2006年03月

<<前<<   >>次>>

06/03/31(Fri)

現在、滅多に降りてこない繕いの神が降臨中。やりすぎると天に戻ってしまうので、夕食後一日約一時間限定で、生活用品を繕ってます。まずは雑巾。うちは家中の掃除を雑巾一枚で済ませてしまううえに、毎回洗濯板で徹底的に洗うんで、かなり消耗が激しく、すぐにあちこちに穴が開いてしまいます。そこを、キープしてあったボロ布から選りだした、比較的無事な部分で繕い。以前はほつれないように、端を折り返して使っていたのですが、最近は面倒になっていきなり千鳥縫い。面の部分は適当に平縫いですが、訓練の意味も兼ねているので、ピッチはなるべく小さめに。穴が開いてしまっている場合は、そこも千鳥縫いでこれ以上ほつれないようにします。

端が摩滅して、横糸が出はじめてしまったバスタオルは、これまたキープしてあった布でテープを作り、ほつれないように折り返してアイロンをかけた後、バスタオルの端に縫い付けていきます。部屋着として使っているデニムのシャツは、使い込みが激し過ぎてあちこち磨り減っており、常にどこかに手を入れないといけない状況なので、繕いには事欠きません。

繕いというのは、プランを立ててしまえばあとは延々と同じことを繰り返す単純作業の側面が強いです。最初はつまらないなと思っていましたが、慣れてくるとこれがハマル。夜中の静かな部屋の中で単純作業を繰り返すというのは、ある意味根暗ではありますが、反面とても心休まるものがあります。

経済的・時間的に見れば、今の日本では繕いをすることは愚かな事だと思います。どう考えても、買った方が早いし安い。雑巾なんて100円ショップで3枚入りが買えてしまったりするわけで、それを通算何時間もかけて繕うなんて、ある意味愚の骨頂。でもいいんです、趣味だから。私、いつも結局最後はそれですね。

06/03/30(Thu)

白菜半玉を投げ売り価格50円でゲット。今日はやや寒いし、一人鍋でもすっかと思いながら店を回っていると、鶏モモ肉(グラム68円)に3割引シールが貼られていたのを見つけ、これに決定。白菜は半玉のそのまた1/3ほどをザク切りにして準備。土鍋に切り昆布・ブツ切りにした鶏肉・白菜の根元の方を入れ、水をヒタヒタにして沸かしたら、もう食べられます。あとは、適宜葉先の柔らかいところを投入しながら、醤油と柚子酢を混ぜたものにカンズリを放り込んだ自家製ポン酢モドキで食べるだけ。鍋といっても色々ありますが、私は何といってもこの鳥の水炊きが好き。実家で鍋といえばこれだったので、その幼児体験が効いているのでしょう。

美味しくいただいたあとは、当然おじや。残骸を綺麗にさらった土鍋の中に、茶碗半分ほどのご飯を放り込んで、少し煮て塩で味を調えるだけ。卵を入れる流派が多いですが、それをやるとダシのシャープな味わいが包まれてしまう気がするので、私はやりません。まぁ、最近は卵が1パック100円以下で手に入ることが滅多になくなって、常備していないということもありますが。

ちなみに、残った白菜はザク切りにして塩でもみ、浅漬けに。鶏肉は味醂醤油に漬けておいて、後日網で焼いて食べます。醤油と脂がやや焦げるくらい、こんがり焼くとそれだけでモモ肉は美味い。今日もいい買い物をしました。

06/03/29(Wed)

先日FMを聴いていると、投稿のテーマが“100円で作れる食事”になりました。番組の雰囲気から言っても、真面目にやっているわけではありません。半分はネタです。真っ当なものもありましたけど、安売りの時に猫缶を買ってきて…とか、ご飯の上にウマイ棒をおろし金でおろして…とか、そんなのばっかり。しかし、逆に考えてみると、100円で真っ当な食事なんてできっこないとみんなが考えているから、こういう企画が成り立つわけです。

確かに、何にも無い状態から100円持ってスーパーに行って、ハイ真っ当な食事を作れと言われたら、私だって絶対無理です。でも、毎日継続して食事をつくり、そのコストを平均すると一食平均100円以下にするというのは、やってみるとそんなに難しいことではありません。というか、簡単。白菜半玉100円で買ってきて、10回に分けて食べれば、一食10円です。お浸しにしてもいいし、浅漬けにしてもいいし、味噌汁の具にしてもいいし、使い方自由。これを白菜だけでなく、数種類の野菜に広げれば、食卓のバリエーションは十分豪華になります。

それどころか、慣れてくると一食100円の食事の内容が、近所の中華料理屋の800円の定食をはるかに凌駕してしまいます。こうなってしまうと、日々の食事に外食を利用する機会は激減。たかが100円、されど100円。食費における100円は決して侮れない額です。とはいえ私も職場では、食費の安さをネタにすることがよくあります。みんな、ありえないと思ってウケてくれるものですから。内心マジなんですけどね。

06/03/28(Tue)

本日は、人参とジャガイモどちらも一袋50円をゲット。当然この価格、真っ当な品ではないわけで、人参は縦に大きな裂け目が入っているもの、ジャガイモは芽が出始めてしまっていて、この価格。ジャガイモの芽にはソラニンという毒が含まれており、食べるとお腹を壊すそうですが、少々の芽ならそこをえぐってとってしまえばよし。あまりに元気な芽が出てしまい、本体もしなび始めてしまえば、私とて躊躇しますが、そうでなければ余裕のセーフ。たった50円のジャガイモで、1週間分のポテトサラダorジャガイモの煮つけが作れるとあれば、これはもう買うしかありません。

人参の方は、それ以上に大セーフ。裂けているだけですから、味には何の影響もありません。見たところ鮮度は正規品と全く同じ。大ぶりの人参が4本も入って50円なんて、お買い得以外の何ものでもないです。

今日はそれ以外にもキャベツ・レタス・スナップエンドウなど色々な見切り品が出ていましたが、結局買ったのは人参とジャガイモだけ。買わなかったものは、値段と状態を見比べ、これだったら正規品を買った方がお徳と判断したか、そもそも鮮度が落ちすぎていて、商品として価値がないと判断したかのどちらかで、そのフィルターのふるいに残ったのが、人参とジャガイモでした。見切り品の山を漁るのは、ホント楽しいですね。

06/03/27(Mon)

今朝の日経新聞一面をみると、“日本経済「強さ」増し成長へ”という記事の下に、飲み物を客に渡しているスタッフの写真と共に“スターバックスでは価格がやや高い飲料が人気”という説明がありました。記事を読むと、“スターバックスジャパンが昨秋から販売を始めた期間限定商品「キャラメルモカ」など。Mサイズのホット飲料で初めて四百円を越す価格だが、人気を集め、既存店の売上高は前年比五%で伸びている。”ということです。

景気がよくなって収入が増え、スタバに行く機会が増して、オーダーはワンランク上のものを。その結果、スタバが儲かると、こういう構造なのでしょう。私だったら、収入が減っても、スタバでドリンクだけなら五百円以下ですから、行きたい時に行って、飲みたい物を頼みますけどね。しかし、私が一番気に食わないのは、収入が増えて単価の高いドリンクがよく出るようになったという、ココ。スタバ側は景気の回復まで見越してこういう商品を投入しているのでしょうが、別にそれに踊らされることはないと思います。本当にそれが美味しいと思ったらオーダーの常連にすればいいですが、自分の好みとその商品の価格は論理的には関係ないハズ。あぁ、それなのに。もっと言えば、こういう現象を景気回復の一つのあらわれとしてとりあげる日経新聞も、少しあざといです。

どこかで、“お金持ちになるためには、お金を使えと他人を煽っておいて、自分はしっかり財布の紐を締めるのがコツ”というような記述を読んだことがあります。実際ホントにその通り。私はお金も欲しいし、人の思い通りになるのも嫌なので、頑固に好きなものを注文し続けます。ささやかな趣味の領域くらい、収入の如何に関わらず死守しても、罰は当たりますまい。あぁちなみに、ここまで書いておきながらアレですが、私はスタバには行きません。カフェよりは喫茶店派なものですから。

06/03/26(Sun)

最近知り合いが自宅で料理教室を始めまして、先日久しぶりに会ったのをいい事に、気になっていたことを根掘り葉掘り聞いてみました。彼女曰く、一番大変なのはレシピ作りなんだそうです。自分で作る時は、勘と経験で調味料は適当に放り込み、茹でたり炒めたりする時間も何となく決めるんだけど、他人に伝えるためには、それをキッチリ数字にしなきゃいけないのが大変だとのこと。そういえば、以前ケンタロウもインタビューで同じようなことを言ってましたっけ。料理を作るのは大好きだけど、レシピを作るのは大変だ、というような内容の受け答えをしてました。

そこで私の素直な疑問。そんなに細かいレシピが果たして役に立つのか?実際の料理の現場は、そんなに悠長じゃないです。コンロ2口&電子レンジが稼動している中、それを横目で監視しながら、マナイタで何かを刻むなんて、日常茶飯事。そんな状態の下で、醤油を大匙1ぱ〜い、2は〜い、なんて正直やってられません。ガッと入れて味をみて、足りなければバッと足すだけです(多過ぎたら諦めましょう)。まぁ、全く役に立っていないわけではなく、醤油大匙○杯・砂糖小匙○杯…という記述を見て、頭の中で味のイメージを組み立て、それに近づけようとする際の基準にすることはありますが、所詮その程度。実際に計ることはまずありません。その程度だったら、“醤油と砂糖を使って、ちょっと甘めに”などと書いておいてもらえばそれで済みます。

というような疑問を、現役料理教室主催人にぶつけてみたところ、“アナタみたいな人がいっぱいいたら、私は商売あがったり。”というお褒めの言葉を頂きました、わーい。料理教室をやっていると、信じられないような事を言う人がよくいるのだそうです。2人分のレシピを作って配ったら、後日電話があり、“うちは4人家族なので4人分のレシピを作って送ってくれませんか”と依頼された時は…。彼女の職業はそんな人からの月謝に支えられています。この職業、私は絶対やりませんね。

06/03/25(Sat)

妙にコッテリしたものが食べたくなったので、キャベツもあることだし、コッテリ野菜炒め。野菜炒めがコッテリかという議論はありますけど、うちでは炒め物は十分コッテリの部類なのです、その辺ヨロシク。具は春キャベツと、味噌汁用にと先日買ったシメジ、それに常備してある玉葱です。数ヶ月前に大家さんにすき焼き用の牛肉を貰って干しておいたので、その干し牛肉に日本酒を振りかけて、やや戻し気味にします。

定石だとまず干し肉を炒めて油に味を溶かしだしてから野菜となるのですが、それだとタダでさえ固い肉がますますカチカチになって勿体無いので、うちでは逆。野菜→肉の順番です。生肉と違って、そんなに真剣に火を通さなくてもいいので、これでも大丈夫。

フライパンを火にかけ、定石通りよく熱したら、油をひいて野菜投入。火の通りにくいものの順に、というのがセオリーなので、今回はキャベツ→玉葱→シメジの順番。とはいえ一人前を最強火でガンガンあおるので、あっという間に火が通ります。完全にクタッとなるまで炒めると不味いので、とにかく野菜の歯応えを残すように心がけるのが肝要。味付けは塩胡椒が定石なんですが、今回はなんとなく胡椒はパス。出来上がりに鍋肌に醤油を沿わせると香りがいいというのも通説ですが、これも今回はパス。とにかく最後まで、シンプルに塩だけ。

ただし、出来上がりにほんの少し胡麻油を垂らします。炒める時から使うと、香りが強過ぎてくどくなるのが嫌なので、この方法にしてます。最初は皿に盛って、ご飯と交互に食べているんですが、当然程なく、野菜炒めかけご飯となります。新鮮な春キャベツの甘味とシメジの香りがマッチして、たかが野菜炒め・されど野菜炒め。これなら、次は胡椒とラー油でパンチの利いた味にしてもいいかもしれないと思いました。ビギナーのための料理と思われがちな野菜炒めですが、どっこい侮れません。

06/03/24(Fri)

桜も咲き始め、気温も着実にあがってきて、季節は確実に春。春といえば、そう、春キャベツです。スーパーで大ぶりのものが一玉128円だったので、“チッ、98円じゃないのか…”などと不遜なことを思いつつ、それでも十分割安だったので、買ってきました。十分な大きさで、中身もギッシリ詰まっていたので、全然高くはないんですけどね。

とりあえず半分だけ処理することにして、半分は濡れ新聞紙とビニール袋に包んで冷蔵庫へ。今回は千切りにして塩でもみ、昆布と鷹の爪を混ぜ合わせて浅漬けとします。当初の予定では半玉全部浅漬けにしてしまうつもりだったのですが、中心付近があまりに柔らかくて甘そうなので、予定変更。こちらは千切りにしたものに軽く醤油をかけるだけで食べることに。

やっぱり春キャベツは甘くて美味いです。甘いといっても砂糖の甘さとは全然違い、野菜の持つ本来の甘さといいましょうか、こういう言い回しはウソ臭くて嫌いなんですが、でも本当に野菜の甘味。それが、醤油だけというシンプルな調理(?)で、一層引き立つように感じられます。千切りキャベツにはトンカツソースもいいですが、やっぱり醤油ですよ、醤油。

06/03/23(Thu)

最近すっかり餃子フィーバーで、その話題ばかり書いて飽きてきたので、他の話題をば。とはいえ、ちょっと関係あるのがやっぱりフィーバー。料理では“隠し味”と称して、意外なものをほんの少しだけ入れることが、よくあります。今回の餃子では、紹興酒が隠し味と呼べるかもしれません。でも私、この“隠し味”というのがあまり好きではないんです。

典型的にはカレー。バナナを入れると味がなめらかになるとか、インスタント珈琲を入れると苦味で味が締まるとか、色々な事が言われております。私も以前カレーに凝った時期があり、一通り試してみました。しかし、何かを入れて劇的に味がよくなるということはありませんでした。せいぜい、ちょっと味が変わったかなという程度。隠し味ゼロ、炒めた小麦粉とカレー粉だけで作るルー、具は肉と数種類の野菜のみ、味は塩だけで調節、私にとってはこれで十分でした。

何かをほんの少しだけ入れて、確かに味が良くなるのなら、私とてその“何か”には隠し味としての意味があると思います。しかし、シニカルな目で周囲を見ると、“これだけ沢山の‘隠し味’を入れたのだから、味わいが複雑になって美味しくなっているに違いない”と思い込んでいるだけのケースが、結構多いように思われます。思い込みで料理を食べると、客観的にその料理の味わいを判断し、課題を見つけ出し、次に料理を作る時に活かすという、料理の上達に必要不可欠なフィードバックの機能が失われるので非常に損だと、打算的な私は考えてしまうのです。微量とはいえ、隠し味に使う食材もタダではありませんしね。

06/03/22(Wed)

私が料理を作る際には、味は勿論大事ですが、どれくらいの手間がかかったのか&材料費はいくらかということも、それと同様に重視します。仕込みに三日かかるとても美味しい料理は、お金を貰って出す分にはいいですが、家で作る料理としては(うちでは)失格です。同様に、グラム1,000円超の牛肉を使えば、どう足掻いても美味い料理が出来ますが、これもダメ。では、最近マイ・ブームが巻き起こっている餃子はどうかというと、予想通り手間は結構かかるが材料費は激安です。

私は一回に小麦粉150gを使い、ミニ餃子を30個作りますが、これで中華料理屋さんの餃子約2皿分が出来ます。生地を小分けにするために打ち粉を多目に使うので、その分を20gとして、全部で170g。1kg100円の小麦粉を使っているので、粉代は17円。具は4個138円で買った玉葱1/3個を微塵切りにしてメインに据えますが、これが12円。ここに塩・胡椒・紹興酒・胡麻油・干し海老・干し肉・木耳・春雨が入りますが、どれも微量なので、上手く原価計算が出来ません。ものすごく多目に見積もって全部で100円とすると、ここまでで130円。一人前だとその半分の65円ということになります。ここにガス&水道代が加わって、66円ってところでしょうか。一皿450円で出す餃子は結構いい商売ということになります。

ただし、手間がメチャメチャかかります。生地を伸ばし、一個一個具を包む手間を考えると、私は450円ではこの餃子を売りたくありません。30個作るのに30分もかかっていたらダメダメです。慣れればもっと速くなるのでしょうが、今の効率だったら、とてもじゃないけど赤字。餃子はホント、手間賃なんですね。まぁこれは、外食全般に言えることですが。

06/03/21(Tue)

というわけで、今日のお昼も当然餃子なわけですが、先日初めて餃子用麺棒を使い、150gの粉で30個作ってみた感想をば。餃子用麺棒はウドンなどを作る時に使う麺棒よりもずっと小さく、せいぜい20cmほどの長さしかありません。そして、同じ麺棒ではありますが、使い方は似て非なるものと言っていいくらい、全く違います。それが私にとって、非常に新鮮な驚きでした。

一般的に考える麺棒の使い方に近いのはウドン用の方で、生地の上でコロコロと転がすことで、台と麺棒に挟まれた生地は薄く延びていきます。この際、当たり前ですが、両手は麺棒を持ってます。ところが、これが餃子用のとは全然違います。餃子用の麺棒は右手だけで持ち、基本的に生地のこちら側半分だけしか担当しません。向こう側は左手で引っぱって伸ばすことになります。つまり、餃子用麺棒は生地を伸ばす働きと、左手で引っぱるためにこっち側で生地を抑える働きという、二つの働きを一度にすることになるわけです。したがって、形は全く同じですが、やってることは全然違い、とっても面白い。

ウドンは結構打ってますんで、餃子の生地が麺棒を使うだけでどうして真円に近くなるのかが、不思議でしょうがなかったのです。しかし、タネを明かせば簡単で、餃子は左手と麺棒の二箇所で同時にに成形をしていくために、ウドンよりもより繊細な調整が可能だったのです。などと偉そうに書いてきましたが、当たり前のことながら、まだ全然上手く出来ておらず、10点(100点満点中)餃子の域は全く出ておりません。今日も修行です。

06/03/20(Mon)

ラジオで餃子自慢の男性の話を聞き、自分も作りたくなってしまった単純な私。手際よく皮を伸ばし、具を包んでサッと水餃子を作れると、めちゃくちゃカッコイイじゃないの、と思ったわけです。今までも、ウー・ウェンの料理本を手に入れ、かなり小麦粉料理は研究していたのですが、小さく小分けして一個一個具を包む餃子は、面倒だと敬遠していました。が、私の中で何かが変わりまし。餃子って、イイかもしんない。

というわけで、日曜日の午前中、愛車(自転車)に乗って百貨店の調理器具売り場に行き、餃子用麺棒(441円・税込み)を買ってきました。うちの台所は一応の完成形態をみていますので、調理器具を買うのは実に久しぶり。新鮮な気分です。

そんでもって、昼食に小麦粉150gを使って30個の餃子を作ったわけですが、結論から言うと自己採点10点。生地を伸ばす動作、具を包む動作が全くなっていないので、出来上がりが全然安定しません。まぁ、最初だからこんなもんだとは思っていたけど、本当にこんなもんです。ウドンや焼餅に挑戦する時も同様でしたが、小麦粉料理というのは他の料理に比べ、慣れと熟練の要素が非常に大きいです。四の五の考えるのではなく、手が規定の動きを勝手にやってくれるようにならないと、出来上がりが全く安定しません。餃子も多分同じ。手が前回の記憶を忘れないような間隔で20〜30回も作り続ければ、それなりに形になるでしょう。

休みの日の昼食に毎回餃子を作るとして、月に8回。とすると、三ヶ月も作り続ければ、24回の回数が稼げるので、それなりに上手くなるはず。しばらくは餃子修行の日々が続きそうです。ちなみに、最初に書いた餃子自慢の男性によると、最高の隠し味は健康飲料の“ゼナ”だそうですが、それは私だって取捨選択はします。

06/03/19(Sun)

私が働く職場には、小さな給湯室のような場所がありまして、そこの戸棚は誰も触れることのない魔窟と化しています。扉を開けると、いつのものだか分からないような食材(もどき)が無造作に突っ込んであり、誰も手を触れようとしません。先日、ふとそこを掃除しようと思い立ち、気持ちがノッているうちに中身を全部出してみました。

謎の食材が出てくるは出てくるは。何故だか分からないんですが、妙に調味料類が充実しておりまして、醤油・味醂・砂糖・塩・オリーブ油などなど。ただし、賞味期限が2000年6月などと、恐ろしいことになっています。あとは、お茶の類。こちらも当然とっくの昔に賞味期限切れ。食べかけのスナック菓子の袋をゴムでとめたまま、突っ込んであるものまで発掘されました。誰がやったか、大体分かるんですが…。

普通の人なら全部まとめてゴミ箱行きですが、当然私はそんなことしません。まず、スナック菓子は論外で、ゴミ箱直行。お茶もうちにはあり余っているので、ゴミ箱行き。他に欲しい人がいれば差し上げるのですが、そんな人がいるわけありません。醤油は王手メーカーの安い醤油で、元からダメダメなので、これも廃棄。しかし、残ったモノは私のモノです。

まず、砂糖と塩。これらは100年置いておいても腐らないものなので、当然ゲット。砂糖は空気中の水分を吸ってやや固化していますが、そんなの叩けば粉に戻るので、無問題。一応ボスにもお伺いを立てたのですが、5年前の調味料なんて気持ち悪くて誰も使わないので、合法的にゲット。味醂は、味醂風調味料ならゴミ箱直行でしたが、一応本味醂。色は市販のものの倍くらいまで濃くなっていますが、香りと味をチェックしたところ、十分使用に耐えると判断。ゲットです。問題はオリーブ油。酸化が進んでいれば即アウトですが、幸い冷暗所に保存されていたせいか、香りと味に問題はありません。底の方白く濁った沈殿物がたまっていますが、温めれば元に戻るので、無問題。使用済みてんぷら油のように、一度火を通してしまうと加速度的に酸化しますが、生のまま冷暗所に放置しておく分には、結構もつみたいです。

賞味期限なんて私にとってはあって無いようなもので、食えるor食えないの判断をする際の材料の一つに過ぎません。最も重要なのは味・香りによる自分の判断です。大丈夫と判断すれば、5年前の調味料だって平気で使います。ただ、やはり多少香りが飛んでいたりと、それなりの部分もあるので、そこは適材適所。新鮮なものとは違った使い方をすればいいだけの話。とまぁ、何だかんだ理屈をこねてきましたが、結局他人のものであっても、使えるモノを無為に捨ててしまうのは勿体無いと感じてしまう、私の貧乏性が全ての底にあるのは明らかですけどね。

06/03/18(Sat)

最近うまいこと言うなと思った言葉に、“土井義晴は料理界のブルジョワ”というのがあります。土井義晴は、戦後の超有名料理研究家である土井勝の息子で、最近色々なところでよく見かけるようになった、二代目料理研究家です。まぁ、ケンタロウみたいなもんですね。しかし、彼の紹介する料理はオーソドックスそのもの。昔っからの豚角煮や、昔っからのチラシ寿司などを、そのまんまオーソドックスに紹介します。パッと出の料理研究家がこれをやると、振り向いてももらえませんが、彼がやると本が売れる。

同じ二代目だから比べてしまいますが、ケンタロウはこれと反対。とにかくインパクトを追求し、ビジュアルにもこだわり、えっそんな方法があったの?というようなものを提案してきます。ケンタロウほど有名にならなくても、本屋やネット上に溢れる料理研究家が、重箱の隅をつつくようなテクニックをコピペして、何とか客をキャッチしようとしているのに対し、土井義晴は泰然自若そのもの。なにせ、豚角煮・チラシ寿司、ですからね。やっぱり彼は、ブルジョワです。

と、悪口めいたことを書いてしまいましたが、私はどちらの本も持っていません。ケンタロウは結構人気が高く、レシピ参考にしていますという声も高いですね。土井義晴は、たまに日経新聞で見開き料理教室を連載しているので読むのですが、お金を貰って出す料理屋さんの料理を、直球そのまんまで紹介しています。確かにそこまでやれば、美味いだろうけど、自宅で料理をすると、時間や費用などの縛りがあるので、なかなかそこまで出来ません。真面目に料理修行をしてみたいという人は、買ってみてもいいかもしれませんね。私のオススメは、今も昔も魚柄仁之輔ですが。

06/03/17(Fri)

喫茶店でお茶をしている時に、近くに座った常連とマスターの会話が聞こえてきました。その常連は私と同じ歳の男性。自宅では、どうやら全く料理をしない人らしく、炊飯器・包丁・ヤカンまでも、持っていないのだそうです。で、どうするかというと全て外食。家で作るものといえば、片手鍋でお湯を沸かして、カップヌードルくらい。お茶なんかモチロン沸かさずに、コンビニで調達します。

今まではそんな生活だったのが、数ヶ月前から一転。料理の得意な彼女ができ、彼女の家に転がり込んだので、食生活の環境は劇的に好転したようです。自宅にはもはや“帰る”のではなく、“行く”レベルだそうで、やや羨ましい。現在は自宅の家賃と光熱費の基本料金を無駄に払っている状況で、私だったらとっとと引き払って、一緒に暮らしてしまうのですが…。ただ、私がこれをやると、台所の縄張り争いで、喧嘩になってしまうような気がします。料理が全く出来なくても、リッチな食生活を実現できた彼。とはいえ、彼の立場になりたいとは、毛ほども思いません。それが何であれ、他人に全面的に依存する生活スタイルは、私の好みではないのです。

06/03/16(Thu)

帰宅の途中、これからの夕食の準備が面倒になってきて、今日は外食してしまおうかなと思うことがたまにあります。先日もそう。どうせ外食するなら、家ではまず作らない洋食系に行ってしまおうかと、店とメニューまで考え始めます。先日もそう。あの店で久しぶりにトンカツ定食を食べるのも悪くない、などと真剣に考えたところで、財布の中身が220円しかないということを思い出しました。家に帰れば補充できますが、一旦帰ってから出かけるのは、更に面倒臭い。というわけで、その日も自炊に落ち着く羽目に。

始めてしまうと、体が覚えた作業なので、どうってことなく食事にまでたどり着くのですが、こういう突発的な外食欲求は避けられません。その為に、必要以上の現金・クレジットカードは持たないというのは非常に有効だと思われます。デパートなど物欲満ち溢れる場所に行く時もそうですね。下手にすぐ買える状態で行くと、思わず衝動買いしてしまって、後で後悔することがあるので、敢えて買えない状態で行きます。買いたいものがあったら、金額を見て、銀行におろしに行くか、次の週にあらためて買いに来るか。

必要なものを買うことに吝かではありませんが、不要なものをその場の衝動で買うのは愚かだと考えます。その為に、お金はなるべく不便にしておいたほうがいい。クレジットカードやお財布ケータイと反対の考え方です。カード会社や携帯の会社は、は自分のところの儲けが第一です。利用者の利便性はその次であって、これを最優先項目にする会社はないのでは、と天邪鬼な私は考えてしまうのです。

06/03/15(Wed)

ずっと以前は風呂場で体を洗うのに、ナイロンの垢すりタオルを使っていたのですが、鎌○ヌ(カマワヌ)という所の粋な日本手拭を貰ったのをきっかけに、こちらに切り替えました。確かに垢の出はナイロンタオルの方がいいような気がしますが、無理やり垢を削り出しているような感じもあります。その点、日本手拭の方が肌に優しいような感じ。断言できないので、すごくあいまいな語尾になってます。

それに、ナイロンタオルは風呂場でしか使えませんが、手拭は一日中使えます。朝起きて顔を洗って拭く時は勿論、クルクルと丸めればハチマキにもなる。私は長髪ではないのですが、それでもハチマキをしていると気合が入るし、髪が鬱陶しいこともありません。こうやって初代手拭を使って倒して二年ほどになるでしょうか、元あった模様は全て流れて白晒し同然となり、先日ついに真ん中が裂けました。一枚布の手拭とはいえ、使い方によって場所ごとに傷み方が違い、うちの場合は端よりも真ん中の傷みが酷かったのです。両端を持って背中を洗ったりしていたからでしょうね。縫い合わせてもいいのですが、もう生地自体がへたってきているので、たとえ縫ってもそこからまた裂ける事は目に見えてます。

というわけで、この事態を予想して買っておいた二代目登場。波の模様の入った涼しげなものですが、どうせあっという間に真っ白になってしまうんですけどね。両端は断ちっ放しの方がかっこいいのですが、横糸がどんどんでてきて鬱陶しいので、折り返して縫ってしまいます。破れた初代だって勿論捨てません。端の方はまだまだ丈夫なので、とっておいて当て布に再利用。雑巾に加工してもいいんですが、現役の雑巾がまだ何年か頑張れそうなので、活躍の場が随分先になってしまいます。ホント、こういうのは捨てないんですよね、うち。

06/03/14(Tue)

近所のスーパーは、たまに挑戦的な食材を扱っていることがありまして、先日見つけたのは、今まで見たこともない“山茶茸”というキノコ。姿はエノキダケそのままですが、色は濃い茶色。日光の下で育てたエノキダケという風情です。但し書きによると、野生種に近いエノキダケらしく、1袋50円という値段なら失敗してもいいやという思いで買ってみました。

使い方はエノキダケと一緒でいいかなと、根元のオガクズがついている部分を切り落として、味噌汁に。こういうものは、火を通し過ぎると台無しになる場合が多いので、火を止めてから入れる味噌と同じタイミングで投入します。本日のほかの具は、ワカメと油揚げ。味は…結構いける。シャキシャキした歯応えといい香り。ただし、エノキダケとの違いがイマイチよく分かりません。確かに明らかに色は違うのですが、味や歯応えは一緒のような気がします。目隠しの上で口に入れられたら、多分分からない。要はエノキダケですね、コレ。

思い返すとこのスーパーでは、今まで何度かチャレンジ・キノコをしてきました。美味しかったのは野生に近いというナメコ。よく売られているものよりも随分大ぶりで、シメジくらいの大きさだったのですが、これはかなり美味かった。値段も安く、時々買ってます。反対に失敗したのは、タモギダケ。黄色いシメジという風情なのですが、私の趣味ではない香りで、とても受け付けなかったので、以後買ってません。新しい食材をみかけた時は、とりあえず買ってみるのが楽しいです。

06/03/13(Mon)

喫茶店で“貧乏サヴァラン”を読んでいると、“ミソジさんって森茉莉なんて読むんですね。”と意外そうに言われました。彼女にとって森茉莉は、女性が読むものというイメージがあったらしいですが、私は自分が面白いと思えば、何だって読みます。裏を見るとこの貧乏サヴァランは、1998年11月5日第4刷とありますから、もう十年近く前に買ったもの。昼間に本棚の整理をしていた時に見つけて、久しぶりに読み返していたのです。

この人は、偏執狂的に食べ物の描写が細かいです。あまりに描写がしつこいく、一気に読もうとすると嫌になるので、毎日少しずづ読むのが吉。ただ、少しずつ読みに最適な、寝る前の読書タイムにこれを読むと、お腹が減ってたまらなくなるという副作用があり、難しいところです。そんな中、昨日心に響いた一節

「贅沢貧乏」という小説を書いたことがある位、贅沢が好きな私である。私は上に赤のつく貧乏をしながら、その貧乏の中で贅沢をした。今私が、これこそ贅沢だと思うのは極上の越後米を薪で炊いたのと極上の焼き海苔(無論焼いて売っているのじゃない。それも表を中にして二枚重ねて、炭火で上手に炙ったもの)。それと、ソレイユ・ルヴァンのコンソメを、職人が、中に入れる塩の分量を、他の国の職人に漏らしたら死刑になるというパリのパンを千切りながら飲むことだ。

全く同感。贅沢というのは、意外にもこういうところに潜んでいるものだと、強く思います。

06/03/12(Sun)

日曜日の午前中は、恒例の部屋掃除。ここ一月ほど、法事があったり温泉に行ったりで、掃除ができない日があり、部屋全体にだらけたムードが漂っているので、ここは一発ガッチリ掃除して、気持ちを入れ替えます。最近すっかり暖かくなってきたので、掃除の際に窓を全開にできるのが嬉しいところ。世の中では花粉花粉と騒いでいますが、幸い私は無縁。一説によると、無防備に花粉を吸い込んでいると、ある一定量を超えたところで花粉症になるそうですが、それはそうなった時に考えることにします。鼻水もくしゃみも出ないのに、いちいち真剣に予防なんて考えてられません。四六時中、杉林の真ん中にいるわけでもないですしね。

うちはいわゆる1Kで、構成は1&K&UB。場所と電気を喰う掃除機は持っていないので、全ての場所にホウキと雑巾がけ。狭い家なので、何ほどのこともありません。これに窓拭き&布団干し&洗濯が加わって、一コース約2時間。FMかCDを聴きながら集中してやると、2時間なんてあっという間に終わってしまいます。よほどのことが無いかぎり、平日は掃除できませんが、それでも週末コンスタントにこの程度手を入れていると、部屋はかなり綺麗にキープできます。サッパリした心持で、午後はなじみの喫茶店へ。いつものどうってことない週末の一日になる予定です。

06/03/11(Sat)

友人の家で、料理持ち寄りのホームパーティーがあったので、行ってきました。私の考えでは、こういう集まりのキモはやっぱり料理。手作りのものならば、(たとえそれほどでもなくても一応)美味しいねと誉め、レシピを訊くなどして話題を盛り上げていくものだし、外で買ってきたものならば、“これ美味しいけどどこで買ったの?いくらくらい?”という風に話題をつなげていくものだと思っています。また、一応ホストはいるのですが、レストランじゃないんだから、後片付けなどはみんながそれぞれ協力するのが当然ではないでしょうか

ところが、10人ほどの集まりで、自作の料理を持ってきたのはたった一人だけ。あとの人は全員市販品なのだけど、それがことごとく千○田寿司、崎○軒のシュウマイ、山○のフランスパン…。みんなもう学生じゃないんだし、収入もそこそこあるんだから、何とかしようよと思う私。まぁ、それだけこのパーティーにかける意気込みが低いってことでもあるんですけどね。しかし、見切り品シールの貼られた惣菜を持ってきたオマエ、それはあんまりだと思うぞ。こんな雰囲気ですから、当然話題も盛り上がらず、つまらぬ事になってしまいました。

また、食後の片付け。特にヤロー共が全く働かない。勤勉な数人がみるからに働いているのに、テレビを見たりゲームをしたりだべったり。私は片付けの一人に加わって手を動かしながら、こんな雰囲気なら、晩婚化・少子化もしょうがないなぁと思いました。現代では女性も経済力が十分ありますから、わざわざこういう人たちと一緒に暮らそうとは思わないですよね。ましてや一応特別な場なのですから、空気を読んで適切に動いてほしいと思います。まぁ、外での飲み会ばかりを経験して、こういう席は経験が薄いのだとは思いますけどね。

06/03/10(Fri)

職場でベシベシと仕事をしていると、同僚(四十代後半女性)の母親(七十代後半)から彼女に電話がかかってきました。取り次いだ後、聞くともなしに聞いていると、母親に急用ができたので、肉と野菜を切って冷蔵庫に準備しておくから、すき焼きにして食べてほしいという用件のようでした。ところが、その同僚の返事に、私は心底ビックリ。“すき焼きなんていう‘難しいこと’は私にはできないので、冷めてもいいから野菜炒めにしておいて欲しい”とリクエストしていたのです。

今風で言うところの、“エーッ、マジっすか?”というやつです。肉も野菜も完璧に準備されているわけでしょ。それくらいやってくれる母親だから、割り下も調合してくれているか、市販のものが買ってあるか、どちらかに決まってます。すき焼き鍋にその割り下を入れ、具を煮ながら溶き卵で食べるだけでしょ。思わず“マジでそれ、難しいっすか?”と訊いてしまいそうになりました。

以前聞いた話によると、彼女の家では食事の準備は全て母親がやり、彼女は洗い物などを少し手伝う程度なのだそうです。四十代後半になって、実の母親が上げ膳据え膳してくれるなんて、なんて羨ましい環境なんでしょう。というか、彼女がここまで料理をできない原因は、何でもやってくれるその母親にあるんですけどね。そして本音を言うと、いくら外で仕事ができたとしても、こういうのちょっとミットモナイなぁと思うですよ。まぁ、彼女の場合は仕事も…(以下自粛)

06/03/09(Thu)

珍しく食欲がわかなかったので、昨日の夕食はいつもにもまして超シンプル。ワカメ&大根&油揚げの味噌汁、白菜のオヒタシ、ご飯。ご飯には大根おろしと鰹節をのせ、醤油をほんの少しかけてから混ぜて食べるサッパリ丼。これなら、よっぽど食欲がダメダメな時で無いかぎり、普通に食べられます。本当は、週に数度これくらいシンプルなメニューでもいいというか、こっちの方が体の為になると思っているんですが、根が食いしん坊なものですから、なかなかうまくいきません。

人並み以上の大食いを自認する私ですが、それでもここ数年、以前ほど食べなくてもいいようになりました。20代の頃はいくら食べても若さで消化吸収したのですが、最近はテキメン胃がもたれてしまいます。これは、節食を心がけよという天の声かとも思いますん。実際、少しお腹がすいているくらいの状態のほうが、頭もハッキリしますので、腹八分目に医者要らずというのは、本当だなと思います。

06/03/08(Wed)

相変わらず食卓常連のフキノトウ。食べていかないと傷むので、ここの所毎食、味噌汁の中にはフキノトウを刻んだのが入っています。それでも、一回に使える量は知れたものなので、全然減らない。先日作ったフキミソがもうすぐ無くなるので、そうなったら、残り全部まとめてフキミソ第二段にしてしまおうと思っています。

ところで、フキノトウをご飯に混ぜ込むプランは正直失敗でしたが、フキノトウの入った味噌汁のぶっかけ飯は、かなり美味しかったのが意外。味噌汁の実はフキノトウと人参という、極シンプルなもの。ご飯を丼に軽く盛り、鰹節を削ってまぶし、その上からドバッと味噌汁をかける。特に今回使ったのは金時人参だったので、赤と緑の色の対比もなかなか綺麗。

小さい頃は行儀が悪いといって、原則禁止されていた味噌汁かけご飯ですが、両親も禁止はしていながら、その美味しさは分かっていたような気がします。今では、たびたびにとは言いませんが、思い出した頃にやってみることがあります。ジャンクフードというか、ソウルフードというか、そういう雰囲気がありますね。

06/03/07(Tue)

最近妙に安いホウレンソウ。先日も一束50円で売っていたので、太っ腹で3束も買って来てしまいました。巷ではバターソテーやグラタンなどのレシピも人気のようですが、うちでホウレンソウといえばオヒタシ、これしかありません。

ホウレンソウは根元の部分が一番味が濃縮していて美味しいので、よほど傷んでいる場合を除いては、絶対にここは捨てません。あまりに太くて火が通りづらい場合は、四つに割るなどして適宜対応。沸騰したお湯に放り込んだらすぐに火を止め、1〜2分ほど放置するだけで、十分に火が通ります。外食ででてくるホウレンソウのオヒタシは、束の形のままで絞って筒に切り、立てて格好をつけていますが、あんなの自宅では不要。全部まとめて適当に絞り、適当にカットするだけ。そこに醤油ベースで多少甘めに味をつけ、最初に全部味をつけてしまいます。その方が、食べる時に面倒でないし、傷みづらくなるので好都合。

一緒に入れるものとして私が一番好きなのは、否応なく釜揚げちりめんなのですが、これを入れると傷みが一気に早くなるので、一度作ったら何日もかけて食べる、うちのような自炊スタイルには向きません。結果、鰹節かスリゴマの二択になります。スリゴマの時は、意識してやや甘めの味付けにすると、味が決まる気がします。というわけで、しばらくはホウレンソウのオヒタシ。どうやら栄養もあるらしいですね。

06/03/06(Mon)

半月ほど前、戻しに失敗して口の中がイガイガになり、丸一日酷い目に遭ったイモガラがもう一束残っていたので、リベンジしました。前回の教訓を活かし、今回は熱湯で戻します。ボウルの中に束ねてある紐を外したイモガラを入れ、熱湯を注いで待つこと半日。イモガラのイガイガ成分が熱湯に溶け出し、大丈夫になるであろうというプランです。

結果、濁った茶色という、とても食物からとは思えないような色のアク汁が大量に出てきました。念のため手にはビニール手袋を装着し、丁寧に水洗いした後、ザクザクと切って、前回同様、醤油・砂糖で炒り煮。結論:前回のようなイガイガはなく、食べるのに支障なし。ただ、戻りすぎて、やや歯応えが無くなってしまっていました。この点では、水で戻す方が失敗もなく、ずっと優れているんですが、イモガラの場合やむを得ません。自宅で食べる分には何の問題も無いレベルですが、外食でこれが出てきたら、ちょっとお金は払えませんレベル。熱湯での戻しはやっぱり難しいです。やりすぎるとヘナヘナになるし、足りないとイガイガ。

実家の母によると、同じイモガラでもかなり個体差があって、大丈夫なものは水で戻しても全然イガイガしないそうです。あと、個人差もあります。人によって、イガイガにすごく強い人、過敏な人がはっきり分かれます。私は、どちらかというと強い方なんだけど…。あれほどイガイガになったのは、生まれてはじめてでした。それよりは、多少ヘナヘナ過ぎる方がまだましか、と思ったりもします。

06/03/05(Sun)

それにつけても、今週は現金を使わない週であった。家計簿を見返してみると、火曜日に温泉から戻ってきてからこっち使ったのは、玉葱&ジャガイモ80円と週末の珈琲代600円だけなんですよね。最近実家からの仕送りが増えた&隣に住む大家さんからコンスタントに何か貰う&職場の同僚から面倒臭い(と彼らは思っている)食材が回ってくる、の三つが重なって、ここ一年ほど食費激安。

それに対して、喫茶店で飲む珈琲代は月平均で5,000円程度。スタバのような安いところで済ませば、もっと圧縮できるんだけど、珈琲は味よりもむしろ喫茶店の雰囲気に払っているお金なので、止められない。いや、珈琲を止めることは簡単なんです。実家に帰った時などは、近所に気に入った喫茶店が無いので、10日程度珈琲断ちをすることはザラですから。珈琲なんて大して栄養素が含まれているわけじゃなし、かえって胃が荒れる弊害の方が大きいくらいで、完全な嗜好品。止められないのはむしろ、喫茶店通い。いや、止める気なんてこれっぽっちも無いんですけどね。

喫茶店で、中国茶や紅茶を頼むという選択肢も、無くはないです。が、なじみの喫茶店に入る→いつものねーちゃん来る→(あえて“いつもの”と言わず)きちっと品名でオーダー出す→いつもの珈琲が来る→それを前に誰ともしゃべらずボーッと一時間、この流れが超至福。この流れを崩したくないんですよね〜。まぁ、見方によっては、単なる感傷に過ぎませんが。私、なじみの喫茶店ではあえて他の常連や店の人と殆どしゃべらないようにしてます。話しかけられればそれなりに対応しますが、最近は周りも分かってくれ、放置してくれるようになりました。それがまた良い。杖を突くような爺さんになっても、喫茶店には通っているような気がしますね、私。

06/03/04(Sat)

今日、仕事帰りのスーパーで見つけたのは、新じゃが一袋(12個入り)138円。しかし、それよりも私の目を惹いたのは、隅に置かれた新じゃが見切り品一袋(8個入り)50円。収穫の時についたと思われる、かなり派手な刃物の傷がありますが、鮮度は一緒。無論買います。ジャガイモと言えばポテトサラダ。しかしうちには玉葱のストックが無かったなと思いながら売り場を見渡すと、まさに渡りに舟。規格よりかなり小さめの玉葱が4個一袋に入って、見切り品扱い30円。無論、これも買います。

ジャガイモはタワシで洗うだけで皮は剥きません。新じゃがは皮も美味しい。傷に沿って包丁を入れると、傷で変色したところが切断面に出てきますので、ペティナイフで切除。あとは火が通りやすい大きさに切って、柔らかく茹でたら、マッシャーで潰します。玉葱は、スライスして味をみたらやや辛かったので、塩で揉んでから水洗い。先日実家からかっぱらってきたオリーブの瓶詰め(一年前に賞味期限切れ、毒見済み)を刻み、塩&胡椒と干し葡萄も入れてしまいます。

ポテトサラダにはパセリの香りが不可欠だと思っているので、ギャバンの乾燥パセリを多目に振り込み、オリーブ油と酢で味をつけて完成。本当は冷蔵庫で一晩寝かせてからが美味しいんだけど、そんな事言ってられませんから、すぐ食べます。やっぱり自家製ポテトサラダは超美味い。おまけに、調味料代を入れてもおそらく100円ちょっとで一週間分と激安。やっぱり見切り品は最高です。

06/03/03(Fri)

先日一杯100円の特価で買ったスルメイカを、開いて塩して軒下で一夜干しに加工しました。一杯全部を一食ではとても食べきれないので、今夜はゲソの半分とエンペラだけ。ゲソは短く切ったりせずに、そのままの形で網の上にのせ、強火で炙ります。ゲソの吸盤には円形の爪がついており、生もしくは生に近い状態で食べる時は外しますけど、一夜干しの時にはあえてこの爪はとりません。炙られた爪が、パリパリと美味い。

強火で炙っていると当然反ってきますんで、適宜ひっくり返しながら、全体がうっすらと赤みを帯び、所々が焦げ始めてきたら完成。長いままでは食べづらいので、ここで初めてキッチンバサミを使って、食べやすい長さにカットしていきます(焼く前に切ってしまうと、焼く時にひっくり返すのが面倒)。小皿に醤油をさし、それを身の味を邪魔しない程度にほんの少しずつ、つけながら食べると、一杯100円とは思えない贅沢な味。

キモは、一晩塩をして一回り小さくなったものをラップで包み、炊きあがったご飯を蒸らす際に、一緒に放り込みます。蒸らしが終わって取り出したらラップを外し、少しずつ箸でほぐしてご飯につけて食べると、これまた美味。イカは目玉と背骨(厳密には殻のなごりらしい)くらいしか捨てるところがなく、魚介類の中ではかなりエコな食材。オマケに今の時期はとっても安い。イカはいいですね〜。

06/03/02(Thu)

実家から送ってきた荷物の中に、今年二度目のフキノトウが入っていました。前回定番の蕗味噌を作り、まだまだ残っています。あと、フキノトウで作る料理と言えば天麩羅ですが、我が家では天麩羅はしないことにしているので、没。まぁ、食べ物なんだからどうやっても食べられるだろうということで、刻んで味噌汁&ご飯に入れてみました。

味噌汁の方は割と成功。今回は他の具が人参&油揚げという、比較的主張の穏やかなものだったので、上手くいったのかもしれません。それに、味噌汁ですから所詮フキミソのイトコみたいなもんです。味噌の香りの中に、ピリッとフキノトウの苦味がきいて、なかなかに美味でした。

でも、ご飯の方は正直失敗。炊きあがったご飯に、刻んだフキノトウを混ぜ込んだのですが、淡白そのもののご飯の中にフキノトウを入れると、あの苦味が勝ちすぎるようです。入れる量もかなり控え目にと気を遣ったのですが、それでも多すぎて、全体のバランスを崩してしまいました。かといってこれ以上少ないと、微妙すぎて入れる意味がなくなってしまうし…。まだまだ沢山あるフキノトウ。サテ、残りをどうやって使っていくか。癖の強い食材だけに、頭の使いどころです。

06/03/01(Wed)

日〜火の二泊三日で、北関東の温泉に遊びに行ってきました。そこがすごいんですよ。都内から電車で2時間、駅でバスの発車待ち1時間、バスで1時間半。うちからだとドア−ドアで何と6時間。関東なのに、飛行機に乗って実家に帰るよりもはるかに遠いんだから、笑ってしまいます。通るバスは一日2本だけ。旅館のある集落には、小さな食堂と売店が一店ずつ。

売店は、スナック類・お酒・台所用品が中心で、生鮮食料品は一切置いてありません。ふもとまでは結構距離があるので、どうするのかなと思って店の人に訊いてみると、各業者がトラックに野菜や魚などを積み、決まった曜日に売りに来るのだそうです。新聞は、バス停に村全体の大きな新聞受けが一つあり、そこに朝10時(!)に配達。各戸が自分でそこまでとりに来るシステムです。そのくせテレビは、山の上に集落の共同アンテナがバッチリ立っており、テレビ東京だって綺麗に見られると言うアンバランスっぷり。売店では手に入らないような生活用品は、ふもとの大きな市まで車で一時間かけて買いに行くそうです。

ここが同じ関東圏だと思うと、軽いカルチャーショックを受けてしまいました。自転車をちょっととばすだけで何でも手に入る、うちの辺りとはえらい違いです。でも、面白そう。1ヶ月ほどならこういう場所で、行商の生鮮食料品に身を任せ、ボーッとするのも悪くないかもしれません。毎日の生活を振り返ってみても、それほど突飛な物を買うことは滅多にありませんしね。ただ、ブロードバンドが無いのは辛い。もはや、ダイアルアップには戻れません。その辺、変に現代人ですね。

<<前<<   >>次>>

copyright by ミソジ since 2004/04/28
本サイトの無断利用は禁止デス。