん悩みをゴチャゴチャ考えるのが、また楽しいんですわ。

06/09/09(Sat)

夏の暑い時期は、毎夜枕の中に巨大アイスノンをしのばせることで、寝苦しい夜をクーラー無しで乗り切ってきたのですが、もうそろそろ使わないだろうということで、冷凍庫に常駐してあったアイスノンを片付けることにしました。また、二つ入れていた製氷皿も一つにリストラ。暑い時期は氷の消費が激しいのにもかからわず、氷ができるまでに時間がかかっていたので、二つの製氷皿を交互に使わないと間に合わなかったのですが、最近そうでもないので、こちらも一つにリストラ。

アイスノンと製氷皿がなくなり、大きく空いたスペースには、秋の味覚ブドウが入ることになります。郵便局に勤める親戚が、“ふるさとゆうパック”というのを送ってくるのですが、そのままでは一人で食べきれず、腐らせてしまうのがオチ。そこで、一回分ずつ小分けにして冷凍しておくのです。シャーベット状になって、美味い。冷凍庫の中身にも、ほのかに秋を感じますな。

06/09/08(Fri)

先日の夕方5時頃、ちょ〜お腹が空いてたんです。その時刻私は職場にいて、何かコンビニに買いにいく暇もないくらい忙しいうえに、職場にも何も食べ物が無い状態。仕方が無いので必死で我慢して、ヘロヘロになりながら家にたどり着いてさぁ夕食。ご飯と味噌汁と浅漬けに加え、煮物・焼き物など数品の何の変哲もない、いつもの夕食。でも、これがいつも以上に美味しかったんですね。私はご飯は一食二杯と決めているのですが、ついうっかりあと一杯食べてもいいんじゃないかと真剣に悩んだくらい。

“空腹は最上の調味料”なんて言いますが、これ実に本当です。“何か美味しいものない?”などと言う人には、“ものすご〜くお腹を空かせたら、何の変哲もないいつものご飯が、今までないくらい美味しく感じられるよ”と諭したい。それくらいお腹が空いて、夕食が美味しかったのです。コレ、すごく幸せなことかもしれません。

06/09/07(Thu)

急に涼しくなり、一気に秋めいてきたということで、シメジを買ってきました。ジャンボパックというやつで、1パック98円。シメジは癖のないキノコなので、食べ方も色々ありますが、素直に味わうとなるとやっぱり素焼き。おが屑のついた石突部分をとり、食べやすい大きさに小分けして焼くだけ。醤油が定番といえば定番なんですが、私はシメジの場合は塩胡椒を好みます。醤油の香りがシメジに勝ってしまう気がしますんで。シメジだけ焼いて食べても寂しいものがあるので、その辺にあったジャガイモ・玉葱も一緒に。ジャガイモはシメジに比べると当然火が通りにくいので、タイミングを逆算して、うまく同じ時間に焼きあがるようにするのがコツです。

そして、シメジといえば何といっても味噌汁。シメジ・葱・ワカメの具を自家製味噌で仕立てる味噌汁は最高です。こちらはコツらしいものは何もありません。シメジの香り立ち上る味噌汁は、味噌汁ご飯にしても美味い。つくづく庶民的な味覚だなぁと思います。

06/09/06(Wed)

行きつけの喫茶店で、久しぶりにとある他の常連さんと会いました。彼女は私より一歳年下で、十年勤めた大きな会社を辞め、現在は某職人になるために修行中。何か理由があったのかもしれませんが、なかなか素敵な生き方ではあります。その彼女、私と違って全く家で料理をしません。でも、修行中の身ゆえ時間も金も無い。で、どうしているかというと、料理が趣味で定年退職後家でゴロゴロしている父親をおだてあげ、実家から料理を送ってもらっているのです。それも、関西から月に3〜4度。

煮物は全て小さなタッパーに一回分ずつ小分けして送られてくるという徹底ぶり。最近料理のレパートリーが広がって、ミートローフも送られてくるそうです。こちらは一切れずつスライスして、それぞれラップで包んであるという親切設計。えっと…それは三十代女性としてどうなんだという当然の感想も持ちつつ、ここまであっけらかんと徹底されると、かえって清々しいものがあります。いいネタを提供してもらい、更に頑張っている姿にも共感するところがあるので、今度作ったものを買おうと思っています。

06/09/05(Tue)

行きつけのスーパーのレジの横には大きなゴミ箱が置いてあって、客が不要なラッピングをその場で剥がして捨てられるようになっています。ビニール袋から野菜を取り出し、持ってきた自前の袋に入れ替えたうえで、そのビニール袋を捨てて帰るという光景をよく見ます。また、キャベツやレタスの一番外側の葉や、葱の青いところをとって捨てていくというのもよく見ます。私はそういうところも全部食べてしまうのでやりませんけど、まぁよくある光景。

しかし、ごくたまに肉の入っていたであろうパックが捨てられていることがあって、これは…と思います。捨てた人は、その場で中身を別のビニール袋に移し変え、家で捨てるゴミを少なくした状態で持って帰るのでしょう。私は実際の現場を見たことがありません。でも、レジの横でそれをやるのはかなり度胸がいりますね。私はあまり人目を気にせず何でもやってしまうほうですが、これはちょっと無理です。世の中、すごい人がいるものです。

06/09/04(Mon)

9月になっても残暑の厳しい日が続きます。こんな暑い日曜日のお昼は、冷しウドンに限るでしょう。いつもは、その場で打ったウドンに醤油と鰹節のシンプルぶっかけ冷しなんですが、今日はちょっと(でもないけど)豪華バージョン。以前大家さんに貰った根昆布を水で戻し、包丁で粘りが出るまで徹底的に叩きます。茹で上がって水で締めたウドンの上にこの根昆布を流し、葱と鰹節も振りかけたら、そこに生醤油。仕上がりにこれまた貰い物のカボスを絞って完成

私が一食分として打つウドンは粉にして150グラム。市販のウドン玉だと2玉分くらいの量があるのですが、それがものの数分で無くなってしまいます。暑くて食欲が減退した時はウドンに限りますね。

06/09/03(Sun)

私は別に近所の口うるさいおぢさんになるつもりは無いです。が、今日コンビニで見かけた光景に、ちょっとビックリ。母親と娘の親子連れが、並んで雑誌の棚で立ち読みをしています。母親は20歳前半くらいでしょうか、割ときちんとした服装。娘は小学校低学年くらいで、左手に最近コンビニに良く置いてある廉価版のコミックスを持ち、左手に持ったソフトクリームを舐めながら立ち読みしてるんです。今までに何度か、缶ジュースを飲みながら立ち読みをする若者を目にし、それですら私の中の基準では完全にアウトなのに、ソフトクリームなんて…。何より驚くのは、母親がそれを全く注意しないこと。もしかしたら、買ったソフトクリームの包装をレジですぐに外し、娘に持たせたのかもしれません。いや、多分そうでしょう。

この場合、母親にレッドカードを出すべきなのでしょうが、不幸にも出す人がいません。だから、あの娘はその価値観であのまま大きくなっていくのでしょう。それがちょっと可哀相でした。私は、言いませんよ。最近物騒なので、刺されでもしたら丸損ですからね。

06/09/02(Sat)

米びつが空になってきたので、実家から米を送ってもらったところ、米袋の中に鷹の爪が一緒に入っていました。虫除けです。ただし、実家で採れた米には収穫時から既にコクゾウムシなどの虫が入っているので、殺虫効果のない鷹の爪はほとんど意味がないと思います。せいぜい鷹の爪の香りを嫌がって遠くに行くくらい。米袋が密封されていなければ、外に逃げ出しもするのでしょうが、さすがに宅急便で送る際に密封しないわけにはいかないので、問題外。

というわけで、私は米櫃の中に鷹の爪を入れることはせず、専ら鷹の爪本来の目的である辛み調味料として使っています。そのためには、丸ごと一本ではついつい億劫になって使いづらいので、荷物が着いたその日に全部キッチンバサミで輪切りにしてしまうのが常。ここでポイントなのが、作業中・作業後数時間はいくら手をキレイに洗おうとも、目や唇の周りを触らないこと。カプサイシンの呪いにとりつかれます。しかし、こういう風に思っていればいるほど、目の周りが痒くなってきたりするもの。人間ダメだと思うと、余計に気になってしまうものなのです。最初は“イカンイカン”と思って手拭をかませたりしていましたが、やっぱりついうっかり素手で掻いてしまいました。カプサイシンの呪いは強烈です。小一時間呪われました。

06/09/01(Fri)

茄子三日目。この辺りは単身世帯も多いので、スーパーでは茄子も一個・二個から売っているのです。ところが私はモロにそのターゲットである一人暮らしなのに、そんなのには目もくれず、お徳用大入り袋を買ってしまう。腐らせてロスを出すことなく、全部使い切る自信がなせる技。ですから、同じ食材が何日も続くのは当然といえば当然。今日も茄子・明日も茄子・明後日も茄子です。

今回は、浅漬けで袋の半分の茄子を消費し(これはまだタッパーの中にたくさん残ってる)、茄子丼で1/8を消費。着実に使い切りの方向に向かっています。今日は茄子味噌汁。ここで一番問題となるのは茄子の切り方ですが、私は味噌汁にする場合は、乱切りではなく5mm程のやや厚めスライスを好みます。あわせる具は油揚げで、葱抜き。この辺は長年の経験によって蓄積されたローカル・ルールに従うので、ほとんど迷う事はありません。そして半分ほど味噌汁を飲んだら、ご飯を放り込んで味噌汁ご飯、これも変わりなし。一年三百六十五日、同じ様な事をして過ごす私です。

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