2007年2月

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07/02/28(Wed)

一旦作った料理は、何日かにわたって食べ続けるのがうち流。先日この日記に書いた、鶏ムネ肉を保温調理したやつも例外ではありません。しかし、この品は味付けがシンプルなので、そこから他の料理に発展させることもできます。いわば、完成品と素材の中間といえるでしょう。

そんなわけで、今日は出かける前に小麦粉と食塩水を練り合わせてウドンの素を作り、濡れ布巾に包んで仕事に出かけました。帰ってきたら、何はともあれ寸胴を火にかけて強火。中の水が沸騰するまでに生地を練って・延ばして・切って、麺に仕立てます。茹でている間に、先日の鶏肉を薄切り→千切り。野菜は玉葱を使用。こちらはスライスして水に晒しておきます。

ウドンが茹であがったらザルにあげて水を切り、平皿に移します。その上に鶏肉と玉葱を美しくレイアウト。醤油・胡麻油をサーッと回しかけ、所々にラー油を垂らせば完成。名前は無いんですが、“シンプルな冷し中華をウドン麺でブッカケ風にしたやつ?”茹でたてのウドンのツルッとした喉ごしと、胡麻油の爽やかな香り、鶏肉の旨味で、あっという間にいくらでも食べられます。現に、市販のウドン玉にして二玉分ほどが、3分かからずに消えてしまったほど。茶漬け→ウドンときたので、明日はどうしましょうか。

07/02/27(Tue)

鶏のムネ肉を買ってくると、味醂醤油に漬け込んで、焼鳥にしてしまうのがうちの定番なのですが、たまにはサッパリしたものもいいべと思い、茹でてみました。しかし、元々パサパサしがちなムネ肉を、なんの捻りもなくそのまま茹でてしまうと、更にパサパサで美味くなくなるので、そこは一工夫。

鍋にムネ肉とヒタヒタになるくらいの水を入れ、やや塩辛くなるくらいの塩・酒・昆布と、隠し味のクコの実を少し投入して点火。沸騰したら弱火に落とし、アクをすくいながら1〜2分煮ます。ムネ肉は切らずに入れてあるので、当然こんな時間ではぜんぜん火は通りませんが、ここでコンロからおろし、目張りしてある段ボール箱の中へ入れて蓋をします。そのまま一時間ほど放置すれば、ゆっくりと火が通るので、パサつきが押さえられ、柔らかい味になります。一種の保温調理ですね。

茹で上がった鶏肉を薄くスライスし、それを更に千切り。そう、冷し中華についてくるあの鶏肉みたいにします。それを炊きたてのご飯を軽く盛った上にのせ、ワサビを添え、塩をパラパラとまぶしてから、緑茶を回しかけて鶏茶漬け。これは本当に美味い。モモ肉でやると、多分脂が邪魔をしてこうはなりません。ムネ肉だからこそ、成り立つサッパリ茶漬け。といっても、保温調理のために肉のパサつきも抑えられています。一旦仕込んだムネ肉は、茶漬けにせずとも、辛子をつけて食べても上品な味わいなので、飽きる事はありません。久しぶりに作りましたが、これはなかなかイイなぁと再認識しました。

07/02/26(Mon)

週末、味噌セットが届いた興奮と勢いをそのままに、仕込みをやってしまいます。前回に続き、今回は豆を煮る作業。出来上がり10kgの味噌に使う大豆は、うちのレシピだと約1.5kgになります。この数字だけ見ると、案外少ないじゃないかという感想を持つかもしれませんが、さにあらず。カラカラに乾燥した状態の大豆は、一晩水に漬けて十分に吸水させてから茹でなくてはいけません。大豆は水を吸うと2〜3倍に膨らみますので、それだけでも3〜4kgほどになり、更に茹でるための水を考えると、鍋の重さはそれだけで10kgほどになる計算。おまけに、大豆は茹でると大量の泡が出るので、鍋七分目程度でないとふきこぼれてしまいます。したがって、よっぽど大きい鍋でないと、やってられません。

一晩水に漬けたら、あとは火にかけて柔らかくなるまでじっくりと茹でるだけ。時間でいうと、3〜4時間といったところでしょうか。この時間の長さに恐れおののいて、味噌作りを断念してしまう人もいるそうですが、こんなの楽勝です。別にアクをすくう必要もないので、鍋が沸騰したら弱火に落として吹きこぼれないようにし、少しずらして蓋をかぶせ、あとは放置すればオッケー。さすがに家を離れるのはマズイですが、せっかくの週末なので、その間に掃除をしたり洗濯をしたりしていれば、あっという間に時間は経ってしまいます。DVDを1〜2本見ていてもいいかもしれません。あとは、仕込みを残すのみ。

味噌作りをはじめてから感じた事ですが、味噌の仕込みは簡単です。ちょっと考えてみると、誰が作ってもそこそこうまく出来るものでないと、こんな風に国民的調味料として普及したりはしません。必要なのは、やる気と時間と少しのお金、です。

07/02/25(Sun)

久しぶりに会う友達と、中華料理を食べにいきました。ここはラーメン・炒飯・餃子を主力とする、いわゆるラーメン屋ではなく、一品料理がメインの店。ざっと見た感じ、200種類以上のメニューがあって、どれも美味い。そして安い。お酒が無ければ、一人3,000円も食べれば、お腹が一杯になってしまいます。

この店に行く時に、私が座るのは決まってカウンター席。先日は、鍋を振るチーフ&下準備をするサブ×2&点心担当の女性の4人でしたが、いつものように、そのチームプレイが美しい。中でも昨日、私が注目したのはサブのうちの一人の、包丁捌きでした。例えばキュウリを千切りにする際、私だったら包丁をやや前方向に滑らせながら切るのですが、このサブの人は包丁を真下に落として切ります。だから、私に比べて2割方速い。

確かに道具の差はあります。彼が使っているのは重い中華包丁。私が使う軽い三徳包丁は、刃を前に滑らせた方が切れるのですが、中華包丁ならスナップを使って自重で切っていく事が出来ます。また、案外見落とされがちだけど重要なのが、マナイタの手入れ。マナイタはどうしても同じところを使いがちで、そうするとその部分が凹んできます。凹んだマナイタの上で物を切ると、そこがつながってしまうので、包丁を前にずらすことでそれを防ごうとする癖がついてしまいます。でも、キチンとマナイタを削って、常に水平をキープしていれば、こんな癖がつく余地は無いはず。無論、常に包丁をピカピカに研いでおく事は、大前提です。そして、道具の差以上に大きいのは、腕の差。

やっぱりプロの人とは、道具の手入れの仕方も違うなぁと、その鮮やかな手つきを見ながら感心することしきりでした。こなしている量が違うのだから、ああなれないのは当たり前。でも、そこから何かを学ぶ事ができれば、“美味しかった!”という以上の充実感があって、お得だと思います。

07/02/24(Sat)

冷蔵庫に突っ込んである干し肉が、そろそろ熟成1ヵ月。味噌の仕込みでテンションが上がってきたところで、こちらも処理してしまいます。こういうのは、ノリ・勢いが意外と重要。やり始めるとなんてことない作業ですが、日常的にやる事ではないので、ついダラダラと先に延ばしがちなのです。干し肉は、そのまま干してしまうとどんどん熟成が進んでしまうらしいので、それを止める意味で塩抜きをします。といっても、別に大した作業ではなく、ボウルに水を張って肉を放り込み、蛇口から水を少し出した状態で一晩放置するだけ。今まで水気を除いてきた肉を水の中に放り込むのは、一種のカタルシスですが、それはまた別の話。

一晩立ったら水からあげて、清潔な布巾(今どき、ペーパータオルの家が多いでしょうが)で水気を拭き取り、風通しが良くて直射日光が当たらない軒下に干して一ヶ月ほど待つだけ。風通しと日光は超重要。風通しが悪いと黴が発生するリスクが高まりますし、直射日光が長時間当たると、脂肪が酸化して味が落ちます。まぁ、売るものじゃないんで、多少の黴はその部分だけナイフで削いでしまえばいいんですけど、やっぱり無い方がベターです。

この一ヶ月間は、否が応でも天気予報に対して敏感になります。子供ができると妊婦さんに目がいくようになるという、アレと一緒。高確率で雨が予想される日は、予め冷蔵庫に避難させておかねばなりません。雨が当たると、黴発生のリスクがあります。とはいえ、私はもう何年も冬になると干し肉を仕込んでますが、明らかに失敗した事は一度もありません。これは私の技術が高いというより、作業の難易度が低いということなのでしょう。ただ、今年は気温が高いので、やや心配。まぁ、大丈夫だと思いますけどね。

07/02/23(Fri)

味噌作りセット一式到着。本当は、1月中に作っておいて、気温の低い時期を通してゆっくりと熟成させたかったんですけど、今年は何だかんだやる事があって、すっかり遅れてしまいました。味噌作りももう4〜5年目に入り、すっかり中堅味噌作ラーの域です。今回も例年同様、作るのは出来上がり重量で10kg。お値段は5千円+消費税、送料無料、郵便振込み手数料で、5,400円ほど。1kgあたりだと540円だから、手作りのあの美味さを考えると、激安といえるでしょう。第一、味噌の仕込って楽しいですし。この週末に、半日使って仕込もうと思ってます。

せっかくなので、何回かに引き伸ばして味噌作りを書こうと思っていますが、今日は道具。私は何ごとも形から入るところがあるので、道具は結構いい物をそろえています。熟成容器には、琺瑯のストッカー×2。豆を煮るために、個人用としては大きすぎるだろうと思われる、アルミの寸胴。スリコギ&すり鉢では豆を潰すのが大変すぎるために導入した、鋳物製のミンサー。この他にも木ベラなど細々したものはありますが、メインはこんな感じで、〆て約4万円。おまけに一番高かったミンサーは、この時しか使いません。いいんです、個人のお楽しみだから。でも、これでは一生味噌を作り続けないと、減価償却は出来ませんね。

ちなみにコレ、その気になれば、ずっと安く出来ます。熟成容器は、日光さえ当たらなければよいので、密封できるポリ容器で十分(タッパー可)。光は入らないほうがいいのですが、透明or半透明でも、冷暗所に突っ込んでおけば十分間に合います。鍋は、家にある鍋を総動員すれば、大きいのを買わなくても何とかなるかも…。でも、コレばっかりは一つの鍋で一回に茹でてしまった方が、簡単だし茹で上がりムラもないので、ベターだと思います。すりつぶしは、(かなりの)気合があればスリコギ&すり鉢でいけますし、ミンサーもプラスチックボディの安いやつなら、2,000円くらいで手に入ります。安くあげようと思ったら、5,000円くらいでいけるかも。味噌作りは、そんなに敷居の高いものではありません。味噌屋の手先ではないですが、宣伝。

07/02/22(Thu)

今日のご飯には、実家から送ってきた鮎の甘露煮を炊き込んでみることにしました。正直、甘露煮って鮎に限らす、そんなに美味いものじゃないと思うのです。砂糖と醤油ベッタリの味で、素材(今回の場合は鮎)の味なんて、はるか後の方に隠れてしまってますから。鮎だったら、釣れたてを単純に塩焼きにした方が絶対に美味いわけで、何でわざわざ面倒をかけて甘露煮にまでして味を落とすかというと、これはもう保存のためでしょう。昔は冷蔵庫や冷凍庫など無かったし、養殖によって一年中鮎が食べられるというわけでもありません。しかしシーズンには、その辺の人では食べきれないほどの鮎が獲れたはずです。そんな食べきれない鮎を、一年かけて食べるための手段の一つが、甘露煮だったのだと思います。

甘露煮についての考察は置いておいて、そのままでは味醂と醤油の香りしかしない甘露煮ですが、ご飯に炊き込んだり、煮物のダシに使ったりと、その濃厚な調味料を散らすと、鮎の香りがその奥から立ち昇ってきます。よって、炊き込みご飯にすると悪くありません。ただし、“鮎”ではなく“鮎の香り”を楽しむことになります。鮎の身を楽しめるほど入れてしまうと、ご飯としてはくどくて、イマイチになってしまいますから。量は本当に控え目。うちだと、3合のご飯に1匹の甘露煮で十分です。手順はいつもご飯を炊くときと一緒。ただし、水加減の時に鮎を小口切りにしていれておきます。

この手法は、甘露煮だったら何にでも応用が利いて便利。アサリ・蜆などの貝類、海老、海苔、何でもオッケー。特に貝類は、そのまま食べるよりも数段美味だと思います。以前は甘露煮を貰っても大して嬉しくありませんでしたが、今では大歓迎。冷蔵庫に放り込んでおけば、ほぼ無期限にもってしまうのもポイント高しです。

07/02/21(Wed)

自他共に認めるモッタイナガリな私ですから、飲んだ後の茶葉を捨てる時に、モッタイナイなぁと思わなくもありません。そんな人のために、日本には古くから、使用後の茶葉の有効利用法がいくつか伝えられています。1.箒をかける前にまいておくと、埃がたたない。これは結構本当です。しかし、うちは結構マメに掃除をしているので、茶葉の助力を得ずとも、埃がたって大変になるという事は、あまりありません。かえって、毎回茶葉を絞って保存しておく手間が面倒。

2.土に返す。これもかなり有効。ちゃんとやれば、いい肥料になると思います。でも残念、うちには土がない。3.食べる。過去に、揚げる・炒めるの二つの食べ方を耳にした事があります。面白半分で、炒めて食べてみた事があるのですが…、止めておいた方がイイです。食料が絶対的に足りない戦時中ならともかく、今の時代にやるもんじゃありません。

というわけで、現段階では全ての茶葉はゴミ箱直行となってます。エコな暮らしを追求すると、再利用できないものは多分ありませんが、再利用にはコストがかかります(このコストには、金銭だけでなく労力も含む)。何でもかんでも再利用せよというのは、正直面倒臭いし辛い。再利用の成果とコストを比較して、成果が上回ればやるというのが現在の私のスタンスです。茶葉に関しては、コストの方が上回ってます。

07/02/20(Tue)

ここ一年ほどで定着した習慣に、“朝起きてから、お茶を淹れて飲む”というのがあります。お茶の種類は色々。お茶は時々貰う事があり、一旦貰ってしまうと、小さな袋でも相当長持ちしてしまうので、種類は選べません。今飲んでいるのは玉露。後には、ほうじ茶二袋、紅茶二袋、フレーバーティー一袋が小さな袋で控えており、その後には、数年前に買ったプーアル茶の大袋が後詰してます。フレーバーティーは捨ててもいいかな…。

朝、お茶を淹れるという習慣の良いところは、自然と目を覚ます儀式の一環として組み込まれていくということです。私は形から入るところのある人間なので、朝起きて新聞を読みながら、淹れたお茶を飲むという形を習慣化すると、まだ眠い朝でも、それをすることで体が起きていく事をまで習慣化できて、なかなか好都合。鍋を火にかける→急須に茶葉を入れる→沸騰したお湯を注いで蓋をする→その間に(あれば)お茶請けを準備する、といった割とアクティブな行為が求められる分、新聞を読むだけよりも、目覚まし習慣としては、有効であると感じます。

それに、いつもの常として、お茶を使い切るというのがなかなかに快感です。実家や職場では、お茶を貰うと前のを使い切っていなくても、飲みたいという欲求が先に立ち、バンバン開封してしまうので、使いきれたためしがないのですが、一人だとその辺は完全にコントロールできます。100g程度の袋でも、使い切るには2ヶ月ほどかかりますから、使い切った時の気持ちよさはひとしおなのです。相変わらず、時代に逆行するライフスタイルですね。

07/02/19(Mon)

先日日記で“鶏は鶏皮”と書いたら、自己暗示にかかったが如く鶏皮を食べたくなったので、仕事帰りにマジックペンで大きく値段の下がった鶏皮を買ってきました。2kgの大袋を買って、まとめてした処理した後、小分けにして冷凍する事もあるのですが、今回は衝動的に食べたくなったので、普通の(?)パック。200gほどしか入っていません。

そのままだとグニュグニュして刻みにくいので、軽く熱湯を通してから細切り、半分は後日用として切らずに冷凍。朝出かける前にボウルに入れて戻しておいたイモガラは、たっぷりのお湯で下茹でしてから、3cmほどの食べやすい大きさにカット。フライパンに胡麻油をひき、鶏皮を炒めて油が滲み出てきたら、イモガラ投入。鷹の爪をアクセントにしつつ、味醂と醤油でコッテリ炒り煮にしました。鶏皮はあくまでダシとしてしか使っていないので、そんなにしつこい味にはなりません。スポンジ状のイモガラが、旨味を吸い込んでいい感じになっています。全体的に地味な色なので、見て美しい料理ではないですが、ご飯のお供としてはかなり優秀。

ちなみに、鶏皮の下茹でに使った、鶏の旨味の溶け出した熱湯は、そのまま味噌汁に転用。それを見越して、たっぷりの量ではなく、1人分の味噌汁に使う程度の量を使います。脂を抜くためだったら、たっぷりの熱湯じゃなきゃダメなんですけど、私の場合は単に火を通して包丁処理をしやすくするためなので、少しのお湯で十分。細切りにした鶏皮を少し避けておき、具として使えば、いい感じの田舎風味噌汁になります。具は、鶏にあわせて根菜類、大根と人参。いつもの鰹節ダシよりもぐっとコッテリして、ローテーションには入りませんが、ピンポイント登板にはいい感じです。

07/02/18(Sun)

今朝、新聞の土曜版を読んでいると、蕗味噌のレシピが載っていました。以下はその一部。“ふきのとうは2、3分ゆで、水にさらします。水気をしぼってから細かくきざみ、再度しぼります。”その後、味噌などの調味料と混ぜ合わせて、汁気がなくなるまで炒めるわけですが、これを読んだ私の第一印象は、“アクを抜きすぎじゃね?”でした。

最近スーパーで手に入るフキノトウは、ほぼ100%が栽培物で、うちの実家の裏庭に勝手に生息しているやつらに比べて、エグミは格段に少ないです。ただでさえエグミが少ないのに、茹で→晒し→第一絞り→第二絞りと、万全の体勢で処理してしまうと、エグミは激減してしまいます。フキノトウの味わいは、このエグミにあるといっても過言ではないので、そこまでやらんでも…というのが正直な感想。エグくて塩辛いから少ししか食べられないけれど、でも、そのエグミから春を感じるというのが、正しい蕗味噌の楽しみ方ではないのかなと思います。そもそもエグミは、甘味のように万人受けする味と違い、好きな人は好きだけど、嫌いな人は嫌いという、私のキャラクターのような味覚です。常に一定量の蕗のエグミを摂取していないと死んでしまうといった、特異体質でない限り、それほどまでエグミを避けるのなら、食べなきゃいいのにとすら感じてしまいました。

でも、こういうスタンスは最近始まったものかと思いきや、実は日本料理に従来からあるものなんですよね。例えば、伝統的な調理方法では、里芋を調理する際には、これでもかというくらい厚く皮を剥き、白さを保つために米の研ぎ汁で下茹でをし、ヌメリを徹底的に洗ってから、本調理となります。大根を煮る場合でも、最近の青首なんて抜くアクも無いだろうと思うのに、やはり米の研ぎ汁で下茹でをする事がデフォルト。私は基本的には伝統的な日本料理が好きですが、こういう所は、全く見習ってません。アクなんて、蕨などの抜かなきゃ食べられないくらいきつい食材の時だけ、抜けばいいと思います。かけなくてもいい一手間をかけるなんて、面倒なだけですから。

07/02/17(Sat)

ちょっと盛りの時期からずれてしまいましたが、日本の伝統食品に“餅”というのがあります。餅米をペッタンペッタン搗いて、餅状にしたもので(典型的なトートロジーですが、他に言い様が無い…)、割と大人気。最近は餅搗きも伝統的な臼と杵ではなく、餅つき機でやってしまうために、まかり間違ってその伝統的な光景を目にした日本人は、ほぼ間違いなく郷愁を誘われてしまうらしいです…が、どうも私は昔から、それほど餅が好きではありません。決して食べられないわけではないので、出されたら普通に食べます。でも、自分で買って食べるジャンルの食品ではありません。

先日、何だかまかり間違って、その伝統的なイベントの場に遭遇してしまったのですが、“あぁ何か搗いとるね”くらいにしか思いませんし、周囲が搗きたての餅を大喜びの様子で食べているのを横目で見ながら、“あぁ搗きたてやね”くらいにしか思いませんでした。その場で正直な感想を述べると、非国民扱いされかねないので、適当にあわせましたが、餅ねぇ…。窒息死のリスクを冒してまで、年寄りがチャレンジする気持ちが、サッパリ分かりません。

いや、米は好きなんですよ。ご飯大好き、パンなんて要りません、日本人なら米を食え。しかし、餅の良さは良く分かりません。とはいえ、こんな私でも小学校の頃は、味の無いご飯なんて何がいいんだろうと、日々ハンバーガーに憧れていたものですから、人間将来どう変わるかなんて分かったもんじゃありません。いまだ見ぬ、餅の良さが見えてくるかもしれないです。今のところは、かすかな兆しも見えないですけどね。

07/02/16(Fri)

さすがに二日連続で鶏の照り焼きは、ミソジの体にきついので、今日はサッパリと南蛮漬け。冷凍しなかった鶏肉が、一気に買った2kg中400g。その内で約1/3を鶏照り焼きとして消化。残った2/3は、今朝出かける前に一口大に切って、醤油・紹興酒などで適当にでっち上げたタレに漬けておきました。帰宅したらその鶏肉のタレをよく切り、片栗粉をまぶして、フライパンにやや多めにひいた油で揚げるというか炒めるというか、とにかく火を通します。

火が通る間に、手際よく野菜の準備。玉葱は歯ごたえを残すように、縦方向にスライスしてボウルへ。フライパンから熱々の鶏肉を直接ぶち込めば、多少火が通って甘味も出るだろうという算段。ブロッコリーは茎も含めて一口大に切り、熱湯で歯応えよくゆでておきます。鶏肉に火が通ったら、ぜ〜んぶ混ぜ合わせて味付け。醤油・酢をベースに、鷹の爪で辛味を加え、同僚から沖縄土産として貰った黒砂糖をナイフで削って隠し味。その辺にある調味料を、インスピレーションの赴くままに加えていき、何となくそれっぽい味になれば、完成。相変わらず、レシピ不明・厳密な再現不可の鶏の南蛮漬けです。

料理の醍醐味の一つは、このように絶対食べ切れないと思われる食材を、何種類にも上手く使いまわし、効率よく&美味しく&美しく消費し切る事にあります。一人暮らし用の小分けパックなんて、買ってられないですよ。

07/02/15(Thu)

何かこう、ガッツリ・コッテリしたものが食べたいなと思いながら、スーパーを歩いていると、鶏モモ肉の安売りに遭遇しました。2kgで980円。大多数の人は躊躇するでしょうが、私にとって1回に2kgの鶏肉を買うことなんざ、何の問題もありません。即購入。それでも私は熊じゃないんで、1回にこんな多量の肉は食べきれないので、全体を5つに分けてスーパーのレジ袋に入れ、空気を抜いて冷凍します。勿論、1袋だけは今回の料理用なので、冷凍庫行きからは除外。

鶏モモ肉でコッテリといえば、照り焼きと相場が決まっています。塩を振って10分ほど放置して味をしみこませてから、時間差攻撃で味醂&醤油をふりかけ、これまたしばらく放置。(塩を先に振ったほうが、味がしみこみやすい気がします。)あとは、フライパンで照りを付けながら焼くだけ。出来たて熱々を、炊き立てご飯をふわっとよそった茶碗にのせ、山椒の粉を少しふりかけ、今日の私の気分にピッタリの鶏照り焼き丼の完成です。毎日食べていると、胃腸がおかしくなりそうですが、たまに食べるとこういう料理は美味いですねぇ。鶏の脂と味醂醤油の甘じょっぱいタレがご飯に絡んで、何杯でもおかわりが出来そうです。

ちなみに、鶏皮は捨ててしまう人が結構いますが、鶏肉の美味しさは皮にあるので、捨てるなんてもってのほかです。何せ、焼鳥で一番美味いのは皮だし、北京ダックだって皮だけ食べるくらいなんですから。カロリーが気になって皮を外すようだったら、鶏そのものを食べないことです。鶏といえばまず皮ですよ、皮。

07/02/14(Wed)

人間、慣れというのは恐ろしいものです。季節が秋から冬にうつる頃、部屋に帰ってきて室温が15度くらいだと“ちょっと厚着して膝に膝掛けのせればいいや”くらいに思って、暖房はつけないこともありました。しかし、冬から春になろうとしている現在、部屋に帰ってきて室温が20度以下だと、何も考えずに暖房のスイッチを入れてしまう私。体が、暖房アリの環境に慣れてしまったのですね。

ちなみに夏場の私は、自宅では絶対に冷房を使わないと決めています。この部屋は、かなり風通しがいいので、窓を網戸にして扇風機を使えば、結構大丈夫。というか、冷房が快適なのはよく知ってますから、一度でも冷房を使うと、なし崩し的に常時冷房→冷房病で体調悪化、という、お約束ループをたどるのは目に見えています。それは、ぜひとも避けねばなりません。

それならば冬場も暖房無しでいいじゃないかと、極論も出来そうですが、暑いのは比較的大丈夫な私も、寒いのは全然ダメ。今年の冬は暖冬で、“地球環境がどうにかなっているんじゃないか”とい憂慮する市井の声も聞こえますが、ともかく私は、暖かい事だけで嬉しいのです。暖冬バンザイ。本当は、冬なんて無くていいよとすら思っていますから。

07/02/13(Tue)

生まれて初めて、晩白柚(バンペイユ)を食べる機会がありました。晩白柚はザボンの仲間で、ただでさえ大きなザボンよりも更に大型。熊本県八代市付近で、主に作られているそうです。先日私が食べたのは、バレーボールほどの大きさがあり、大きさとしては柑橘類というよりは、小玉スイカに近いです。構造はザボンと一緒で、表面に柑橘系特有のテカテカ皮で、その下には1cmほどもあるフワフワの綿状の皮があり、その更に下に甘皮に包まれた身が見つかります。皮を剥くのは、正直かなり大変。ナイフで綿状の皮の部分まで切れ込みを入れ、爪を突っ込んで力ずくで剥いていくのですが、平均的な女性の力ではちょっと無理かもしれないかなと思うほどの難物。

身の感じも、やはりザボンに近いと思います。ただし、これは個体差があるのかもしれませんが、私が食べたやつはジューシーさは皆無で、サッパリ。甘皮を剥いていても、果汁が出てこないので手が汚れる事はありません。柑橘系を食べているとたまに、妙に水分が抜けてしまった様な個体に出会う事がありますが、それがそのまま味になっている…という印象を受けました。ハッキリ書いてしまうと、自分で買ってまで食べたいと思うほど、すごく美味しいものではないです。一玉大体1,000円くらいで、“すご〜い、こんな大きなミカンがあるんだ”とか言いながらワイワイガヤガヤ盛り上がる、パーティー用果物としては最適でした。皮は砂糖菓子に加工して、それにも使えない部分は入浴剤として利用できるそうで、非常にエコな果物といえます。パンチの効いた土産物を、という時には最適でしょう。

07/02/12(Mon)

ずいぶん髪が伸びてきたので、行きつけの床屋に髪を切りに行ったら、“ミソジさん、確か料理するよね?”と言われ、フキノトウを貰いました。最近、あちこちで貰い物をしてばかりです。そして、今年初のフキノトウ。片手にのる程の量ですが、量を食べる食材ではないので、それでも十分。フキノトウといえば、天麩羅も有名ですが、一人暮らしでチビチビ食べようとおもったら、やっぱり蕗味噌。

手軽に作ろうと思ったら、塩振って絞ってからザク切りにし、味噌に混ぜ合わせるだけで十分です。現に昨年はそれで済ませてしまいましたし、フレッシュな香りは、火を通す蕗味噌に勝ります。でも、水分が出るからか、やっぱり足は速い。今年は、昨年ほど時間が逼迫していなかったので、普通の蕗味噌。ザク切りにしたフキノトウを、ごく少量の油でサッと炒め、味醂で緩めた味噌を加えて、好みの硬さになるまで弱火で水をとばせば完成。ただし、蕗味噌は冷めると固くなるので、それを計算に入れて火を止めなきゃいけない点だけを注意。砂糖を加えると食べ易くはなるのですが、オトナの味覚を自認する私はパス。胡桃を砕いて入れると、とっても美味しいんですが、買いに行く時間が無くて今回はそっちもパス。結果として、極めてオーソドックスな蕗味噌に落ち着きました。

で、これをどうやって食べるかというと、炊き立てご飯にちょっとのせて食す、これしかありません。外でどんなジャンルの料理も食べられる今日この頃ですが、案外こういう料理(?)こそ外食で調達が難しいのです。まだ二月上旬ですよ、でももうすぐ春ですね。

07/02/11(Sun)

職場に賞味期限切れのクッキーが少々残ってまして、クッキーの賞味期限なんてあって無い様なものだろうと信じて疑わない私は、平気でバリバリ食べるのですが、そんな私は明らかに少数派。大多数の人は、賞味期限を一週間も過ぎてるから…という理由で、トライしようとすらしません。まぁ、私がイヤシイのは事実ですが、プレーンなクッキーだったら、見た目や香りによっぽどの異常が感じられない限り、別に食べてしまっていいとおもうんです。ここんとこ、世間が賞味期限に敏感になってるというのをひしひしと感じます。

もちろん、賞味期限は完全に無視するというのではなく、あくまで目安。例えば、クリーム系のケーキの一週間オーバーは、いくら一見異常が見られなくともちょっと敬遠します。でも、基本的には自分の味覚・視覚・嗅覚を信じて勝負に出てもいいんじゃないでしょうか。負けてもどうせ、ちょっとおなかを壊すくらいで、死にゃしませんし。

また、一般論ですが、日頃自分で料理を作る人には、私の意見に賛同してくれる人が多く、ほとんど自分では料理を作らない人ほど、賞味期限を重視する傾向にあります。自分の感覚に頼って、何かをする経験が浅い事が原因かとおもわれますが、だからどうという事はありません。いざ勝負に負けたら、たまに自発的におなかを壊して、腸をリセットするのも良いですよというイイワケをあらかじめ用意しつつ、私は今日も私は果敢に賞味期限に立ち向かうのです。

07/02/10(Sat)

一応、料理好きという事は公言しているので、“どうしたら料理が上手くなるんですか?”系の質問を受ける事があります。この質問は大きく二つの場合に分かれます。一つは、本当に上手くなりたいと思って真剣に聞いてくる場合で、もう一つは、数ある話題の中で私に合わせて料理という分野をチョイスした結果として上の質問に至った場合です。無論、大多数を占めるのは後者。こういう相手には、本心から真剣に答えるよりも、当たり障り無く万人受けする答えを示した方が、結果として喜ばれることになるので、“オレ○ジページのような、初心者向けの本を買ってきて、美味しそうで自分が作れそうなものの中から選んで、作っていくといいよ”なんて答えるのが定石。でも、本心ではそんな事、全く思ってません。

本心から答えるとすると、“毎日同じものを作り続けることかな…”と答えることになります。モノは何でもいいんです。毎日食べ続けるわけだから、卵焼き・目玉焼き・味噌汁などがよろしいかと。毎日同じものを作り続けると、今日は上手く出来たか否か?というのが明らかになります。毎日同じ味噌汁を作り続けていれば、あれっ?今日はちょっと変だなとか、今日は妙に美味いぞ、とかすぐ分かります。そこからたどれば、あぁダシを変えるとこうなるんだとか、ダシを入れるタイミングを変えるとこうなるんだとか、実感として理解できます。これが、今日はポタージュ明日はボルシチという風に、毎日違うものを作ってしまうと、目新しさに感覚を奪われ、自分の中に比較の柱を作る事が難しくなるのです。料理に慣れて自分の中に確固たる柱が出来れば、何を作ってもいいですが、最初のうちは…ね。

そうやって、毎日同じものを作り続け、どうして今日のは昨日のと違うのか?と考え続ける事は、自分の中に急速に経験値として蓄積されていきます。コレ、料理の上達法としては非常に有効だと思います。でも、こんな事を言っても、説教臭いオヤジだなと思われるのがオチですから、本当に上手くなりたいと思って、真剣に訊いてくる人にしか、言いません。質問に答える極意とは、相手の欲する答えを与えることであって、自分が信じる答えを与えることではないのですよ、残念ながら。

07/02/09(Fri)

昨日は味噌汁だったんで、今日はご飯。うちでは、生粋の銀シャリを炊く事はまずありません。どうせ炊くんだったら色々入れてしまえという、変なケチ根性が出るのです。米3合に対して、約1/3合は押し麦&豆。豆は大豆・緑豆・ヒヨコ豆・レンズ豆など6種類の中からその日の気分で1〜数種類をチョイスします。最近では、大根の葉が大量にあったので、毎回が大根の菜っ葉飯。ご飯と味噌汁だけで、それなりに栄養が摂れてしまうのではないかと錯覚してしまいそうです。

それでも、毎回同じラインナップでは飽きるので、今回はふと目に入ったクコの実ご飯。クコの実は主に中華料理で使われる食材で、干し葡萄を2回り小さくして、色をやや薄くしたような感じ。口に含むと、一応甘いですが、干し葡萄ほど極端な甘さはありません。まぁ、甘いと言えば甘いかな?位のレベル。お粥などによく使われる食材なので、ご飯に入れても問題なかろうという強引なキッカケで入れてみました。でも、クコの実だけだとちょっと寂しいので、クコの実&押し麦でトライ。炊き方は、普通のご飯の時と全く変わりません。色は、一応クコの実の色を反映して、薄っすらと桜色。もう少し経ってから作ると、季節感溢れていいかもしれない、という色です。で、肝心の味ですが、ほんのりとした甘味がご飯とよくマッチしてグッド…と書ければ最高なんですが、そうでもなかったです。

不味くは無い。いや、普通に美味しいですが、別にクコの実が入っている必然性は感じられないね、というのが正直なところ。元々、そんなに主張する食材でもないですしねぇ。このように、たまにいつもと違う事をやってみたりもするのですが、これはイケル!ということで定着するのは、数十に一つあるかないか。失敗の方が多いのです。毎回成功するのなら、日々のネタに困ることもなかろうに。最後にクコの実の名誉のために言っておくと、目に良いらしいです。眼精疲労の際には、クコの実ご飯です、一応。

07/02/08(Thu)

女友達から、同居している彼氏(私と同年齢)が全く料理をせず、味噌汁すら作れないと愚痴を聞かされました。まぁこれは、半分は愚痴に偽装したノロケであって、“私の手料理じゃないと、彼氏はダメなのっ”という意味でもありますから、ほとんど親身にならずにスルー。まぁ、彼女が遅くなる日に、ちょっとした料理を一・二品作って待っていたりすると、かなり株が上がるかもしれんとは思いますが、どこで株を上げようとするかは人それぞれですから、仲良くなさるがよろしかろうという感じ。

で、うちの今日の味噌汁ですが、極めてオーソドックスに、油揚げ・大根・ワカメでした。味噌汁は、奇をてらわない王道のがよろしいよ。油揚げは1回分1/3枚ずつ切って冷凍しているやつを取り出してきて、細切り。大根は拍子。鍋に水・油揚げ・大根を入れ、沸騰したら火を止めて味噌を溶き、削り節とワカメを入れて蓋をして一呼吸で完成。ポイントは、削り節を最後に入れることです。ダシなので、つい最初に入れて味をつけようと考えがちですが、具は小さく薄く切っているので、いつ入れようが大差ありません。むしろ、香りが飛ばないように最後に入れたほうが良いかと思います。当然削り節は、本節をその場で鰹節削り器を使って削った削りたて。花カツオとは香りが違います。そして味噌は自家製。香り高いダシと味噌の香りに、実家から送ってきた自家製の大根。毎晩何気なく飲んでいる味噌汁ですが、外ではなかなかお目にかかれない高級品(?)なのです。

07/02/07(Wed)

大家さんと話をしていたら、人参を何本か萎びさせちゃって…と言うので、喜んで貰ってきました。萎びた人参は捨てるしかなさそうなもんですが、見方を変えれば超貴重。確かにしわしわで、一見とても食べられそうにはありませんが、組織が腐っているわけではなく、水が抜けただけなので、無問題。私の好きな干し野菜と思えば良いのです。少し大ぶりの人参だったので、半分にカットし、味噌タッパーの中に漬け込むこと三日。干す手間を省きつつ、人参の味噌漬けが完成です。

これを小さく刻み、漬け込んだ味噌と一緒に熱々のご飯にのせ、周囲からこれまた熱々のお茶を回しかけると、人参の味噌漬け茶漬け。捨てるとか言ってる場合じゃありません。魚柄仁之介の受け売りですが、冷蔵庫の隅で萎びている根菜類は、大体漬物向きです。漬物は、中に味を染み込ませる調味方法なので、新鮮でみずみずしい野菜よりも、萎びて中に水分の少なくなった野菜の方が適するのです。

せっかく作った味噌漬けなので、一部を大家さんに還元してあげたらえらい喜ばれまして、豚バラ肉(新品)を貰いました。これは、この豚バラ肉も味噌漬けにしろと言う事なんでしょうか?いずれにせよ、なかなかに嬉しい拡大再生産です。

07/02/06(Tue)

年末に貰った黒豆の瓶詰めを食べ切りました。入っていた広口瓶がなかなか使いやすそうだったので、シールを剥がして再利用することにして、ボウルに張った水に一晩漬けて剥がすことにしました。シールによっては、糊を残さずスルッと剥がれることもあるのですが、この黒豆のシールは難物で、表の製品名シールも、裏の品質表示シールも、全く剥がれやしません。剥がそうとすると、糊の部分がベッタリと瓶に残ってしまいます。

小さな事ですが、こういうのって腹立ちますね。世の中の趨勢は“ちきゅうにやさしく”なのですから、再利用しやすいように、シールも綺麗に剥がれるような仕様にしてほしいものです。まぁ、いくら糊が残ろうが、剥離スプレー使えばあっという間にとれるのですが、やっぱりこういうものは、水だけで剥がれてほしいです。その他の方法としては、爪で大まかに剥がした後、メラミンスポンジでこするというのがあります。こちらは“ちきゅうにやさしく”度としては剥離スプレーよりは上ですが、最上の策ではありません。やっぱり、水だけですよ、水だけ。

しかしながら、よく考えてみると、水だけでシールがスルッと剥がれるという事は、そのシール本体は一晩水に漬けておいても水で強度が落ちないという事なので、そんな不自然な紙は“ちきゅうにやさしく”無いのではないかという気もしてきます。まぁ、どっちでもいいや、シールがキレイに剥がれれば。

07/02/05(Mon)

思い返すと、料理を始めたのは小学校高学年の頃。両親が共稼ぎで忙しかったので、母が前もって買って冷蔵庫に入れておいた材料で作るようになったのが、最初です。最初のうちは、母が自分で作るつもりで買っておいたのですが、帰ってくるのが遅くなると、材料があるんだから自分で作ってしまえという流れ。で、よく作ったのが焼きソバと八宝菜。八宝菜なんて結構難しいじゃないかと思わせておいて、さにあらず。パックの中に、刻んだ野菜・肉・エビ・ウズラの卵&八宝菜の素が入っており、具を炒めて素を流し込めば完成という、まぁエセ料理ですね。焼きソバも一緒で、刻んだキャベツ・豚肉・麺&焼きソバソースが入っており、ごく簡単に作る事が出来ます。

私の料理は、最初はマニュアルの通り作っていた段階から、段々それに飽き足らなくなり、具を換装してみたり、素やソースに一味加えてみたりするようになり、そのうち最初から自分で作るようになるという進化をたどりました。なぜ急にこんな事を思い出したかというと、先日本屋で、最近よくある“定年後のおとーさんのための初級料理講座”みたいな本を見つけまして、パラパラとめくっていると、入門のオススメとして、このパック料理が挙げられていたのです。味付けは間違いようがないし、包丁も使わなくていいし、材料のロスも出ないというのがその理由。なるほど、小学校時代の私は、定年後のおとーさんみたいな事をしてたのねとシミジミ昔を思い出してしまいました。

ところでこのパック料理、私の住んでいる地域では全くといっていいほど見かけません。近所には、高級セレブ用〜庶民の見方派まで様々なスーパーがあるのですが、どの店でも取り扱いは無いようです。地域によってはバリバリ健在なようですが、何でこの辺では売ってないんでしょうねぇ。まぁ、あっても今更使いませんけどね。

07/02/04(Sun)

またリンゴを一箱貰ってしまいました…。一人暮らしの人間に、リンゴ一箱送ってくる親戚ってどうよ?とも思いますが、送ってくれるのはありがたい。山のような仕事をこなすコツは、遠くを見ないで目の前の仕事を淡々とこなしていくことですが、大量の食材を消費しきる時も、このコツは応用できます。勿論ミカンも山ほどあるので、1日のノルマはミカン5個・リンゴ1個。そりゃ、風邪もひきませんわね。それでも、毎日生リンゴでは飽きるだろうと思い、スライスした干しリンゴも作っているのですが、狭い東京の自宅では、もう干す場所がありません。というわけで、日頃ほとんど作ないお菓子系、リンゴのコンポートに挑戦。

使うリンゴは、ストックの中でも(私に)あまり人気がない王林。運送中に傷が入ってしまったものを優先して使います。皮を剥いて芯をとり、八つ割り→三等分で一口大にします。リンゴから出る水分の量も計算に入れ、ヒタヒタちょっと足りないくらいの水と赤ワイン(年末に、実家の死蔵品をかっぱらってきたもの)。砂糖は、本来ならグラニュー糖がベターなんでしょうけど、今使っているのが三温糖だから、これでいいやと投入。あくまで甘さ控え目なので、砂糖の量はリンゴの重さの10%にしました。ネット上では、レモンを入れるレシピが多いのですが、買いに行くのが面倒臭いのでパス。そのかわりといっては何ですが、アクセントとして干しブドウを投入。

王林は元々果肉が柔らかいので、ひと煮立ちしたらすぐに火を止め、余熱で火を通す感じ。粗熱がとれたら、冷蔵庫でよく冷やして召しあがってみます。感想:おぅ、目先が変わって良いではないかという感じ。朝、熱々の紅茶とこのリンゴのコンポートを畳の上に広げた新聞を読みながら召し上がる…。オシャレなようでオシャレじゃないこんな生活ってどうよという感じ。

07/02/03(Sat)

今の職場の給湯室のシンクには、水を張った洗い桶が置いてありまして、お茶や珈琲を飲んだ人は、とりあえずそこに漬けておき、たまったら気がついた人が洗うというシステムを採っています。こういうことに首を突っ込むと非常に面倒なので、私は表立った反対はしていないのですが、内心は大反対です。その水の中には珈琲やお茶の残りが溶け込んでいるわけで、本来ならほとんど汚れようのない、カップの外側まで汚れがついてしまいます。それを、洗剤を染みこませたスポンジで洗うというのは、いかにも二度手間な気がしてしまうし、なんだか清潔じゃない気がするんです。

ちなみに私は、妙に潔癖なところがあるので、赤の他人のカップと一緒に、マイ・カップが洗い桶の中に入るのは、言語道断嫌なので、その場で自分のカップだけさっさと洗ってしまってしまいます。ちなみにこのシステム、建前では“気がついた人が洗う”となっていますが、実質的に洗う人はほとんど決まってしまっており、洗わない人はカップを放り込むだけで、全くやりません。個人的には、こっちもかなり気に食わないのです。私の職場は、お茶に関しては全員がセルフサービスですので、偉かろうがヒラだろうが、使ったカップは自分で洗っとけと言いたい(言いませんが)。来客に出したやつは、さすがに客に洗えとは言えませんので、さげた人が洗えばよろし。トイレに入ったら誰だって自分で拭くでしょう。自分が汚したものは自分で片付ける、これが基本だと思うのです(言いませんが)。

07/02/02(Fri)

寒い間に、今年分の干し肉を仕込まなきゃなと思っているうちに、年が明けてしまってはや一月。マズイ、このままでは気温が高くなってしまうと焦っていたら、つい先日スーパーで、豚バラ塊肉の投げ売りを見つけました。1400gで750円…。あまりの安さに傷んでるんじゃないかと疑い、よく観察してみましたが、色は悪くないし、脂肪も充分ついているので、買ってきました。多少ドリップは出てしまっていますが、どうせ塩漬けにするのですから、全然問題ありません。というわけで、仕込んだのが一週間ほど前。

買ってきた豚バラ塊は、一個500g見当で大きく三つに切り分け、塩をすり込んで、肉から染み出す汁を毎日捨てながら、一週間ほど寝かせます。今、この段階。それが済んだら、一つずつラップに包み、冷蔵庫内で3週間ほど熟成。半日程流水で塩抜きをしてから、約1ヶ月かけてカチカチになるまで屋外で干して完成です。全工程通しだと2ヶ月ほどかかる計算になりますが、ほとんど放置しておくだけなので、手間ではありません。

塩をすり込んで一週間ほど寝かせた段階までなら、いわゆる塩豚というやつになり、そのまま焼いてもたいそう美味いですし、そこから更に味醂で溶いた味噌に漬け込んだりすると、美味さアップ。2ヶ月も悠長な事を言ってられないという向きには、こちらも激しくオススメです。日持ちも良好。豚でなく鶏でやっても、また違った美味さが楽しめます。私も、2年目くらいまではやっていたのですが、今ではカチカチに干した豚肉の方が好きになってしまったので、こちらは一旦停止。今度1400gで750円を見つけたら、やってもいいかなと思っています。さすがに、なかなかありませんけどね。

07/02/01(Thu)

台所や洗面台でお湯を使う際、蛇口を捻ってから水がお湯になるまで、少し時間差がありますが、あの間に出る水がものすごくモッタイナイ様な気がするんです。最近の給湯器は性能がとても良いので、インターバルも以前よりずっと短くはなりましたが、時間差ナシというわけにはいきません。これを有効利用しようと思うと、真っ先に思いつくのは、何かの容器に受けておいて、あとで水でも用が足りる時に使う、というやつです。しかし、毎回こまめに溜めておいて…というのはあまりにも面倒臭いので、いまだ実現していません。モッタイナイなぁと思いながら、毎回流すのみ。

以前、どこかの住宅関連雑誌で、“中水”という概念が紹介されていました。これは簡単に言うと、上水と下水の中間に位置する概念で、食器を洗った水や風呂の残り湯を一旦タンクに溜めておいて、トイレの流し水に使ってしまおうという考えです。なかなか素晴らしいいアイデアだと思います。水道水は飲もうと思えば飲めるほど、高度に浄化処理されているのに、それをトイレに流してしまうのはいかにもモッタイナイというところから、生まれたアイデアで、これを紹介した建築家の人は、実際自宅もそういうコンセプトで水周りを作っているようでした。こういうの、とても良いと思います。

日本は、世界でも有数の水資源に恵まれた国で、湿潤な気候もあいまって、毎日風呂に入るのが当たり前ですが(私も入ります、一応)、こういう国は世界でも少数派だと思います。そのおかげで、ついうっかり水を無駄遣いしがちですが、大事にしたいものです。まるで水道局の回し者のような事を書いてますね、私。

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