2007年3月

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07/03/31(Sat)

毎日の夕食の柱は、原則としてご飯&味噌汁なんですが、ちょっとコッテリしたものが食べたいなという日もあって、そういう時は炒飯にします。家庭用のコンロは業務用のものに比べて火力が弱いので、炒飯をパラッと仕上げるのはなかなか難しいのですが、私が会得した家庭用コンロで美味しい炒飯を作るコツ。

1.冷や飯を使うこと。炊き立てやレンジで温めたご飯では、ベチャッとしてうまくいきません。これは割と普通に知られてるかも。2.中華鍋を煽らないこと。プロの料理人の映像を見ていると、中華鍋をガンガン煽っている様が非常にカッコよく、つい憧れて真似をしてしまう(経験者談)のですが、火力のはるかに劣る家庭用コンロでこれをやると、中の温度がどんどん下がってしまいます。従って、中華鍋に置いたまま動かさず、ヘラで中をガンガンかき混ぜるのが正解。

3.具は最初に7割方炒めてから一旦取り出し、ご飯をほぼ炒め終わった段階で再投入すること。炒飯がベチャッとする原因は水気です。野菜からはどうしても水気が出やすいので、ご飯と一緒に長時間炒めると、野菜から出た水が悪影響を及ぼします。野菜は最後に混ぜ合わせるくらいがよろし。4.調味料の量は覚えておくこと。炒飯は時間との戦いです。家庭では毎回作る量はほぼ一緒なので、これくらいのご飯に対して塩・胡椒これくらいがベストという感覚を覚えておくと、大幅な時間短縮になります。勿論味見はするんですが。

最後に、よく紹介される技として、最初に中華鍋を徹底的に熱しておくというのがあります。でも、これはあんまり意味が無いと思います。中華鍋の鉄はとても薄いので、多少余分に熱しても、それで冷めにくくなるのは気持ち程度。かえって、ご飯が焦げやすくなったり油がはねたりと、トラブルの元です。中華鍋を熱するのは、ホドホドに。

というわけで、昨夜はコッテリしたものを食べたい炒飯デーでした。でも、カレー粉を入れるとむしろカレーピラフになってしまうんですよね。

07/03/30(Fri)

先日クーネルという雑誌を読んでまして、外国製のジャムの空き瓶をコップ代わりに使っている人の記事が出ていました。クーネルというのは、オシャレ&エコ雑誌ですから、ジャムの瓶とはいってもアヲハタの紙ラベルを貼ったやつではなく、外国製の見目麗しいやつではあります。それが、プロのカメラマンによって、計算し尽くした光・背景の中で撮られているので、写真を見ると悪くないかもと思ってしまいます。しかし、冷静に考えるとジャムの空き瓶をコップに使うのはどうなのか。

この人がこんな事をしている理由は二つ。1.身の回りのものは妥協せずに気に入るものが現われるまで探し続ける。“とりあえず”のモノは買わない。2.たとえそのモノがもともとなんであったとしても、それにとらわれず、ピッタリはまる用途があれば、そこに使う。このコンセプトには、私も諸手を挙げて賛成です。とりあえずと思って買ったカラーボックスが、10年以上部屋に居座り、そのうち愛着が出てきてしまって嫌だと思いながら捨てられなくなるなんていう事は、非常にありがち。だから、その点には妥協すべきではないとは思います。

しかし、ジャムの空き瓶をコップに使うのはどうなのか。たとえサイズがちょうど良いもので、唇への当たりも悪くないとしても、私ならジャムの空き瓶をコップに使っていると、ちょっと寂しい気持ちになるでしょう。コップなんて高くても1,000円以内で相当のものが買えますから、お気に入りの店を梯子して、100点とは言わなくても、70点くらいのものはすぐに見つけられそうです。これが、もっと高価な家具となれば話は変わってきますので、結局は程度の問題なんですけどね。

クーネルは結構好きで読んでますが、やり過ぎてあざとさを感じてしまう記事が時々あります。まぁ、この雑誌はロハス・ファンタジー雑誌だからと割り切ってしまえば、それまでなんですけどね。

07/03/29(Thu)

先日の話のちょっと続き。最近、お財布ケータイやSuicaをはじめとするクレジットカード決済を促進しようとするCMが、とても増えたような気がします。大体中身は似たり寄ったりで、小銭をジャラジャラいわせるのはカッコワルイ→かざすだけで決済とか、小銭を選んで払っていると時間がかかる→かざすだけで決済とか、そんな感じ。でも、私が知る限りでは、小銭で支払いをする事がカッコ悪いという感覚はありませんでした(100円払うのに、10円玉×10枚はどうかと思いますが)。これって、明らかにマスコミ・カード業界が一つの価値観を作り出そうとしていると感じます。テレビ・ラジオなどの媒体で、繰り返し小銭決済はスマートじゃない・時間がかかるといい続けていれば、5年後10年後にはその感覚はガッチリ定着するでしょう。特にそれを幼い頃から見て育った世代は、それが当たり前の価値観になると思います。

Suicaは、基本的には予めチャージをするカードなので少し違うのですが、クレジット決済の正体は借金です。今日のところは料金を一旦カード会社に支払ってもらい、それを後日、一括or分割で返済していくわけです。借金が全て悪だとは思いません。特に企業を運営する場合には、積極的に借金をした方が業績が伸びる場合が多くあります。しかし私は、個人の生活では原則として借金はすべきではないと考えてます。収入以上の生活をしようとすると、古今東西ロクな事はありません。現在のCMは、そのロクでもない事を助長している様な気がして、あんまりいい気持ちがしないのです。まぁ、日本の社会がそうでもしないと消費を伸ばせないほどの成熟段階に入ってしまったということなんでしょうけどね。

07/03/28(Wed)

私の人生のモットーの一つは、“無駄遣いをしない”という事なのですが、無駄遣い対策として一番有効なのは何といっても、“余計な現金・カードを持たない”これに尽きると思います。幸い私は職場と家が近いので、移動は自転車。したがって、職場に行く際も帰りにスーパーで食材を買うためのお金が財布に入っていれば、事足ります。一応のルールは、500円を切ったら1,000円札を一枚補充。そんなんで大丈夫かという友人がいますが、案外大丈夫。銀行のカードを持ち歩いているので、いざ大きなお金が必要になってもすぐに下ろせますし、自宅には現金を何万円か常備してありますので、最悪でも家に戻れば何とかなるのです。全くの不意打ちで○十万円以上のお金がその日のうちに必要になる事態なんて、そんなにありません(ヤバイ事しなければね)。

デパートなどの誘惑が多い場所を歩く際に、このスタイルはとても有効です。財布の中身は(論理的には)最大で1,499円。この金額で衝動買いできるものなど、限られています。したがって、“あっ、これ欲しい”と思った際には、他日に出直してくるか、その足で銀行のATMに行き、現金を下ろしてくる必要があります。この一拍の間をおいても買いたいとなれば、それは本物なので、いくらかかろうが買いますが、つまらない衝動買いの場合は、大体冷めます。

これ、実はカード決済をはじめとする“便利な決済”の反対のコンセプトなんです。今日本は本当に豊かになって、家にはモノが溢れています。その人々に更にモノを買わせるにはどうしたらいいか。それには大きく分けて二つ方法があります。一つはより魅力的なモノを作り出すこと。そしてもう一つは、お金を払う実感を薄くすること。現金で払う1万円と、カードで払う1万円。理屈では同じ価値ですが、実際は違います。だから私は、いつもニコニコ現金払い。ネット上の決済の必要からカードも持ってはいますが、年間通して決済額は3,000円程度。カード会社にとっては全く嬉しくない顧客を貫いています。

07/03/27(Tue)

昨日、家計簿は付けといたほうがいいと書いたのですが、うちの家計簿はどんなんだというと…。うちの家計簿の最大の特徴は、予算が無く、純粋に支出だけを記録していくということ。通常の家計簿というと、電気代・ガス代はそれぞれ月に5千円で…という風に決めますが、私は一切それをやりません。予算なんて決めたって、使う時は使うんだし、月末に予想外に支出が少なかった場合に、安心してドッと使ってしまったりしたら、元の木阿弥という感じがするのです。

そのかわり、支出の記録はかなりきちんとやります。一日の仕事が終わって家に帰ってきたら、必ず財布を開き、その日のレシートをパソコンの上に置きます。ポストに水道光熱費の領収書が入ってたらそれも。夕食・風呂が済んで、パソコンを開いたら、何はともあれまずその入力をやるのです。こういう入力仕事は溜めると絶対にダメ。逆に毎日少しずつ入力する事を習慣づけておけば、負担にはなりません。エクセルにダーッと入力していき、月末に水道光熱費・食費などに分けて、別シートに月別のをまとめて入力すればその月の分は完了。

その表を見て“ヤバイ今月は使いすぎた”とか思う事はありますが、思っても2秒ほどです。別にそれをもとに来月の目標を立てたりはしません。このオレ流家計簿のミソは、毎日必ず入力するという点です。レシートはその日のものですから、何を買ったかが具体的にアリアリと思い出されます。無駄なものを買った事を思い出しながら入力するのは、正直嫌なものです。その嫌な感じがとっても重要で、これを数ヶ月も続けていると、全く無駄遣いをしなくなります。自分の体重を毎日は買ってグラフにするダイエットというのが少し前にありましたが、原理はそれと一緒。とにかく記録するだけの家計簿、結構オススメです。

07/03/26(Mon)

以前ここでちょっと書きましたが、友人に大きな会社を辞め、某職人になるために修行している人がいまして、久しぶりに彼女に会う機会がありました。まぁ、予想された事態ではあるのですが、当然お金が無い。収入は会社員だった時の数分の一です。それでも、昼はバイトで最低限の生活費を稼ぎ、夜は終電ギリギリまで作業場に籠る生活。正直偉いなぁと思います。

しかし、彼女の生活の中でどうにも解せない事が一つ。金銭面が極度の丼勘定なのです。彼女の言葉を全部信じればの話ですが、家計簿は全くつけておらず、貯金の残高は把握しておらず、でも絶対に収支は赤と言うのです。多分彼女の中には、今月の収支は○○円の赤という風に、キッチリと数字が出てしまうことへの怖れがあるのだと思います。こういう人、結構多いんじゃないかな。でも、こういう風に金銭的に困っているときほど、きちんと収支を管理して、数字を目に見える形で表していった方がいいとおもいます。

彼女の生活を具体的に聞いていると、私から見れば、そんなに困っているのならそこは削れば?とおもわれるところが沢山ありました。無論、削るだけでは寂しくツマラナイ毎日になってしまいますが、何を削り何を残すのかを、把握したデータを基に判断していかないと、日々の生活が成り立たなくなってしまいます。ざっとで良いから、家計簿をつけたほうが良いよと言ってはみたのですが、やらないだろうなぁ。

07/03/25(Sun)

“炊き立てのご飯は美味い”というフレーズは、もはや定型句化しています。しかし、ご飯大好き人間としては、ちょっと待てと思うですよ。確かに、炊き立てのご飯が美味いのは事実ですが、一番美味いタイミングではないと感じます。一番美味いのはズバリ、朝炊いたご飯を弁当に詰め、昼間にご飯の温度が室温まで自然に下がったタイミングです、絶対。その冷やご飯ををあえてレンジで温めなおさずに食す、これ最強。

私は決して猫舌ではないですが、熱々の時よりは室温に冷めた時の方が、ご飯の味をじっくりと吟味できます。更に、熱々の際にサラッとしていたご飯粒も、冷めてくると粘り気が強くなり、粒自体の弾力も高くなってきます。これが、ご飯を一番美味く食べられるタイミングです。うちでは一度に3合のご飯を炊き、1日2食のペースで1日半かけてそれを食べ切ります。ですので、一番美味いのは昼・夜・昼のパターンの際の、最初の昼ご飯。次が、夜・昼・夜の最初の夜のパターン(いわゆる炊き立て)となります。一旦冷蔵・冷凍してしまうとグッと味が落ちるので、毎回炊いた方がいいには決まっているのですが、毎回1号ずつ炊くのはちょっと非現実的ですから、ここは妥協。

また、最近ではご飯は味がないものとしてフリカケや佃煮などを添える事が標準となっている風潮がありますが、大変嘆かわしいことです。素のご飯を美味いと思えてこそ、オトナの階段を一歩上がったという事が出来るでしょう。まぁ、そんな私自身が中学生くらいまで、ご飯は味がないからパンの方がいい、なんて思ってましたから、他人の事は言えませんけどね。

07/03/24(Sat)

先日また、95円で春キャベツを一玉買ったんです。今日同じ店の前を通りかかると、同じ位の大きさの春キャベツが、一玉148円で売られていました。嬉しかったですね〜。自分自身の器の小ささも実感しましたが。これが仮に、ほんの少しでも安く、例えば88円で売られていたりすると、ものすごく悔しいんです。最後の一個を手に入れたときもけっこう嬉しいですね。ラスト・ワンというのは、何となくいい響きです。ただし、最後の一個というのに目を眩まされ、欲しくもないのに買ってしまうのだけには注意しなきゃいけませんが。でも、こういうのって案外誰にでもあるんじゃないでしょうか。

07/03/23(Fri)

今時、携帯電話を持っていないと、“待ち合わせに不便なんだよ”と文句を言われることが多いです。“私は何にも不便を感じていないので、そんなに不便なら、費用一切合切そっち持ちで、私に携帯を持たせたらどうだね”と提案したのですが、アッサリ却下。言うほど不便を感じているわけでもなさそうです。

まぁ、それはともかくとして、携帯電話を持たない側としては、携帯が普及して以来、待ち合わせが非常にルーズになってしまったと感じます。そりゃそうですよ、遅れそうなら携帯に連絡を入れ、○○分遅れるからとすぐに相手に伝えられるので、時間厳守の必要はあまりありません。いつもそんな待ち合わせをしている人が、たまに携帯を持たない奴と待ち合わせると、さぁ大変。間際になって時間変更を連絡しようと思ったら、“そうだ、あいつは携帯を持ってないんだった”となるわけです。

携帯を持たない立場からすると、一旦時間と場所を決めたら、最低限その時間にはその場所にいなきゃダメね。理想では5分前到着。ところが、最近ますます携帯に頼った、時間にルーズな人が増えてしまってねぇ。私が携帯を持てば済む話かもしれませんが、その事は棚に上げておいて、やっぱり時間厳守は大事だと思うのです。たかが時間を守らないくらいで、評価を下げられてもつまらないでしょうに。

07/03/22(Thu)

春キャベツを一玉95円の破格でゲットしてご機嫌な夜。マリネにすることにしました。外側から7〜8枚、葉をベリベリと剥き、ステンレスのボウルに沸かしたお湯でやや固めに茹でます。それを2〜3枚重ねてくるっと巻き、端から本気の千切り。ギュッと絞ったら、塩とオリーブ油であえて完成。いつもなら酢を加えるのが定番なのですが、春キャベツの甘味を前に出したかったので、今回は入れませんでした。この春キャベツのマリネが、甘くて美味しいのですよ(笑)。

料理の味付けの方法には、大きく分けて足し算と引き算があります。ラーメンのスープなんかが、足し算の代表例。豚骨・鶏ガラ・野菜屑など、とにかく大量の味の要素をぶち込み、そのハーモニーを楽しむやり方。引き算というのはその逆で、例えばトマトに塩振って食べるというやつ。私は勿論引き算の方が好きなのですが、世の中の趨勢は圧倒的に足し算です。

世の中に、“素材の旨味を生かした調理をしましょう”と謳っているレシピ本は山ほどありますが、どれも“信念の表明”レベルにとどまっており、私が読んだ中で具体的な方法論にまで言及しているのは野崎洋光くらいです。実際に私も、常に“素材の旨味・素材の旨味”と念じていながら、実際にキャベツの甘味を自覚したのはここ数年に過ぎません。だから偉そうな事は書けませんが、本当に引き算の料理を実践している人は、結構少ないんじゃないかな。足し算の料理の癖が染み付いているので、調味料の種類を削るのは、何となく不安なのです。それでも、なかなか良いですよ、引き算。調味料代も浮きますしね。

07/03/21(Wed)

親戚からデコポンを貰いました。デコポンというのはポンカンの一種でヘタの所がポコッと盛り上がっているために、この名前がついています。このデコポンが、非常に甘かったのです。もうね、私の人生史上最大級に甘いミカンと言っていいくらい甘い。しかし…甘過ぎる。

野菜もそうですが特に果物に関して、“甘い”という事が重視され過ぎているのではないかと思います。高級スーパーならともかく、普通のスーパーで売っているスイカのプレートに、糖度○○度とか書かれているのを見ると、ちょっと首を傾げてしまいます。糖度というのは、果物の味を決める要素の一つではありますが、糖度だけで味が決まるわけではありません。酸味とか香りとか、他にも要素はあるわけで、その中で甘さだけが突出していると、バランスが崩れて不自然に感じてしまうのです。

この事をとてもよく感じるのが、フルーツトマト。確かに甘くて美味しいですが、あれはもはや、トマトではない気がします。トマトというのは、あの酸味と青臭い香りの奥にほんのり甘味があるからトマトなのですよ。今回のデコポンもそれと似た感じです。確かにこの甘さの背後に、生産農家の血のにじむ努力がある事は確かです。確かですが、単に“甘いだけ”になってしまっているのが残念。そんなに甘いのが好きなら、砂糖でも舐めとけと毒づいたりはしませんが、“この○○甘くて美味しい〜”というコメントを聞くたびに、違和感を覚えてしまう私です。

07/03/20(Tue)

湯たんぽを作ろうとコンロでお湯を沸かしている時に、これってすごく便利でありがたいことだよなと感じました。以前だったら井戸から水をくみ、かまどに火を焚いてやっていた作業が、今では水道の蛇口をひねり、コンロに点火するだけで済んでしまいます。更に恐ろしいことには、うちは現代人の中では手間をかけているほうで、大多数の家庭では、電気アンカやエアコンのタイマーをセットするだけでオッケー。

文明の本質って、案外こういう所にあるんじゃないかという気がします。それまで手間のかかっていた作業を、どんどん自動化して時間・労力を節約し、自由時間を増やすこと。いわゆるスロウライフを本格的にやろうとすればするほど、生活構築のために必要な時間はどんどん増えていきます。その作業自体を楽しんでやっていれば問題無いんですが、毎日毎日延々と続くことですので、大多数の人にはなかなか辛い。世の中の趨勢が、どんどん便利な方へと移ってきたのは当然です。

ただ、こうやって自由になった時間を有意義に使えているかというと別問題。私なんて、しょうも無いことで日々を浪費してばかりです。そんなに自由な時間が増えてもやる事が無いから、スロウライフ寄りの生活を楽しんでいるという風に言える面もあります。この便利さをもっと使いこなせればいいんですけどねぇ。

07/03/19(Mon)

閉店後の喫茶店で、他の常連客やマスター達とワイワイ馬鹿話に興じている際に、昆虫食の話になりました。日本での代表的な昆虫食といえば、長野周辺のイナゴやハチの幼虫になります。この辺の食材は、そのイメージからか非常に敷居が高く、ダメな人は絶対にダメ。話していた中では、意外にも(?)女性陣は割と平気。キャーキャー言って拒絶する人も勿論いるのですが、美味しければ…と意に介さない他人の方が多かったです。むしろ、男性の方にイナゴやハチの子はちょっと…というのが多数派。

私はというと、無論美味しければ何でもオッケーです。最近もやっているのかどうか知りませんが、私が子供の頃はテレビで“世界の奇食・ゲテモノ食い”みたいな番組が時々流れてました。考えてみると、これは失礼なことです。豚の頭をNGとするか、鯛の活造りをNGとするかは、単に食文化の違いだけで、どちらが正統でどちらが邪道かなんてありゃしませんから。だから私は、美味しく料理されたものなら基本的に何でもいただきます。

ただし、何ごとにも例外はあって、想像するだけで無理という食材もいくつかあります。例えば、ベトナムのヒヨコになりかけた卵。美味しいかもしれませんが、私には絶対無理。あとは、小泉武夫氏が紹介していた、アラスカの保存食。ある種の海鳥をアザラシの腹に詰め込んで土に埋め、数年間醗酵させたもので、ドロドロになった肉を、肛門に口を当てて吸って食べるそうなのですが、聞くだけで絶対無理。まぁ、この辺になるとさすがに許してもらえるとは思います。

07/03/18(Sun)

先日の続きで、ゴミをザックリ捨てる場合について。ゴミだゴミだとはいいますが、そのうちでかなりのものが、多かれ少なかれ、手を加えれば何かに使えるものだったりします。小さな所ではレシートや裏が白い新聞広告。メモ帳や裏紙として再利用可能です。でも、現在の私の生活では、本気でこれらをメモ帳や裏紙として再生していると、供給が需要を完全に上回ってしまいます。必要量以上のメモ帳・裏紙をせっせと作るのは、労力の無駄。それから例えば実家の母は、新聞広告を箱に折り、居間で出たミカンの皮などのちょっとしたゴミを入れてそのまま捨てるのに使っています。でも私からすれば、そんなのはゴミ箱に直接放り込めばよいだけの話で、仮にミカンの皮のような生ゴミを別に捨てたいのなら、暫時小皿にとっておけばいいのではと思ってしまうのです。

つまり、ゴミを増やしたくないという意識が強過ぎて、余計な労力をかけ、自己満足に陥るのは嫌ってことです。それだったら、思い切りよくバッサリ捨ててしまった方がまだマシという思考方法。でも、何かを捨てるのは捨てるのは、基本的にはモッタイナイことなので、嫌なのです。嫌だから、何かを買う時にはよ〜く考えて、それが本当に今の自分に必要なものかどうかを検討します。つまり、どうやって工夫しても再利用できないものと、必要以上の労力をかけないと再利用できないものが、私にとってのゴミって事で、一旦ゴミと判断したら、たとえそれが長年使ってきたものであっても、結構容赦なく捨ててしまいます。モノは、決断して捨てるよりも、大事にとっておく方が、実はずっと簡単なんですよね。

07/03/17(Sat)

たまに郵便受けに区のお知らせが入ってまして、今回は“みんなの環境を守るためにゴミを減らしましょう”というチラシが入ってました。うちはかなりゴミが少ない(一回にコンビニの最小ゴミ袋一袋程度)ですが、私はこういう考え方をした事はありません。私は極めて実利主義的な人間なので、基本的には何らかの利がないと動きません。ゴミが減る→ゴミ収集の予算が減る→税金が減る→happyとか、ゴミが減る→埋め立て地の負担が減る→自然環境が守られるとかはあるかもしれませんが、あまりに遠くて私の想像力の範囲外です。したがって、こういう考え方はしません。

考えるのは、もっとミクロな利。ゴミに出すという事は、そのゴミの持つ“もしかしたら何かに使えるかもしれない可能性”を完全に断ち切ることでもあります。少し工夫したら美味しく食べられるかもしれないとか、裏紙として使えるかもしれないとか。そういう可能性のあるものを、何も考えずにスパッと捨ててしまう事は、私には出来ません。ですんで、何かをゴミ箱に放り込む前には、よ〜く考えます。少し前に新聞で、ゴミを減らす方法としてゴミ箱を小さくするというのが載っていました。ゴミ箱を小さくするという事は、捨てる前によく考えなければいけなくするということなので、方向性は私と同じです。ただし私は、使える可能性がアリアリなものでも、ザックリ捨ててしまう場合があります。長くなりそうなので、これはまた明日。

こういうことをハッキリ書くと顰蹙かもしれませんが、私は社会を良くしようとか、そういう壮大なことには興味が無いのです。自分の周囲が快適ならばそれで良し。そういう人が集まって、住み良い社会になるのが理想だと思っているのですが、まぁなかなか難しいでしょうね。

07/03/16(Fri)

朝家を出る前に、鶏肉の保温調理を仕込みました。片手鍋に紹興酒・塩・クコの実とムネ肉を入れ、水から点火。沸騰したら2〜3分ほどアクをとりながら煮て、サッサと目張りした段ボール箱に入れておきます。こうしておけば、夜家に帰ってきた頃にはフワッと軟らかく煮えているという寸法。で、実際に帰宅して鍋の中の煮汁と鶏肉をタッパーに移すと、鍋肌に鶏肉から出たゼラチンで出来た煮凝りが、薄く張り付いていました。骨付き肉などを使うと、もっと派手にできるのですが、今回は主に鶏皮から出たゼラチンなので、微々たるもの。しかし、これを鍋の汚れととるか、鶏肉のエキスととるかは発想の違い。無論、私は後者です。

鍋は洗わずに再度水を張り、大根とワカメで味噌汁を作ってしまいます。こうすれば、わざわざ張り付いたゼラチンを掃除しなくて済むし、その晩は鶏の風味の味噌汁が食べられて一石二鳥。ゼラチンは温度を上げると溶けるので、味噌汁を作るとその中に全部キレイに溶けてしまうのです。こんなの当然行き当たりバッタリですが、そこから新しい発想が生まれることもあります。喰えるものなら、鍋肌にこびりついたゼラチンも喰う。エコだけどオシャレじゃないので、他人には勧められませんね。

07/03/15(Thu)

今年は2月がやたらと暖かかったので、早々と湯たんぽを片付けていたのですが、3月になって帳尻を合わせるように寒さが戻ってきたために、せっかく片付けた湯たんぽ再登板です。足先が冷えると眠れない(逆に言うと、足さえ温めておけば安眠できる)質なので、今日は微妙かなという日も、極力湯たんぽを作るようにしています。

うちの湯たんぽの容量は約3リットルと大ぶりなので、ヤカン一つでは間に合わず、片手鍋とあわせ、二口コンロをフル稼働して作ります。もう何百回と作っているので、ヤカンにこの辺りまで&片手鍋にこの辺りまでで、ピッタリ3リットルというのは、手馴れたもの。2.8リットル辺りまでは、湯たんぽの口に漏斗を刺して豪快に入れていき、最後の0.2リットルほどのみ、漏斗を外して直に慎重に入れます。中に空気が閉じ込められると、入る熱湯の量が減るのでね。

この手順、ガソリンスタンドで給油する時と似てます。満タンねと頼むと、スタンドの店員が注油器をガソリンの注入口に突っ込み、スイッチオン。9割方入ると注入が自動的に止まるので、そこからは店員がマニュアルで最後のひと注ぎをするという、アレ。理由は違うんでしょうけど、湯たんぽを作る時は、時々ガソリンスタンドの給油を思い出します。

07/03/14(Wed)

先日のキャベツは丸ごと一玉だったので、とても一玉全部をお浸しにするわけにはいかず、半玉残しておきました。濡れ新聞紙とビニール袋で包んで冷蔵庫に入れておけば、一週間やそこらは平気なのですが、やっぱり今日もキャベツ。昨日のお浸しは継続で、今日は味噌汁です。柔らかい春キャベツの中でも、一番柔らかいのが中心に近い部分。この辺りは、スライスすれば芯まで食べられます。逆に、芯の方が甘味が強くて美味しい。外側に近い芯は固さの方が勝るので、捨てたほうが良い場合もありますが、中心に近い芯は食べた方が良いです。

というわけで、春キャベツの味噌汁。具は当然キャベツだけ。具の種類が多いほど贅沢という考え方もありますが、それはちょっと違うと思います。きちんととったダシ+自家製味噌+甘味たっぷりの春キャベツで作った味噌汁はそりゃ美味い。他のものをゴチャゴチャ入れると、味が混ざってよく分からなくなります。味噌汁の具は、せいぜい二種類まで。あぁ、もちろん豚汁は別です。あれはあのゴチャッとした味わいがミソですからね。

07/03/13(Tue)

柔らかくて美味しそうな春キャベツが安かったので、買ってきました。帰りの道すがら、シンプルに炒め物にしようかと思ったのですが、イヤイヤ更にアッサリ・サッパリだと思い直し、お浸しに変更。葉を一枚ずつ丁寧に剥がし、茎(?)のところは三角に切り取って茹でてからスライス。本体はサッと茹でてからザク切り。別々の処理をするのはちょっと面倒ですが、茹であがりの時間が全然違うので、仕方ありません。本当に疲れている日は一緒に茹でてしまうんですが、幸い今日は別。

茹であがったキャベツはギュッと絞って、あとは味付けのみ。塩だけでもかなり美味いのですが、今日は何となく炒め物というのが尾を引いていたのでしょう、胡麻油をほんの少しと塩ベースで味付け。春キャベツは野菜の中でも特に、火を通すと甘味が増す食材です。塩胡椒などで、強い味付けをしてそれなりの物にするのは簡単ですが、それだと別にこの時期のキャベツでなくてもいいわけなので、この甘味を殺さないように念じながら、とにかく薄味。こういう一品は、案外外では食べられないので、手作りならではだと思いますね。

07/03/12(Mon)

聖護院大根の千枚漬けを貰いました。貰ったのにアレですが、大した物ではないです。直径15cmほどの千枚漬けが10枚弱、真空パックに入っているもので、典型的なお土産物。名物に○○○を地で行くお味といいましょうか…。昔ながらの作り方で丁寧に作れば、結構美味いんでしょうけどね。そんな低評価お土産千枚漬けですが、唯一グッときたのが一緒に入っていた昆布。15cm角ほどの肉厚の昆布が、ペラペラの大根の台紙の様に入っていました。こっちは美味かった。

安物の昆布を使ってペナペナになったら台紙としての役割を果たさないからなのか、かなり上等の昆布。うちでは買った昆布をすぐ使えるように、小さな短冊状に切ってストックしてしまうので、こんな大きな昆布を食べるのは実に久しぶり。オデンに入っているやつは、柔らかく煮えているので、酢漬けにしただけのものとは食感が全く違います。昆布の酢漬けの美味さを実感してしまい、早速、うちにしては大きめの5cm角に切った昆布を酢に放り込みました。聖護院大根の感想は、はるか彼方です。

07/03/11(Sun)

春というのは出会いと別れの季節です。仕事関係でも取引先の人が異動でいなくなったり、職場の中にも変化が起こったり。そんな職場関係の変化は、割とどうでもいいんです。毎年この時期になると割と感慨深いのは、行きつけの喫茶店のバイトさん達の変化です。私は2件の喫茶店に特に足繁く通っているのですが、バイトをしているのは大体が大学生。3月に入ると、卒業・就職で4年生の人たちは辞めていき、4月になるとまた新しい人が入ってきます。今回いなくなるのは、Yさん。今回関西方面に就職が決まり、めでたくバイトも卒業となりました。彼女は大学時代の通算3年半、ずっとこの店でバイトをしていたので、私とも結構顔見知り。

常連客とバイトの関係なんて実に薄いものですが、袖すりあうも他生の縁、毎週会って軽くトークをしていた人が居なくなるのは、寂しいものです。とはいえ新しい場所でも、元気で頑張ってほしいものです。何世代か前のバイトの人の近況についてマスターから、結婚して子供が生まれたよとか、海外に留学に行ったよとか聞くと、あぁ頑張ってるんだなぁとシミジミとおっさん気分に浸ってしまったり。そして4月になるとまた新しい人が入ってくるわけです。今度はどんな人が入ってくるのでしょうかねぇ。

07/03/10(Sat)

今の場所に住んで7〜8年くらいになり、挨拶を交わす程度ではありますが、近所に何人か顔見知りが出来ました。朝、ゴミを捨てに行く時に会う事が多いのですが、その中の一人に、自宅からゴミ収集場までに落ちているゴミを拾いながら行く方が一人います。空き缶・お菓子のパッケージ・吸殻など。分かってはいてもなかなかできることではなく、偉いなぁと思ったので、最近私も真似をするようになりました。とはいえ、さすがに吸殻はちょっと気持ちが悪いので、主に空き缶とお菓子だけ。本当は道端にゴミを捨てる人がいなくなるのが理想ですが、なかなかそういうわけにもいきません。でも、放っておいてもこういうゴミは無くなりません。所有者がはっきり決まっている土地は、その人がキレイにしてくれる(場合もある)でしょうが、道路など公共の土地は、こうやって気がついた人が少しでもゴミを拾うような習慣が生まれるといいなと思いました。

あっ、何か自分、今日はすごく善人っぽい事を書いています。でも、道路にゴミが捨てっぱなしになっていると、確実にその街の雰囲気は悪くなり、治安も落ちますから、かなり遠回りな方法ではありますが、ゴミを拾う事は自分の暮らす環境をよく保つことにも貢献している気がします。また、それがキッカケで近所の人との会話が生まれることもありますし、なかなか良いなと思っています。

07/03/09(Fri)

別に嬉しい事があったわけじゃないんですが、ずっと以前に貰って部屋の隅に転がしておいた、蟹缶を開けることにしました。本当は、いい加減邪魔になっただけ。内容量135gという妙に半端な数字に心惹かれつつ、一品で使い切るには多すぎるなということで、炊き込みご飯とポテトサラダの二品作ることにしました。

炊き込みご飯の方は、作るともいえないような簡単料理。ご飯が炊きあがったばかりの鍋に蟹の身を放り込み、しゃもじでザックリ混ぜていつもの様に蒸らすだけ。ポテトサラダの方も、それ自体が難しい料理ではないので、特に注意する点もありません。ただ、一応蟹を入れるということで、ほんの少し高級志向に。ジャガイモは通常よりもやや固めに茹で、マッシャーを使う際に完全に潰し切らずに所々大き目のイモを残しておきます。こうすると、何となく高級っぽい。逆に完全に潰し切るとスーパーのポテトサラダみたいになりますが、どうしてですかね。多分、幼少時からの刷り込み。

と、ここまで後生大事に使っておきながら、私の蟹缶に対する評価はあまり高くありません。生サクランボと缶サクランボが全くの別物であるように、蟹と蟹缶は全く違います。ピュアな蟹の味だけならまだいいのですが、蟹缶って蟹の身だけですよと見せかけながら、アミノ酸等で結構味付けをしてしまってます。それに、ほぐし身になっていれば、あの食感は欠片もありませんし、蟹of蟹である蟹味噌は当然入っていません。自分で買うのなら、小さくても生の蟹を選びますね。まぁ、蟹缶はあくまで贈答用ということで。

07/03/08(Thu)

先日は、資源ゴミの一つである古新聞の回収日でした。で、いつものように集積場に古新聞の束を持っていくと、いつもと違って今回目立ったのは電話帳、それも新品。この時期、NTT東日本が契約家庭に1セットずつ届けてくれるのですが、今時、電話帳ってあんまり使わないんですよ。過去十年ほどの自分の経験を考えてみても、電話帳をめくったのって皆無な気がします。特にここ数年は、電話番号を調べたい時はwebで検索を書ける癖がついてます。電話番号案内が有料になってしまったのと、webが異常に発達したという、二つが主な理由かな。特に前者。一回百円というのは、使うなってこととしか思えません。

というわけで、配られた瞬間に捨てられる電話帳。私の目から見ても非常にモッタイナイ。これだけ使われてないんだから、何とかならないんでしょうか。予め各家庭に葉書を出して、希望者には○をつけて返送してもらう。返送があった家庭には電話帳を届け、返送が無ければ電話帳無し。そのかわり、そのシーズンは月々の基本料金から50円引きとか、どうでしょう。自分で言うのもなんですが、そんなに無茶なプランではないし、損をするのは電話帳印刷と配達を請け負っている業者くらいです。かくいう私も、早速、古新聞と一緒に新品電話帳を出してしまいました。使わないものを自分の生活空間に置いておくのは、私の主義に反するのです。でも、やっぱりちょっと良心は傷みましたね。

07/03/07(Wed)

実家から送ってきたブロッコリーを茹でました。房の部分は裏から軽くナイフをあて、その割れ目に沿って手で割るとロス無く小分けに出来ます。コレ、割とマメ知識。捨ててしまう人が多い茎の部分(?)も、一口大に切って一緒に茹でます。ただ、房に比べると少し火が通りづらいので、気持ち小さめに切るとグッドです。

今回、茹でている最中にちょっとしたアクシデント発生。沸騰したお湯に、一口大に切ったブロッコリーを放り込み、茹で上がるまでのわずかな時間もロスするまいと、他の作業をしてました。そろそろよかろと思い、ふっと鍋の中を見ると、明らかにブロッコリーとは違う異物が。そう、体長3cmほどもある丸々と太った青虫が、哀れ茹でられてポッコリと浮かんでいます。あぁ、刻んでいる時に見つけたら、外に逃がしてやったのにとやや後悔。デリケートな奥様方なら、鍋ごと廃棄のケースかもしれませんが、私はこんなの慣れっこなので、青虫だけ菜箸でつまんでゴミ箱へ。そして、合掌。包丁で両断せずに済んだだけ、良かったかもしれません。

無農薬で野菜を作ると、こんな事は本当に日常茶飯事です。ただ、知り合いに有機農産物の通信販売をやっている人がいて、その人によると、コレが頭痛の種なのだそうです。農薬は使ってくれるな、でも、虫がついているなんて論外。一体、どうせぇっちゅうのかという話です。ただ、こういうのも一種の慣れでしょうね。小さい頃から徹底的に除虫された野菜を食べ慣れていれば、野菜から青虫が出てきたら、気持ち悪かろうと思います。私なんて小さい頃、畑でキャベツを収穫する祖母の横で、そのキャベツから青虫を取って、スコップの上で炒めて遊んでましたからね。まぁ、それもアレですが…。

07/03/06(Tue)

前回、気まぐれで作った鳥ムネ肉の保温調理が案外美味かったので、再トライ。でも、人間日々進歩が肝心ですから、前回の結果をふまえ、色々な小細工を弄します。まず茹で汁。案外効いていなかった昆布を外し、完全に中華っぽい味に移そうということで日本酒を紹興酒に変更。香り付けのために、ほんの少しだけ胡麻油を垂らします。八角を入れようかどうしようか最後まで迷ったのですが、一度に色々変えてしまうと後の評価が難しくなるので、今回はパス。

前回、普通に茹でただけの場合よりも随分とパサつきは押さえられたのですが、それでも少し食感が気になりました。しかし、所詮ムネ肉ですから、肉汁たっぷりジューシーにというのは不可能です。それを補うために考えたのは、煮汁を少し煮詰めて、煮汁自体を鶏肉に含まれるゼラチン質でゼリー状にしてしまうか、もっと手っ取り早くゼラチンを放り込んでしまうか。でもそこで、先日中華料理屋で食べた坦々麺を思い出しました。そうだ、あんな感じで甘い味噌を添えてしまえばよいのではないかと路線変更。

片手鍋に味噌と味醂を入れ、弱火で練って固さを決めていきます。味見をしたら、ちょっと甘味が足りなかったので、砂糖を足そうかと思ったのですが、先日土産に貰った黒砂糖があったのを思い出し、どうせ入れるんならこっちの方が面白い味になるかと、マナイタの端でブロックになった黒砂糖を素早く刻んで投入。思惑通り、なかなか面白い味に仕上がりました。

料理本で指示されたレシピ通りに料理を作り、美味しい一皿が出来た時は、それはそれで楽しいのですが、慣れてくると、こんな風に色々試行錯誤しながら、あーでもない&こーでもないと料理をするのが楽しくなってきます。無論、思い通りに行かず大失敗ということもありますが、そういう時は軽くスルーするので、無問題です。

07/03/05(Mon)

実家の母親が所用で上京してきたので、一緒に昼ご飯でもと、蕎麦を食べに行きました。そこでの光景。名の通った有名店ではないけれど、店内で蕎麦粉を挽き、そこで麺を打つ、割と本格的な美味しい店。ちょうどお昼時に行ったので、店内は一杯で、隣の四人がけテーブルには、四人家族が座っていました。両親と小学校低学年くらいの子供×2。この子供×2が大問題で、ず〜っと携帯ゲーム機で遊んでるんです。

蕎麦が出来上がるまでの時間に遊んでいるというのなら、まだ分からなくはないです。しかしこの子供達は、食べている間もず〜っとゲーム。一口食べては箸を置き、ワンプレイしてからまた蕎麦。親が注意すれば、当然こんな事は無いわけで、両親は注意すらしません。そもそも食事をする時は…とか、最近は親の教育が…とか、そういう大上段からの批判をするつもりもありません。しかし、私は単純に、ゲームをしながら食事をすべきではないし、それを注意して止めさせるのが親の仕事だと思います。あとはまぁ、箸の持ち方も教えた方がよいかと…。しかし、本人達ができないんじゃ教えようがないなと、こちらはすっかり意地悪じーさんモード。

07/03/04(Sun)

日経の土曜日夕刊に、ももせいずみという方が暮らしのエッセイを書いていまして、これが結構好きなんです。ベースはシンプルライフなのですが、シンプルライフに関する文章にありがちな、ファンタジー論に陥らず、現実的な方法を上手に提案しているのが好印象。今日のお題は、暮らしのスリムアップ。そのポイントをスカートのウエストに喩え、いつも大きなゴムのウエストのスカートをはいているよりも、キッチリしたウエストのスカートを揃えた方がダイエットがはかどる様に、家の中でも、ゴミ箱や収納スペースを小さくすることで、そもそも物を増やさない意識を育てることで暮らしのスリムアップをする事を提案しており、なかなか上手いなぁと思いました。

収納ってあればあるほど便利な反面、そこは一種のブラックボックスですから、放り込んでしまえばとりあえず一旦意識から消去できるので、豊富な収納に恵まれていると、“今使っていないこの品は、処分すべきか持っておくべきか”という面倒な課題から逃れる事が出来ます。それに、モノはどんなモノでも、長いこと持っているとそれなりに愛着が沸いてきますから、捨てるのは難しくなりがち。でもそこで、物理的に収納スペースが無いと、そのモノの行く末について真剣に考えないといけなくなります。それぞれがそれぞれの価値観なんですが、私は身の回りのひとつひとつのものに、真剣に意識を注いで生活する方が好きなので、ももせさんの様な考え方には賛成します。

07/03/03(Sat)

友人から、蕨の塩漬けを貰いました。その人もどっかから貰ったらしいのですが、“塩抜きが面倒だし、よく分からないからやるわ”ということで、うちに回ってきたのです。ありがたいことです。こういう品は、オートメーション化が難しくて手作業が中心なせいか、買うと結構高いのですよ。私がこの前デパートで見かけたのは、200〜300gほど入った小さな袋が500円。どうせ買うんだったら、一般野菜を手にとってしまいそうな価格です。

しかし、貰いものは只。只は最高。彼が言うように、塩抜きは一見面倒臭そうですが、実は全く簡単です。朝起きたら、顔を洗うついでに、ボウルに水を張って蕨の塩漬けを放り込みます。そのままだとあっという間に塩分濃度が上がって、塩が抜けなくなるので、出かける前に1回水交換。蛇口から水をちょろちょろ出しておく方法が一般的ですが、何となくもったいないので、やってません。溜め水でも十分塩は抜けますし。

帰ってきたら、沸騰したお湯でサッと下茹で。ザルにあげて食べやすい大きさに切ったら、下処理完了です。あとはどうとでも好きなように料理すればよろし。先日私がやったのは、油揚げと一緒に胡麻油で味醂醤油味に炒め煮。こころもち塩味を強くしておけば、3〜4日は常備菜として冷蔵庫の中にストックしておけるので、便利です。

冷蔵・冷凍技術の発達で、塩蔵は面倒くさい不要不急の技術になってしまいました。でも、塩蔵してこそ引き出される味はあるし、扱い方に慣れさえすれば、料理の幅はグッと広がります。食わず嫌いせずに使えばいいのにとも思いますが、下手に説教してうちに回ってこなくなってしまうのが嫌なので、何にも言いません。世慣れたオトナ(?)なら皆そうするはずです。

07/03/02(Fri)

味噌作り最後は、道具の片付けです。寸胴やボウルは洗って拭くだけなので、どうって事は無いのですが、面倒臭いのはミンサー。形が複雑なうえに、錆びやすい鋼の刃なので、非常に気を遣います。まず、全部分解して水洗い。細かい所は竹串まで駆使して丁寧に汚れを洗い流します。特に要注意なのは、やっぱり刃。刃は、プロペラ状のものと5mmほどの丸い鋼板に沢山穴が開いているものの二つがありまして、どちらもペースト状の大豆がベットリと付着しているので、綺麗に洗い流します。穴の開いている鋼板の方は、ただ洗うだけでは穴の中のペーストがとれないので、穴のひとつひとつに竹串を突っ込んで、物理的に掻き出してやる必要があります。プロペラ状の刃は、これに比べれば楽なのですが、それでも結構複雑な形状なので、こちらも要竹串。

一通りキレイになったら、もう一度流水でよくすすぎ、清潔な布巾で水気をよく拭き取ります。それを今度は古新聞の上に広げ、風通しの良い場所に丸一日置いて、残った水分を徹底的にとばします。途中で1〜2回ほど部品をひっくり返して、乾きムラが無いように注意。最後に、サラダ油を含ませた布で全体を拭いて、錆びないようにコーティングすれば、完成。来年まで押入れの中です。

ミンサーは、この様に後片付けに非常に手間がかかるので、日常的に使う事は出来ません。たまに、鰯を買ってきてツミレ汁なんてのもやるのですが、トロ箱一箱分の鰯をまとめてツミレにするのでもない限り、包丁とすり鉢でやってしまうのが手っ取り早いです。無論フードプロセッサーという選択肢もあるのですけど、うちは昔ながらのすり鉢派なので、ね。

07/03/01(Thu)

味噌作りの続き第三回、味噌を仕込みます。茹で上がった味噌を次々とミンサーに投入し、挽いていきます。ミンサーが無い場合この作業は、足で踏む・すり鉢・フードプロセッサーなどを併用して行うことになりますが、とにかく大変。少量・お試しサイズなら何とかなりますが、出来上がり5kgからはミンサーの導入を考えた方が良いでしょう。安いやつなら2,000〜3,000円位から手に入ります。

糀は予め塩と混ぜ合わせて塩糀にしておくのですが、私はキットで頼んでいるので、最初から塩糀になっています。次に、挽いた大豆と塩糀を均一に混ぜるのですが、あわせて10kgの塩糀と大豆を一気に混ぜるのは結構大変。私はシンクをキレイに消毒してそこを使うという大技に出ますが、2〜3回に分けてしまっても良いでしょう。結構力が要るので、男性の仕事かもしれません。最後に、混ぜ合わせた味噌の素をオニギリ大に丸め、空気が入らないように注意しながら、琺瑯の容器に詰めていきます。一段詰め終わったら、隙間を指で潰して次の段へ、というのを繰り返し、全部詰め終わったら上から黴防止の意味をこめて、まんべんなく塩を振れば完成。ラップで蓋をして、押入れの中に突っ込んで待つこと半年。秋口には美味しい味噌になっているはずです。

とはいえ、ずっと放置するわけではありません。味噌の大敵は雑菌。作業中は細心の注意を払って焼酎で殺菌しますが、相手は目に見えない菌ですから、時には入り込んでしまう事があります。数週間に一度は中をチェックし、もしコロニーが出来ていたら、消毒したスプーンでその部分を摘出する必要があります。きちんと管理をしていれば、それほど苦労なく、美味しい味噌はできるはずです。

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